1 美しいピッコロトランペットの調べ
「Penny Lane」は、誰が聴いても良い曲だと思う名曲です。インストゥルメンタルのカヴァーでもよく聴きますし、歌詞の意味が理解できれば、さらに街の生き生きとした光景が脳裏に浮かび上がってきます。
あの間奏で奏でられている管楽器は、トランペットだと思っている方が多いかもしれません。確かにトランペットには違いないのですが、正確にはピッコロトランペットと呼ばれる楽器です。これは、通常のトランペットの半分位の大きさで、1オクターブ高い音が出せます。普通のトランペットより高音域をカヴァーできるので、ジャンルを問わず広く使用されています。有名な所ではラヴェルの「ボレロ」ですね。曲を聴けば「あ~、あれか」と思い当たる方は多いと思います。
そして、「Penny Lane」では、間奏で流れるピッコロトランペットの美しいサウンドがとても印象的で、この曲全体の明るく軽やかな雰囲気を見事に演出しています。一般的なトランペットに比べて音が高いので、この部分だけテープを早回しして音を高くしたのではないかという噂もありましたがそうではありません。今回は、そもそもなぜこの楽器を使うことになったのか、誰が演奏したのかなどについてお話しします。
2 トランペットを入れなくてもかなり仕上がっていたが
ビートルズは、1966年12月29日から「Penny Lane」のレコーディングを開始しました。1967年1月12日には、オーヴァーダブも終わってかなりの完成度に仕上がっていました。
レコーディング・エンジニアのジェフ・エメリックは、こう語っています。「ポールの素晴らしいベースプレイと素晴らしいヴォーカルと相まって...このトラックは充実し、洗練され、かなり完成されたものになり始めていた。この時点で、ブートレグで聴くことができるこの曲を聴いたほとんどのリスナーやレコード購入者は、この素晴らしい結果にかなり感銘を受けたことだろう。例えば、コンピレーション・アルバム『Anthology 2』に収録されているインストゥルメンタル・セクションは非常によく機能しており、彼らの最新アルバム『Revolver』からの良いステップアップと考えられるだろう。」
彼は、とても優れたエンジニアでビートルズの良きパートナーでしたが、その彼がこれほど賞賛するくらい良い出来だったということです。彼ももうこの曲は、この段階でリリースしていいと思っていたのでしょう。しかし、ポールは、まだ何かが足りないと感じていました。「完璧主義者」として知られる彼ですが、この辺りからそういう傾向が見え始めていたのかもしれません。
3 ピッコロトランペットに遭遇した
この動画は、「バッハのブランデンブルク協奏曲第 2 番ヘ長調」という曲でピッコロトランペットが演奏されています。「Penny Lane」のセッションの間、ポールは、前夜にテレビで観た番組について話し続けていました。彼は「1月11日の水曜日の夜、自宅でBBC2の5部構成の深夜テレビシリーズ『マスターワークス』の2作目を観ていた」と、書籍「The Beatles Recording Sessions」では解説されています。メイソンがこの番組でピッコロトランペットを演奏していたのです。
「ポールは、それ(ピッコロトランペット)について話すのをやめられなかった」とエメリックは詳述しています。「『あのとっても小さなトランペットは何だったんだ?』と彼は私たちに尋ねた。彼が出しているサウンドが信じられなかったんだ!」ポールは、この時点でまだその楽器のことについて知らなかったんですね。彼は、探し回っていたお宝をついに見つけたという興奮を抑えきれなかったのでしょう。
ここでマーティンのクラシックの素養がとても役立ちました。彼は「あれはピッコロトランペットと呼ばれるもので、吹いていたのはデイヴィッド・メイソン、彼は、たまたま私の友人なんだ」と話しました。「素晴らしい!」とポールは叫びました。「彼をここに呼んで、オーヴァーダビングしてもらおう」
名曲が誕生する瞬間とは面白いものですね。間奏のソロパートとはいえ、あのピッコロトランペットのサウンドはとても効果的で、もしあれがなかったら、この曲の魅力は少し落ちていたかもしれません。
そして、あのソロパートが出来上がったのは、ポールがたまたま観ていたテレビでオーケストラが演奏に使用しているのを見たことがきっかけだったとは。しかも、そこで演奏しているトランペット奏者がマーティンの友人だったとは偶然とはいえ、まるで神が導いたかのような素敵なエピソードです。
4 完璧な演奏
(1)完璧な演奏だった
マーティンは、メイソンに連絡を取り、翌朝アビーロードスタジオに来てもらい、その後、EMIスタジオで最終ミックスに使用する楽器ソロをレコーディングしました。レコーディングは、午後7時に始まり、翌朝12時半に終了しました。エメリックによると、メイソンの演奏は「完璧」だったとのことです。
ポールは、メイソンにもう1テイクやらせようとしましたが、マーティンはもう必要ないと止めさせました。さすがに深夜ですからね。そういえば「She’s Leaving Home」のレコーディングでもポールがなかなかOKを出さず、楽団員にもう遅いから帰らせてくれと言われて、やむを得ずレコーディングを終えたこともありました。
(2)ビートルズを知らなかった
メイソンは、ビートルズの他の3人のメンバーがレコーディングに参加していたことに感銘を受けました。彼は、彼らの口ひげとサイケデリックな服装に少し驚いたと語っています。「ビートルズのレコーディングを依頼されたとき、私は、ビートルズが誰なのかさえ知らなかった」とメイソンは2003年にイギリスのバス・クロニクル誌に語っています。「私にとっては、ただの仕事の一つだったんだ」
いくらクラシック畑一筋の音楽家だったとはいえ、母国が誇る世界的スーパースターになっていたビートルズを知らなかったとは驚きです。しかし、そんな人がレコーディングに参加して完璧な仕事をして素晴らしい作品の制作に貢献したのですから面白いですね。
(3)2テイクだけ
メイソンは、9本のトランペットを持ってセッションに臨み、「消去法で」高音ソロ用のB♭ピッコロトランペットに決めたと後に語っています。「我々は、3時間かけて完成させたんだ。ポールが歌いたいパートを歌い、ジョージ・マーティンがそれを楽譜に書き出し、私が演奏してみた。でも、実際のレコーディングはかなり早く終わった。陽気な高音で、かなり負担がかかったが、テープが回っている間に、既存の曲の上にオーヴァーダブとして2テイク演奏した」とメイソンは振り返って語りました。たった2テイクしか演奏せずに完成させたのですから、やはり一流のプロは違いますね。当時の思い出を語るメイソンです。
5 輝かしい経歴
デイヴィッド・メイソンは、その時代、イギリスのオーケストラシーンで著名な人物であり、影響力のある音楽家でしたが、彼に世界的な名声をもたらしたのは「Penny Lane」でした。「She’s Leaving Home」でハープを演奏したシーラ・ブロンバーグも素晴らしいハーピストでしたが、彼女を一躍有名にしたのは、やはりビートルズのレコーディングに参加したことでした。
1926年、ロンドンに生まれたメイソンは、ウェスト・サセックス州のホーシャム近くにあるクライスト・ホスピタルで教育を受けました。1942年に王立音楽院に入学し、「現代英国トランペット演奏の父」と呼ばれるアーネスト・ホールに師事しました。
彼は、1940年代に結成されていた国立交響楽団に、最年少メンバーとして入団しました。1944年7月にトランペットのディプロマを取得し、同年、EFジェームス賞を受賞しました。その後、コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスのオーケストラに入団し、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団に採用され、後に首席トランペット奏者となりました。
彼は、同楽団に在籍中、ラルフ・ヴォーン・ウィリアムズの「交響曲第9番」の世界初演でフリューゲルホルンソロを演奏しました。一般にフリューゲルホルンはジャズで演奏されるイメージが強く、ウィリアムズは、あまり関心を示さなかった楽器でしたが、メイソンは、最後の交響曲の第2楽章の冒頭でその芳醇な音色を使い、心を揺さぶるような効果をもたらしたのです。
6 素晴らしい成果
「Penny Lane」は、クラシックとロックが融合したシュールな仕上がりで、この曲は、世界的に知られるようになりました。メイソンは、他にも「A Day in the Life」「Magical Mystery Tour」「It’s All Too Much」「All You Need Is Love」など数々のビートルズのレコーディングに参加しました。
因みに、メイソンには、27ポンド10シリング(約45ドル)の一回限りのギャラが支払われています。彼がレコーディングで出した「ハイE」は、このレコーディング以前には到達できないとされていたことを考えると、ビートルズは、支払ったギャラ以上の素晴らしい成果を手に入れたと言えるでしょう。あの美しいサウンドを提供してくれたメイソンに感謝します。
(参照文献)ビートルズ・ミュージック・ヒストリー、ケラ・テリィースポッティング、ザ・ガーディアン
(続く)
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