★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ポピュラー音楽に新たな1ページを加えた「Penny Lane」のピッコロ・トランペット(536)

1 ニュー・シングルが欲しい

(1)レコード会社は焦っていた

「Penny Lane」の制作から完成までのエピソードについてはすでに二回にわたってご紹介しましたが、もう少し掘り下げてみたいと思います。以下は「ザ・ロンドン・マガジン」からの引用です。 

1967年1月までに、大西洋の両側のレコード会社の幹部は、ビートルズの新作を一刻も早く求めていました。もちろん、EMIとキャピトルですね。1966年8月にシングル「Eleanor Rigby」「Yellow Submarine」、アルバム「Revolver」をリリースしてからかなり時間が経過していました。そろそろ次のヒットを出してもらいたいと思っていたのです。

(2)ブライアンはマーティンに迫った

そして、彼らの懸念は当然のことながらマネージャーのブライアン・エプスタインに伝わり、彼は、プロデューサーのジョージ・マーティンに進捗状況の報告を求めました。もちろん、ブライアンが本当に望んでいたのは、新年を迎えるためのダイナマイトのようなシングルであり、爆竹のような衝撃でビートルズの存在感を再確認する手段でした。

「ジョージ、早くシングルを出さなければならない。何かあるか?」とブライアンは尋ねました。「君が持っている最高のものを欲しい」ブライアンがレコード会社側からせっつかれて焦っていた様子が窺えます。

 

 

2 もうお宝はあった

(1)マーティンは自信を持っていた

マーティンとポール

マーティンが後に回想しているように、ブライアンは1966年の秋から冬にかけて「どんな失地も取り戻す」と決意しており、マネージャーの言葉を借りれば「ビートルズをしっかりと脚光を浴びさせる」つもりでした。彼らの活動の大きな柱だったコンサートを止めてしまったのですから、ブライアンが次のシングルに大きな期待を寄せたのも当然でしょう。

焦るブライアンとは対照的に、マーティンは自信たっぷりに問題ないと言って保証しました。この時点で、彼は「Strawberry Fields Forever 」「When I’m Sixty-Four」、そして未完成の「Penny Lane」という「小さな宝石のコレクション」を手に入れていたのです。

(2)史上最強の二曲

「Penny Lane」の手書きの歌詞

「ブライアンがどれほど必死だったかがわかり、彼に超強力なコンビネーションであり絶対に失敗しないダブルパンチ、史上最高の2曲『Strawberry Fields Forever 』と『Penny Lane』の無敵のタッグをプレゼントすることにした」とマーティンは後に回想しています。

マーティンは、ビートルズの最新作に絶大な自信を抱いていたため大胆な賭けに出て、来たるリリースが前例のない成功を収めると予測しました。「これらの曲は素晴らしい両A面ディスクになるだろう、とブライアンに言ったんだ。『Day Tripper』と『We Can Work It Out』、『Eleanor Rigby』と『Yellow Submarine』といった、これまでの両A面の大ヒット曲よりも素晴らしいものになるだろう」

 

 

3 レコーディングを開始

(1)再びプレッシャーの中で

2月中旬のリリースに向けて「Penny Lane」を完成させなければならないというプレッシャーが高まる中、マーティンとバンドメンバーは、 1966年6月に無謀なスタイルでアルバム「Revolver」を完成させて以来初めて、厳しい締め切りに向けて猛烈に走り回っていました。

そして1月10日の夜通しのセッションで、ビートルズは「Penny Lane」のテイク9にさらにオーヴァーダブをレコーディングしました。その夜の大半は、様々なハーモニーと効果音の調整に費やしました。

(2)ポールはピッコロトランペットの音色に魅了された

www.youtube.com

1月11日の夜、バンドメンバーが珍しく休みを取ったため、ポールはキャベンディッシュ通りの自宅に留まり、BBC Twoのテレビシリーズ「マスターワークス」を視聴していました。その夜の放送では、ギルフォード大聖堂室内管弦楽団によるヨハン・セバスチャン・バッハブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調の演奏が放送され、ロンドンのニュー・フィルハーモニア管弦楽団の首席奏者で国際的に有名なトランペット奏者のデイヴィッド・メイソンが参加していました。

バッハのレパートリーの中でも最も難しいトランペット曲の一つを演奏する彼を見て、ポールはその音色にすっかり魅了されました。この偶然がなかったらあの印象的なピッコロ・トランペットのサウンドは存在しなかったのです。

 

 

4 デイヴィッド・メイソンを招へいした

(1)マーティンは招へいすることに不安を覚えていた

レコーディング・セッションは、1月17日に行われました。EMIスタジオ2で夕方のセッションに臨んだマーティンとバンドメンバーは、メイソンを招き入れ、彼の素晴らしいピッコロ・トランペット・ソロで曲に最後の仕上げを施しました。ポールの期待に応え、メイソンをセッションに迎えることができたマーティンは喜びつつも、不安を抱えながらその夜を迎えました。

マーティンは、こう語っています。「プロのミュージシャンから『ビートルズが本物のミュージシャンなら、スタジオに入る前から我々に何を演奏してほしいかわかっているはずだ』と言われることがあった」プロのミュージシャンは、まだビートルズの実力を信用していないところがあったのです。彼らがミュージシャンにどんな演奏をして欲しいかを的確に伝えられなければ、見下されることになってしまいます。マーティンは、ミュージシャンを呼ぶ時に常にそういうプレッシャーを感じていました。

(2)最高の演奏だった

しかし、マーティンの不安は杞憂でした。メイソンは「全くそんな人ではなかった。当時ビートルズはとにかく大きな話題になっていたし、高額な報酬を受け取るだけでなく、彼らのレコードで演奏できることに興味を持っていたと思う」

1月17日のセッションでは、マーティンはミュージシャン組合から約28ポンドの特別料金を確保することに成功しました。これは、メイソンが当時のセッション・ミュージシャンの相場のほぼ2倍の料金を受け取ることを意味していました。

レコーディング・エンジニアのジェフ・エメリックが後に述べたように、このセッションはいろいろな意味でドラマチックなものとなりました。真のプロフェッショナルであるメイソンは、ほとんど不可能と思われるほど高い音で終わる並外れて難しいソロも含めて、一発で完璧に自分のパートを演奏しました。それは、まさに彼の生涯最高の演奏でした。そして、ポールを除いて誰もがそれをわかっていたのです。

(3)もう一回やれと言われてもできない

最後の音が消え去ると、ポールはトークバックマイクに手を伸ばしました。「いいぞ、デヴィッド」とポールは淡々と言いました。「もう一回やってもらってもいいかい?」長い沈黙が訪れました。「もう一回?」トランペット奏者はどうしようもなくコントロールルームを見上げました。彼は言葉を失ったようでした。

ついに、彼は静かに口を開きました。「あの、ごめんなさい。申し訳ないけど、これ以上うまく演奏できません」メイソンは、自分がすべての音符を完璧に演奏したこと、そしてそれが自分が決して超えることのできない驚異的な離れ業であることを悟っていました。

アスリートが世界新記録を更新した瞬間のようなものでしょうか?そのプレーをもう一回やれと言われても、できるはずがありません。クラシックに詳しくないポールは、彼の演奏が二度と再現できないほど完璧なものだったことを理解していなかったのです。

そこで、マーティンがすぐに事態を収拾し、ポールの方を向いて「なんてことだ、あの男にもう一回あれをやってくれと頼むなんてありえない。素晴らしかったよ!」と助け舟を出したのです。ポールはすぐに受け入れ、トークバックでメイソンに「わかった、ありがとう、デヴィッド。これで保釈金なしで釈放されるよ」と言いました。マーティンもさぞ冷や汗をかいたことでしょう。

 

 

5 「Penny Lane」に非常に独特な個性を与えた

youtu.be

メイソン自身も、あの夜初めてビートルズと触れ合った時のことを決して忘れることはありませんでした。「ポールが指揮を執っているようで、演奏していたのは私だけだった」と彼は後に回想しています。

ビートルズの他の3人もそこにいたんだ。みんな、キャンディのように鮮やかな色のストライプのズボンに、だらりと垂れた黄色の蝶ネクタイなどおかしな格好をしていた。まるで映画のセットから出てきたばかりのようだったので、ポールに撮影中だったのかと尋ねた。するとジョン・レノンが口を挟んだ。『いやいや、俺たちはいつもこんな格好をしているんだよ!』」クラシック出身のメイソンには彼らの服装が奇抜に見えたのでしょうね。

「Revolver」の「For No One」のレコーディングに参加したアラン・シヴィルと同様に、メイソンのキャリアはビートルズとの活動によって大きくアップしました。マーティンは、数年後にこう語っています。「私は、一流オーケストラと演奏して人生を送ってきたが、私が最も知られているのは『Penny Lane』での演奏だ!」

メイソンの演奏が完成し、その結果に興奮したマーティンは、後にピッコロ・トランペットのソロについて「ユニークでロック音楽ではそれまでに行われたことがなかったもので、『Penny Lane』に非常に独特な個性を与えた」と記しています。まさにポピュラー音楽に新たな1ページが加わった瞬間でした。

(続く)

この記事を気に入っていただけたら、下のボタンのクリックをお願いします。

にほんブログ村 音楽ブログ ビートルズへ
にほんブログ村

下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。