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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(号外)ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」がグラミー賞最高音楽賞を受賞しました!

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ビートルズファンにとってはまた嬉しいニュースが飛び込んできました。彼らの下積み時代から世界的なスーパースターになるまでを描いたドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」のロン・ハワード監督が、この映画でグラミー賞最高音楽賞を受賞したのです。 

 

私は、この速報を目にしたとき、「え、何でグラミー賞?」と素朴に疑問に思いました。なぜならグラミー賞は、優れた音楽作品を創造したアーティストに与えられるものだからです。ミュージカルならまだしも、ドキュメンタリー映画の監督に与えられること自体が異例ではないかと思います。もちろん、過去に例はあるかもしれませんが。

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ロスアンゼルスタイムズ紙のインタヴューにハワードはこう応えています。彼がグラミー賞にノミネートされたと伝えられた時点で「とんでもない騒ぎになった。」「それは、一種の魅力的な人生上の体験と創造的な機会だった。しかし、そのニュースがインターネットに流れてまもなく、私は、ビートルズに関与することがとんでもないことをもたらし得るのだということに気付き始めた。まるで綱渡りみたいなスリリングな行為だが、これが現実なのだと思った。もちろん、私は、いつもそうしているようにその事実を真剣に受け止めたがね。」

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アカデミー賞監督賞を獲得した経験のあるハワードですら、グラミー賞にノミネートされただけでこれは大変なことになったと感じたんですね。映画に関する賞ならノミネートされてもそれ程興奮しなかったかもしれませんが、畑違いのグラミー賞なんてまさかと思ったでしょう。

 

彼の功績が偉大であることはもちろんですが、素材にしたビートルズが、これまたとんでもないモンスターバンドであることを改めて思い知らされたんですね。すなわち、彼らに関わることは大成功して称賛を浴びるか、大失敗してバッシングされるかのどちらかだということです。

 

確かに、グラミー賞には「音楽映画部門」があるのは事実ですが、あの映画は、音楽を題材にしているとはいえ、あくまでドキュメンタリー映画ですから、まさかノミネートされるとは予想もしなかったんでしょうね。なお、ハワードの他にプロデューサーのブライアン・グレイザー、スコット・パスクッチ、ナイジェル・シンクレアも受賞しました。

いずれにせよファンにとっても、喜ばしいことに変わりはありません。あの映画が単にファンのセンチメンタルな想い出をくすぐるだけではなく、映画としても立派な作品であることが証明されたんですから。映画を観るチャンスを逃した皆さん、DVDがリリースされてますよ。

 

ハワード監督、素晴らしい映画を制作してくれてありがとう。そして、ポール、リンゴ、ヨーコおめでとう。ジョン、ジョージ、スチュ、マーティン、ブライアン、ニール、マル、シンシア、モーリーンそれにリンダ、天国で乾杯してね。

(続く)

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(号外)アマチュアバンドの祭典「第7回 南港ビートルズ・ストリート」の開催が決定しました!

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画像に含まれている可能性があるもの:1人、空、夜、屋外

画像に含まれている可能性があるもの:空、大勢の人、橋、屋外今や関西、いや日本のビートルズ・ファンにとって春秋の風物詩となったビートルズを愛するアマチュアバンドの祭典、「第7回 南港ビートルズ・ストリート」が2017年5月13日(土)に開催されることが決定しました。場所は、大阪南港ATCセンターの野外ステージです。

 

腕自慢のアマチュア・バンドが多数集結し、ビートルズ・ナンバーをたっぷりと聴かせてくれます。南港は、ご覧の通り大阪湾に面しているのですが、その佇まいが何となく同じ港町のリヴァプールに似ていて、正に日本版リヴァプールといった感じです。

 

大阪なので関西を拠点に活動しているバンドが多いのですが、昨年ははるばる関東から参加してくれたバンドもありました。今年も遠くから参加してくれるバンドがあると思います。バンドは、沢山の機材を運搬しないといけないから移動が大変ですよね(^_^;)

 

公式Facebookはこちらです。昨年の演奏がダイジェスト版で紹介されています。今回の祭典の詳細はまだ決まっていないのですが、決まり次第アップされると思います。

https://www.facebook.com/beatlesstreet/?ref=page_internal

 

アマチュアバンドがビートルズを演奏する場合、割と前期の曲を演奏することが多いですね。アマチュアとはいえ大勢の観客の前で演奏するわけですから、それなりのクオリティーが要求されますが、後期の曲は、作品自体が複雑になっていたり、スタジオで様々な編集を加えたりで、ライヴで演奏するのが困難だからというのが大きな理由だと思います。

 

 

 

しかし、昨年秋の祭典ではそんな制約をものともせず、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー」「ヘイ・ブルドッグ」「ヤー・ブルース」「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」など後期の曲を果敢に演奏するバンドが沢山いて嬉しかったです。

 

ただ、気の毒だったのは当日が木枯らし第1号に見舞われ、ものすごく寒かったことです。特に夜は凍えるような寒さでした。おまけに海辺ですから特に海辺のステージでは、潮風をまともに受けて、ヴォーカルの人は歌いずらかったようですね(^_^;)今回は5月なのでその心配はありませんね。

 

出演するバンドは、演奏のクオリティー維持のために実行委員会が事前に実施するオーディションにパスしなければなりません。もっとも、前回から海辺のステージとメリーガーデン前ステージとの間にストリートステージが設置され、文字通り誰でもストリートミュージシャンとしてフリーに演奏することができるようになりました。

 

もちろん、観客として参加するのは無料です。また、ATCセンターには飲食店も沢山ありますから、そこで美味しいものを食べたり飲んだりすることもできます。

 

レコードやCD、DVDなどでオリジナルを楽しむだけでなく、ライヴに参加するのもファンとしては嬉しいもんです。ライヴってバンドと観客との間に一体感が生まれるんですよ。参加している全員がビートルズをこよなく愛し、尊敬してやまないということが良く分かります。時間が経つのを忘れてしまいますね。まさにファンにとっては至福の時です。

ご参考までに私が撮影した動画のごく一部を添付します。実際にはまだまだ沢山の演奏があったんです。寒さと三脚を使っていなかったために少々手振れしてますが、そこはご容赦願います(^_^;)

ペニー・レイン

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アイヴ・ガット・ア・フィーリング 

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ヘイ・ブルドッグ

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ビートルズ・ファンの皆さん、お近くの方はぜひご参加を。そして、ビートルズをあまり知らない方も、騙されたと思って一度ライヴに参加してみて下さい。きっと、新たな出会いに感動しますよ。

(続く)

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(その109)ジョン・レノンのギター・テクニックについて(その4)

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ジョン・レノンのギター・テクニックについて、引き続きお話しします。今回は、アコースティックギターについても触れます。

1 ロング・トール・サリー

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この作品は、イントロなしでいきなりポールの天井を突き破るかのようなハイ・トーン・ヴォイスが炸裂し、彼のメロディアスなベース、ジョンとジョージのギターとリンゴのドラムが刻む強烈なビートが続きます。

 

珍しくジョンとジョージの2人がそれぞれ異なるソロ・パートを弾いています。1回目の間奏のソロがジョンですが、いかにも彼らしいパワフルで弦を殴り付けるかのような激しいストロークで、この作品を盛り上げています。「ユー・キャント・ドゥ・ザット」と同じような奏法ですね。2回目のジョージのソロと聴き比べて下さい。上がジョン、下がジョージです。

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ジョンは、自分のソロを弾き終わると、本業のリズム・ギターに戻って演奏を続けています。このソロをだれが弾いているかについては異説もあるのですが、サウンドの特徴からして間違いないのではないかと思います。

 

ライヴ映像でもジョンが弾いているっぽいのですが、肝心の左手があまり写っていないので正確には確認できません(^_^;)ただ、明らかに2回目のソロはジョージが弾いているので、やはり、1回目はジョンでしょう。

 

ステレオでは左右からジョンとジョージのギターが聴こえますが、これはワンテイクでレコーディングしたものをジョージ・マーティンがミキシングで振り分けたものです。

 

2    シーズ・ア・ウーマン

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この作品もジョンのカッティングが決め手です。ただ、それ程難しいテクニックを駆使しているわけではありません。にもかかわらず、ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」のエンディングにも使われたこの曲のスリリングなイントロを聴いてワクワクしない人はいないでしょう。

 

ジョンは、イントロをダブル・トラックしています。恐らくサウンドに重厚さを与える効果を狙ったのではないかと思われます。メイン・ヴォーカルがスタートしてからは、コードは、A7、D7、E7の繰り返しですが、ストロークのタイミングを微妙にずらしています。

 

オン・ビートも長めの箇所と短めの箇所がありますが、これが意識的なものなのか、フィーリングから来るものなのかは分かりません。また、ミュートやスライドを入れて、独特のグルーヴ感を出しています。7thもチョーキングを入れて変化を付けています。

 

相変わらずシンコペーションを巧みに挟み、オフ・ビートでノリを出しています。ただ、テイク1ではそれを入れておらずテイク2から初めて入れたのは、恐らくその方がノリが良くなると判断したからでしょう。

 

ポールは、このジョンのオフ・ビートを「作品全体を同じ調子で水彩画のように塗りつぶすことをせず、キレの良いリズムを刻んでいる」と賞賛しています。 

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この作品は、アメリカのハリウッド・ボウルでのライヴ・パフォーマンスが最高の出来ではないかと思います。メンバー全員が絶好調だったんでしょうね。

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しかし、この当時は、野球場での野外ライヴで、観客の絶叫で耳がおかしくなるような状況でした。おまけに機材もそんな大観衆の絶叫に耐えられる代物ではありません。ジェット機のエンジンのような騒音で彼らの演奏は殆ど聴こえず、流石のマーティンも当時の技術でのレコード化を断念した程です。

 

ビートルズが演奏した当時はステージに返しのスピーカーが無く、自分たちの出しているサウンドすら、絶叫にかき消されて把握できなかったのです。現代のライヴではありえませんが、環境に技術が追い付いていなかったんですね。リンゴは、ジョンやポールの肩や足の動きで、この辺りを演奏しているなと見当を付けて演奏していました。

 

ずっと後になって技術が進歩し、この収録はCD化されましたが、驚くべきことにビートルズは、この劣悪な環境下でも完璧に演奏していたのです。これでもなお彼らの演奏テクニックを批判できるでしょうか?

 

3 ユーヴ・ガット・トゥ・ハイド・ユア・ラヴ・アウェイ(悲しみはぶっとばせ)

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これは、ビートルズがアメリカンツアーを初めて行い、ボブ・ディランと面談して彼の影響を強く受け、ジョンが作った曲です。それまでの明るいラヴソングから一転して、内省的で悲観的な内容の歌詞になりました。

 

ジョンは、フラマスのフーテナニー12弦アコースティックギターという珍しいギターを弾いています。レコーディングの際、マーティンは、あまりディランっぽくならないようジョンに指示し、ジョンもそうしたつもりだったのですが、結果的には、やはりディランの影響が色濃く出ていることはポールも認めています。

 

それまでエレキギター一色で演奏してきたビートルズが、初めてアコースティックギターを前面に押し出した作品です。これでビートルズの作品に一層の幅と深みが加わりました。

 

「アンド・アイ・ラヴ・ハー」はこれより前の作品ですが、その時は恋人を想う甘く優しいメロディーだったのに対し、この作品では失恋した男のやり場の無い哀しみをアコースティックギターと切々としたヴォーカルで表現しています。

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8分の12拍子という変則的なリズムですが、ロー・コードだけなのでフィンガリングが忙しい割には、弾き語りがそんなに難しい作品ではありません。ですから、ストリート・ミュージシャンは好んでこの作品を演奏します。

4 デイ・トリッパー

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ビートルズの数ある作品の中でも1、2を争う余りにも有名なギター・リフで、ジョージが弾いているものも含めてジョンが作りました。とジョンが言ってるので間違いないでしょう(笑)ジョージも否定してませんし。それぞれのパートを比較してみましょう。

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5 アイム・ルッキング・スルー・ユー

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この作品も、ジョンのアコースティックギターの腕を見直す良い作品かもしれません。複雑なリズムの取り方とフィンガリングに彼の才能を見ることができます。

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それにしてもまあ、コードチェンジの忙しいこと(^_^;)この後、ジョンは、「ディア・プルーデンス」など多くの作品で、アコースティックギターの才能を見せることになります。

 

6    ノーウェジアン・ウッド(ノルウェーの森)

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ジョージのシタールが注目されがちな作品ですが、そもそも彼にシタールでリフを入れるように求めたのはジョンです。また、ジョンのアコースティックギターもなかなか捨てがたい魅力があります。

 

ジョンは、イントロから単にコードストロークで終わらせることをせず、作品全体で定期的に繰り返されるメロディーラインを同時に提供します。これによりリスナーに対し、「ああ、次にこんなメロディーが来るんだろうな」との予測と安心感を与えます。カポを2フレットに装着し、全体的にメリハリの効いたサウンドで、良いリズムを刻んでいます。

 

右手でメロディーを刻まないといけないので、今どの辺りを弾いているのか神経を集中する必要があります。一応、譜面上は8分の6拍子になっていますが、実際にはレコードかCDを聴いて耳コピしないとあのニュアンスは出ません(^_^;)小指で3弦の4フレットをハンマリングすると、「once had a」辺りのあのカッコいい「トゥイ~ン」というサウンドが出ます。

 

ジョンは、最初のヴァージョンではバックグラウンドでギターをストロークするというシンプルなアレンジを選択しましたが、それに満足せずやり直してもっとギターを前面に出すことにしました。彼の決断が正しかったことは、作品自体の仕上がりの素晴らしさが証明しています。

(続く)

(参照文献)All You Need Is The Beatles, The Beatles Rarity, The Beatles Music History

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(その108)ジョン・レノンのギター・テクニックについて(その3)

 ジョン・レノンのギター・テクニックについての解説を続けます。 

1    ジョン・レノンのギター・テクニックの特徴(再考)

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具体的な作品について解説している途中ですが、もう1回総論に戻ります。話が前後してすいません(^_^;)

 

ジョンは、母親のジュリアが音楽好きでバンジョーを教えてくれたこともあり、ギターを弾くようになりました。当然、バンジョーとギターではコードが違いますから、ギターを弾くためにはそのコードを覚えなければなりません。ところが、彼にはそんな気持ちなどさらさらなく、ポールに教えられるまでバンジョーのコードで通していました。そんなラフなジョンでしたが、プロになってもラフさは変わりませんでした。

 

大好きな音楽でしかもプロなのに、ラフにやるというのは生まれついての性格からなんでしょうね。ステージやレコーディングでミスっても平気でしたし、直そうともしませんでした。その点、ストイックなジョージとは対照的ですね。ジョージは、年齢が若かったこともあり、ステージやレコーディングでは結構テンパったりしてたんです。

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ただ、このジョンのラフさ加減が、とんでもない傑作を生み出したところがまた天才なんですね。彼は、コード進行のセオリーを全く無視した作品を数多く生み出しましたが、これこそ正に彼のラフさがプラスに働いた良い例でしょう。ギタリストとしてもラフさは相変わらずでしたが、それがまたちょうど良いテイストになっていて、作品全体のグルーヴ感をうまく引き出しているんです。

 

あ、そうそう、ジョンは、作詞・作曲はもちろんですが、ギターに関する限り、リック(短い定型のフレーズ)、間奏、リフ、アレンジなどの多くも手掛けていました。例えば、後にご紹介する「アイ・フィール・ファイン」のブルースをベースにしたリフも彼が作りました。

 

特にリックは短いので気が付きにくいのですが、実に上手く挟んでるんです。彼の作曲家としての才能は、こういったところでも生かされていたんです。ただ、レコードにそこまではクレジットされないので、ジョンがこれは自分が作ったと言えばそれを信じるしかないんですが。

 

ジョンの特徴として、右手首を柔らかく使ってストロークし、前腕はあまり大きく振っていません。相当手首が強くないと疲れると思うんですが、これがあのサウンドが生まれた隠れた秘密かもしれません。

 

2    アイム・ハッピー・ジャスト・ダンス・ウィズ・ユー

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ジョンは、アメリカの偉大なロックンロールギタリストである、ボ・ディドリーっぽいリズム・ギターを弾いています。彼がチャック・ベリーらとともに活躍したことにより、それまでリズム・アンド・ブルースと呼ばれていた音楽がロックン・ロールと呼ばれるようになったため、「ロックンロールの生みの親」とも称されています。

 

「ボ・ディドリー・ビート」と呼ばれる演奏スタイルは、コードやメロディーはシンプルにしてリズムを前面に押し出してノリを作るもので、彼こそジョンのリズム・ギターの原点ではないかと思えますね。少し、後の時代になりますがこれが彼の演奏です。

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さて、この作品でもジョンのリズム・ギターのカッティングが冴えています。聴いているだけで本当に踊り出したくなるような素晴らしいリズムを刻んでいます。もっとも、ジョージのギターとのコンビネーションがあることも忘れてはいけません。こんな感じです。

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3 アイ・フィール・ファイン

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この作品を初めて聴くと誰でも衝撃を受けます。イントロでベースが「ボン」と音を立てたかと思うと、ギターが「ンニョ~~~~~」なんてありえないサウンドが流れてくるからです。「な、何だ、この変なサウンドは?」とリスナーが戸惑っていると、実にキャッチーで軽快なイントロが始まります。

 

これは、「フィードバック」という奏法で、エレキギターをアンプに近づけると共鳴してこんなサウンドが出るんです。ちょうどマイクをスピーカーに近づけるとハウリングが起こって「ピー」なんて耳障りなサウンドが聞こえるのと原理的には同じです。やり方は、こんな感じです。

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ポールとジョージは、スタジオでジョンがギブソンのセミアコースティックギターをアンプに近づけているところを見ました。すると、変なサウンドが聴こえてきたのです。それで2人が「それ何だい?ヴードゥー教かい?」と尋ねると、ジョンが「違うよ。フィードバックさ。」「凄いじゃん!」そして、彼らは、プロデューサーのジョージ・マーティンにこのサウンドを録音できないかと尋ね、彼は、多分できるだろうと応えました。

 

その時の様子を語るジョージ・マーティン、そしてポール、ジョージ、リンゴです。マーティンは、恐らくフィードバックをレコーディングに使ったのは、ビートルズが世界初だろうと語っています。

 

ポールは、「ジョンがA弦を弾いてギターをアンプに近づけると、ンニョ~~~~~なんてサウンドが聴こえて来たんだ。何だそれ!と思わず叫んだよ。」ジョージは、「ジョンは、ステージでもA弦を弾いてアンプに近づけてフィードバックをやっていた。彼がジミー・ヘンドリックスを考え出したようなもんさ。」と、後にヘンドリックスがこの奏法を取り入れたことをユーモアを交えて語っています。

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偶然がもたらしたサウンドですが、並みのミュージシャンなら「おっと、いけねえ。」とすぐギターをアンプから離して終わりです。しかし、ジョンは、これは面白いと作品に取り入れたんです。しかも、シングルA面のヒットを狙う大事な曲でやるんですから、天才のやることは凡人にはうかがい知れません。

 

以前にも解説しましたが、サウンドを加工しようと最初に考えたのはジョージですし、実際、「アイ・ニード・ユー」でヴォリューム・ペダルを使用して効果を引き出しました。しかし、それは幻想的な雰囲気をもたらすという効果を上げるという点でまだ許容範囲といえましたが、いきなりイントロで雑音をぶち込むなんて大胆な発想は、流石にジョンでなければ思いつかなかったでしょう。

 

ただ、当時のEMIは、ミュージシャンの収録に関する厳しいコードがあり、フィードバックのような雑音をレコードにすることは禁止していたんです。しかし、ビートルズは、それを無視して強引にねじ込みました。

 

やむを得ず、EMIは、収録時にジョンがうっかりミスしたのをそのまま使ったとアナウンスしました。解散後の1973年にリリースされたいわゆる「赤盤」に添えられたライナーノーツには、まだそう書かれていたと思います。

 

ジョンは、1980年にインタヴューで「ヘンドリックスよりもフーよりも、誰よりも先にフィードバックをレコードにしたんだ。」と語っています。彼が名を挙げたアーティスト以外にもジェフ・ベックブライアン・メイなど、世界中のアーティストたちが、これを取り入れました。

 

そして、ジョンは、この作品で初めてリフから曲を作ろうと考えたのです。彼は、アルバムの全作品にリフを取り入れようと他のメンバーに提案したのですが、彼らはジョンの好きにやったら良いとは返事したものの、実際には収録は殆ど終わっていたので実現しませんでした。

これもアマチュア・ギタリストの演奏を観てみましょう。上がジョン、下がジョージのパートです。バレーで弦を押さえてコードを弾きながら、残りの指を巧みに使ってメロディーも弾いています。指の力もいるし、小指を相当伸ばさないといけません。ジョージも同じようにやってますが、お互いリード・ヴォーカルとコーラスをやりながらですからね。

 

間奏でジョンのリズム・ギターがメロディーを弾きながら下降していくところがカッコいいです。

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(続く)

(参照文献)THE BEATLES MUSIC HISTORY 

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(号外)ジェフ・ベックの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を聴いて来ました!

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ジェフ・ベックの大阪ライヴを観て来ました。デビッド・ボウイも亡くなったし、今観られるチャンスがあるものは、しっかり観ておこうと思ったんです。 

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彼は、良くこの曲をセットリストに入れているようです。アンコールの2曲目、ジェフ・ベックのギターから奏でられる「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を聴く。ビートルズファンにとっても、ジェフ・ベックファンにとっても、正に至福のひとときでした╰(*´︶`*)╯♡あの名曲をベックがアレンジするとこうなるのかと感激しました。なお、これは今日のライブの動画ではありません。

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私は、ビートルズのオリジナルは当然好きなんですが、他のアーティストのカヴァーも好きです。ただ、そこにリスペクトが感じられないとNGなんですが、ベックのギターにはそれが痛い程感じられました。スティービーワンダーの「スーパースティッション」も素晴らしかったです。

 

しかし、ギタリストって歳を取らないんでしょうか?彼も72歳ですが、全く年齢を感じさせない華麗なテクニックに酔いしれました。

 

彼は、ピックを使わないいわゆるフィンガー・ピッキング奏法を採用しています。双眼鏡で右手の親指のダウンストロークを食い入るように観ていましたが、どうやったらあんな高速のピッキングができるのか分かりませんでした。何しろ2階席だったもんで(^_^;)

 

彼は、代名詞であるトレモロアームも盛んに使っていました。あ、そうそう、スティール・ギターも使ってましたね。

彼は、ステージの中央から僅かに歩くだけでしたが、そのギターから繰り出されるサウンドは、融通無碍というか、変幻自在というか。その表現力の豊かさには、ただただ圧倒されっぱなしでした。

 

華麗なプレイに酔いしれたまま、あっという間に時間が過ぎ、心地良い余韻に浸りながら、気が付いたら家路に着いていました。

(続く)

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(その107)ジョン・レノンのギター・テクニックについて(その2)

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前回に続いてジョンのギター・テクニックについて具体的な作品を通じて解説します。 

1 ビートルズの演奏テクニックに対する関心の高さ

このブログを書きながらいつも感じるのは、読んで下さっている皆さんのビートルズの演奏テクニックに対する関心がとても高いことです。なぜそれが分かるかというと、ブログのデータを解析すると、上位にズラ~っと4人の演奏テクニックに関する記事が並び、いつも変わらないからです。それ以外だと、「アビイ・ロードでジャケット写真とそっくりの写真を撮ろう!」「ビートルマニアの凄まじさ」「ア・ハード・デイズ・ナイトのオープニング・コードの謎」なども結構人気がありますね。

 

このテーマが難しいのは、ビートルズが実際にどう演奏していたのか、正確に確認できる資料があまり残されていないことです。ビートルズの前期のライヴの映像ではメインヴォーカルをカメラで抜くことが殆どで、ギターやベースの手元はあまり抜いていないですし、後期に入るとライヴ自体を止めてしまいましたから。

 

また、彼らは、歌詞は書きましたが、譜面には落とさずコードだけを書いていたんです。後はスタジオで実際に演奏しながら曲を作り込んでいきました。ともかく、60年代って、今では信じられない位アバウトでしたから、ちゃんと記録を残しておくという習慣が無かったんです。

 

ですから、彼らが実際にどう演奏したのかは正確なことは分からないんです。同じサウンドを出すにも色々な方法がありますから、そのどれを実際に選択したのかを特定するのは難しいんです。それどころか、作品によっては、誰がギターやベースを演奏していたのか、なんてことが未だに議論されていますから。

 

色々と解説しておいて実際には異なる奏法だったかもしれない、なんてちゃぶ台返しかもしれませんが(^_^;)、その辺りはご容赦下さい。  

 

2 アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア

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ジョンのジャンキーなリズム・ギターが冴えている作品です。ポールの「ワン、ツー、スリー、フォア!」のカウントが終わるやいなや、メンバー全員が全速力で一気に突っ走ります。

 

ビートルズは、こんな完成度の高い作品を既に下積みのキャヴァーン時代に完成させ、演奏していたんですから恐れ入ります。しかも、かなりアップテンポな曲にもかかわらず、3人がヴォーカルをやりながら演奏するんですからね。

 

ジョンのギターは、「ジャラ〜ン」と単にダウンストロークするのではなく、アップとダウンを繰り返しながら、「ズズズズン、ジャッ、ジャッ、ジャッ」と、ブリッジミュート(ギターのブリッジの所で右手を使ってサウンドを消す)を使いながら、歯切れよくストロークしてあのノリを作っています。ピックを弦に叩きつけるようなちょっと乱暴な感じですが、これが独特のジャンキーなフィーリングを生んでいるんですね。この辺りは、チャック・ベリーの「ロール・オーヴァー・ベートーベン」のリズム・ギターの弾き方に近いかもしれません。

 

また、解放弦を巧みに使って作品全体にパワーを与えています。Bメロでは左手の小指を巧みに使って、チャック・ベリーっぽいロカビリー風のサウンドを出してます。ここでは、右手のピッキングがかなり忙しくなります。

 

これもアマチュア・ギタリストの演奏を参考にしてみましょう。

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作品自体の素晴らしさに加え、ポールのヴォーカルとベースランニング、ジョージの軽快に走るリードギターと粋なソロ、リンゴのスネアを使ったパワフルでスピーディーなドラム(特にワシントンコロシアムでのライヴは圧巻)、正にFAB4オールスターズが生んだ傑作です。

3    ユー・キャント・ドゥ・ザット

印象的なギター・リフは、作品のイメージをリスナーの脳裏に刻み込むというロックでは欠かせない要素ですが、ビートルズはこの作品でそれを取り入れています。そして、これ以降の作品、例えば、「アイ・フィール・ファイン」「デイ・トリッパー」「ティケット・トゥ・ライド」などの作品でも盛んに用いるようになりました。

 

ギターに限らずピアノでもそうなんですが、リフに関しても彼らは、実に素晴らしい作品を数多く残しています。ビートルズとしては、恐らく「マネー」がリフを効果的に使った最初の作品ではないかと思います。

 

もちろん、ポピュラー音楽の世界では、以前からリフを入れることは行われてきましたが、それを効果的に使って普及させたのは、ビートルズが初めてではないかと思います(違ってたらすいません)。

 

実際、60年代に入ってから、リフを効果的に使った作品が目立つようになりました。典型的なのは、ローリングストーンズの「サティスファクション」ですね。キース・リチャーズがリフと出だしを作り、残りはミック・ジャガーが作りました。リフから先に作るなんて、当時ではあり得なかった発想です。

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これはライヴの映像ですが、ジョンが自分のヴォーカルが終わって間奏に入ると勘違いして、「アオ!」とシャウトした後にポールとジョージがコーラスを続けているので、「え?まだオレのヴォーカルだっけ?」と慌ててマイクに向かうところが笑えますね(笑)

 

ポールとジョージを2度見して、半笑いでヴォーカルを続けてます。幸いなことにポールもジョージも演奏に集中していて気づかなかったようで、「やれやれ、上手くごまかせたぜ(^_^;)」って思ってたんでしょうね。

 

こんな風にジョンは、ライヴで間違えることはしょっちゅうでした。どうせ、観客の絶叫で殆ど聴こえてなかったんですがね。

それはともかく、ジョンは、ジョージのアルペジオで始まるイントロに続いて、「ジャ~ン、ジャッ」ってな感じでリズムを刻んでいますが、これがたまらなくカッコいいですね。シンコペーションを巧みに使ってノリを出しています。ジョンのリズムギターの中では、これが最高傑作だとする人もいます。

 

彼は、1964年にこう語っています。「オレは、いつもはリズム・ギターに魅力を感じていた。でも、偶にはリード・ギターもやりたいと思う時があった。この曲がそうさ。」

 

ジョンは、リズム・ギターの要素を兼ね備えた、ジョージとは全く異なる荒々しいソロを叩き出しました。リズム・ギターの要素を取り入れた力強いストロークで、ダブル・チョーキング(2本の弦を同時にチョーキングする)を入れるなど、ジョージのカントリーっぽい繊細なソロとは全然違うワイルドな感じですね。「この野郎!」ってな感じで、2本の弦をギュイーン!っと引っ張っています。

 

その荒々しさが、恋人に対して「今度あの男と口を聞いたらタダじゃおかねえからな。」なんて物騒な歌詞にもピッタリ合ってます。

 

「気が向いたらソロもやった」というのは、この時のことも含んでいるのでしょう。リズムに関してもジョージが几帳面に刻むのに対して、ジョンは、はずしてしまうギリギリのタイミングで荒々しく刻んでいます。

 

これもアマチュア・ギタリストの演奏を参考にしてみましょう。

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ジョンは、この時リッケンバッカー325というネックが短いショートスケールを使っていました。このギターは、ハイポジションになるとフレットが詰まっていてとても弾きにくいんです。ジョンみたいながっしりとした体格で、手の大きな人が弾いたらさぞ弾きにくいだろうという、そもそもリード・ギターを弾くには不向きなギターです。

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それを彼は、コードを巧みに入れながら弾いているのですから、やはり只者ではありません。しかも、リード・ヴォーカルをやりながらですからね。

 

そして、ジョンは、ジョージの12弦リッケンバッカーのリード・ギターも褒めています。「ピアノみたいな感じでなかなかイカすだろ?」エンディングがリード・ギターとベースのユニゾンになっているところも特徴的で、ジョンは、この点を自慢していました。リタルダンド(演奏のテンポを次第に落としていく)で余韻を残して終わるところもなかなかシャレています。

(続く)

(参照文献)THE BEATLES MUSIC HISTORY 

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(その106)ジョン・レノンのギター・テクニックについて(その1)

1 ギタリストとしてのジョンはどうだったのか?

 

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これまで、リンゴ・スターのドラム、ポール・マッカートニーのベース、ジョージ・ハリスンのギターについて、それぞれテクニックを解説してきました。いずれも過小評価されがちなテーマであり、それを払しょくしたいと思ったからです。それならジョン・レノンのギター・テクニックについても解説して欲しいとのリクエストを頂きました。

 

確かに、他の3人を話題にしておいて、リーダーのジョンをスルーするわけにもいきません。

 

しかし、これは正直ちょっと難題です(^_^;)何よりジョン自身が、ギターワールド誌のインタヴューに応えて、「オレは、そんなにたっぷりギターの腕前を披露する程のギタリストじゃない。ジョージの方がオレより上手いから、リード・ギターは彼に任せてたよ。まあ、気が向いた時にはリード・ギターもやったけどね。」と語っているんです。

 

本人がギタリストとしての自分のスキルをよく分かってたんですね。それに彼は、ライヴでメインヴォーカルをポールとほぼ半々にやってましたから、なおさらギターを弾きながらというのは難しかったのです。実際、ジョンもステージではコードを間違えたり、ストロークをものの見事に空振りしたりと良くミスってましたし(笑)

 

でも、リーダーなので誰もそれを指摘できなかったんですね。いや、だからといって彼のリズム・ギターがダメだったのかというと、そんなことは決してありません。それをこれから説明します。

 

2 リズム・ギターとは?

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ジョンは、ビートルズ時代、主にリズム・ギターを担当していました。じゃあ、そもそも「リズム・ギターとは何か?」というところから説明した方が良いかもしれませんね。「何のためにギターが2本必要なんだ?」ってことです。リード・ギターの方がメロディー・ラインやソロを演奏したりして目立つのは事実です。

 

しかし、バンド全体のノリを作るのはリズム・ギターの役割です。ですから、「リズム・ギターがリード・ギターにおんぶにだっこ」してもらってちゃダメなんです。むしろ、「ギター・パートの3分の2はリズム・ギターが担当している」と言っても過言ではありません(リード・ギタリストの皆さん、ごめんなさい。その代わり、目立ちますよね?)。

 

したがって、優れたリズム・ギタリストは、コードとリズムをよく理解し、リズムセクションを担当するドラムやベースとしっかり協調しながら、ヴォーカルを支えなければなりません。言い換えれば、メロディー・セクションとリズム・セクションの繋ぎ役になり、バンド全体をコントロールするという重要な役割を担っているんです。

 

ただ、リード・ギターが間違えるとバレやすいですが、リズム・ギターは目立たない分、ごまかしが利くことはあるかもしれません。

 

3 リード・ギターとは?

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では、逆にリード・ギターの役割は何でしょうか?ある意味、リード・ギターはヴォーカルを除いて楽器の中では最も目立つ存在です。それだけに、ヴォーカリストを除けば、リード・ギタリストでバンド全体のスキルが評価されてしまうという地位にあります。ビートルズでは、ジョージ・ハリスンが主に担当していました。

 

特に、即興でのソロは、腕の見せ所です。独創的なソロを決めれば、これ程カッコいいプレイはありません。また、リフやフィルで聴かせ所を作ることも求められます。ですから、「リード・ギターは目立ってカッコいいけど、リフやフィル、ソロなどで独創性が求められる。リズム・ギターはリード・ギターよりは目立たないけど、バンド全体を支える重要な役割がある」ということです。

4 ギターに明確な役割分担をさせたのは誰が最初?

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2本のギターをリード・ギターとリズム・ギターと、それぞれ明確に役割を分担させたのはビートルズが最初ではないかと思ったのですが、バディー・ホリー&&ザ・クリケッツがギター2本とベース、ドラムでバンドを編成したのがどうやら最初のようです。当時は、ロックでもいわゆるビッグバンドスタイルが主流でした。チャック・ベリー、リトル・リチャード、エルヴィス・プレスリーなどですね。

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しかし、バディー・ホリー&&ザ・クリケッツはそんなバンドを編成する資金がなかったので、4人のバンドメンバーだけで演奏することが多く、自然にそのスタイルに収まりました。ですから、意識的にそうしたというよりは、そうせざるを得なかったというのが真相のようです。ビートルズがこのスタイルを取り入れたんですね。ポールもそれを認めています。

 

このように、バディー・ホリーがビートルズや後輩のアーティストたちに与えた影響には多大なものがあります。ビートルズもお金はありませんでしたから、自分たちで演奏するより他なかったんですが、やがて、これがポピュラー音楽界の主流となりました。

 

ただ、ビートルズがバディー・ホリー&&ザ・クリケッツと決定的に異なるところが一つあります。バディー・ホリー&&ザ・クリケッツはその名が示す通り、バディー・ホリーのワンマンバンドだったのに対し、ビートルズは後にFAB4と呼ばれたように4人がそれぞれ重要な役割を果たし、脚光を浴びたことです。

 

もっとも、ギターの役割分担とはいっても、そんなに明確な区分があるわけではありません。例えば、ザ・フーピート・タウンゼントは、リード・ギターもリズム・ギターも両方演奏しましたから。 

5 ジョンのリズム・ギターの特徴

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前述したように、リズム・ギターはそもそも全体のまとめ役なので、そんなに華々しい役割ではありません。しかし、バンドの持つグルーヴ感は間違いなくリズム・ギターが作り出します。ただ単にコードをストロークしていれば良いというわけではありません。

 

リード・ギターがいくらカッコよくソロを決めても、リズム・ギターがしっかりこのグルーヴ感を出してくれないと、バンドが全然ノレなくなってしまうんです。ジョンの場合、彼のリズム・ギターがビートルズのサウンドに独特のグルーヴ感を与えていました。

 

とにかくジョンっぽく決めたいと思ったら、ちょっと乱暴な感じで右手首を大胆に使って、ワイルドにストロークすることです。これをテキスト通りにお行儀良くしちゃうと、全然ジョンらしくなくなってしまうから不思議です。テクニックよりは、ノリやフィーリングを重視した奏法ですね。

 

6 具体的な作品

では、具体的な作品を通して解説しましょう。なお、解説の都合上、リズム・ギターもリード・ギターも併せてご紹介します。

オール・マイ・ラヴィング

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ジョンのリズム・ギターといえばこれと言って良い程、代表的な作品です。決め手は一拍三連符で、これが何とも絶妙に作品にマッチしています。アンチの人たちは、「あれぐらいアマチュアでも弾ける」と良く批判しますが、違うんですよ。弾けることも重要ですが、それ以上にあの作品にこの三連符を合わせるという発想が凄いんです!

 

まあ、それまでのギタリストだったら、普通にコードストロークで済ませていたでしょうが、そこをアクティヴなピッキングの三連符でやるという発想。つまり、独創性ですね。従来の概念を打ち破る奏法です。これこそがジョンであり、ビートルズなんです。

因みに、あの三連符を使わなかったとしたらこんな感じになります。

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ね?あの素晴らしい作品の魅力が半減してしまっているでしょ?並みのギタリストならみんなこんな感じで演奏したでしょう。

 

先ほどご紹介したプレイボーイ誌のインタヴューでジョンに「これはポールの曲さ。悔しいけどね。」と言わしめた程の名曲ですが、それもジョンの三連符が相当盛り立てているからなんですよ。同じインタヴューでジョンは、「でも、オレもバッキング・ギターでかなり貢献したんだぜ。」と自慢しています。確かに、ここは大いに自慢して良いところです。


それぞれの楽器が、単なるヴォーカルのバックバンドではなく、キチンと自分の役割を自覚し、なおかつ独創的なプレイをする。常に同じ場所にとどまらず、野心的に新しいサウンドを求め、かつそれを成功させる。ここがビートルズがそれまでのバンドと決定的に違うところなんですよ。

 

では、オリジナル通り三連符を取り入れた別のアマチュア・ギタリストの演奏を参考にしてみましょう。

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先程の三連符を使わない演奏と比べると、素人が聴いても分かる程差がついてしまうんです。いかにジョンのリズム・ギターが重要であったかがご理解いただけると思います。 

 

他の作品は、また次回に解説します。

(続く) 

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(号外)ポール・マッカートニーのジャパン・ツアーに参加します!

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1 チケットをゲット!

日本のビートルズポール・マッカートニー・ファンが待ち望んでいた、「ワン・オン・ワン ジャパン・ツアー2017」のチケット抽選に当選しました!

 

昨年がビートルズの武道館コンサート50周年ということで、密かにポールの来日ライヴがあるのではと期待したのですが、残念ながら実現しませんでした。ただ、昨年のかなり早い時期から湯川れい子さんがポール側と交渉中だという情報はキャッチしていたので、時期はいつかは分からなかったものの信じて待っていたんです。

 

すると2016年12月に入り、「ポールが紅白歌合戦にサプライズ出演する」との噂を耳にし、まさかとは思いつつチャンネルを合わせて今か今かと待ち構えていました。すると、突然の登場!やった。あの噂は本当だったんだ!そして、はっきり来年は日本でライヴをやると約束してくれました。

 

そして、チケットの抽選が開始され、矢も楯もたまらず申し込みました。結果発表は2017年1月13日、時間は午後6時頃と聞いてドキドキしながら待っていました。するとメールが着信。結果を見ると当選!やったあ~!また、ポールに会える!

2 2015年の日本武道館でのライヴ

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毎回「もうこれで見納めか。」と思いつつ、脳裏にしっかりと彼の姿をそしてサウンドを刻み込もうと必死でした。スマホ等での撮影はOKなんですが、撮影していると音楽を楽しめないし、撮影するか演奏に集中するか、二者択一を迫られながらのライヴでした。

 

振り返れば2014年はチケットをゲットしたものの、ポールが急病でキャンセル。そして、翌2015年に再び来日したものの、日程が仕事とモロに被ってしまい泣く泣く諦めました。「もうポールには会えないかもしれない。」そんな絶望感に打ちひしがれたのです。

ところが幸運の女神は、私を見放していませんでした!何と日本武道館での追加公演が急きょ開催されるとアナウンスがあったのです。しかも、その日程なら仕事の都合も付きます。チケットはとても高かったのですが、「これが最後かもしれない」と必死の想いでゲットし、日本武道館へ。会場へ着いて席に座り、「49年前に1万人のファンがここに座って、目の前でビートルズを観てたんだ」そう思うと胸がジ~ンとしました。

 

ポールにとっても49年振りの武道館で、想い入れが強かったのでしょう、何度も「ブドーカン!」とシャウトしてました。1966年にも演奏した「ペイパーバック・ライター」を演奏するといういきな計らい。しかも、さらに嬉しいことにライヴでは世界初の演奏となった「アナザー・ガール」を聴くことができたのです!

 

私の席は右端に近いところだったため、ベースやギターの時はポールの横顔、キーボードを弾く時はポールの背中しか見えませんでした。それにセットリストも東京ドームや京セラドームよりも少なめ。それでも生のポールを観られて幸せでした。

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リンゴもそうですが、ポールもユーモアの精神に溢れています。目の前の観客を指さして「君、49年前にも来てたね。顔を覚えてるよ。」と。いやはや、そのパフォーマーとしてのプロ意識の高さには敬服するのみです。

「007死ぬのは奴らだ」の時は、定番のファイアがド~ンと燃え上がり、熱さで一瞬顔がほてりました。

 

そして、スタッフから事前に渡された発光するリストバンドがありました。「レット・イット・ビー」の時にみんなで一斉に発光させて手を振りました。以前はファンが呼びかけてやったのですが、そのサプライズにポールが大感激したエピソードを踏まえ、今回はプロモーター側でサプライズを演出したのです。やはり、ポールは感激してくれました。

 

彼は、それまで1回のライヴでアンコールも含め36曲位演奏してきました。いくらビートルズ時代の曲が短い曲が多かったとはいえ驚異的な多さです。しかも、その間、アンコールの前に一度下がった以外は、休憩もせず水分補給もせず出ずっぱりでした。

3 一期一会

ポールは、最近、引退をほのめかしたこともありました。「観客の前で満足のいくパフォーマンスができなくなったらもうステージには立つべきでない。」実際、彼の年齢からしても今なおステージでパフォーマンスしていること自体が奇跡に近いです。

 

今回は前回よりさらに歳を重ねたこともあり、同じようなパフォーマンスをしてくれるかどうかは分かりません。会場を東京ドームだけにしたのも健康に配慮してのことでしょうから、セットリストの曲数も減るかもしれませんがそれでもかまいません。

 

「一期一会」この言葉を胸に刻みつつ東京ドームへ行きます。ライヴのチケットをゲットした皆さん、東京ドームでお会いしましょう!

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(その105)ビートルズのテレビ出演(その3)

1 マザー・テープの素晴らしいクオリティ

この時のことについて、ワイルドはこう語っています。

 

「偶然にも私の父のジェフ・ワイルドも当時キャヴァーン・クラブで演奏していて、オープンリール・デッキを持っていて、まだ十分使用できたので再生することができた。その瞬間、これはあまりにも単純な見落としであり、アンソロジー・プロジェクトの制作者はこのテープを見落としたんだと感じた。」

 

「我々は、2台のカメラをセットし、私はゴム手袋をはめてテープをうやうやしく箱から取り出し、デッキにセットした。ハンプの家族が固唾をのんで見守る中で、私の心臓の鼓動は激しくなり、気分が悪くなりそうだった。その瞬間、いきなり私がかつて聴いたことのある中で最もダイナミックなライヴ演奏が始まったのだ。これは、バトラーが3本のマイクで収録した『サム・アザー・ガイ』であることを証明するものだった。」

 

「公正な立場に立っていえば、近年、我々が過去の作品として聴いてきた物の中でも、デジタルリマスターされた物に匹敵すると書いて差支えないだろう。楽器もヴォーカルもクリアに聴こえ、キャヴァーンの雰囲気すら感じることができた。私の父がかつて演奏していたキャヴァーンと同じ雰囲気を感じて、私は喜びのあまり涙をこぼし、ハンプの息子のアシュリーと5時間を過ごした後、ハグしたよ。」

 

「これは歴史的瞬間であり、我々はテープを再生して何の問題もなかったことに安堵の溜息を洩らした。そして、テープは、演奏後にジョンが良くやっていた『こいつは、もう1回やらなきゃダメだろうな。』という皮肉っぽいセリフで終わっていた。これは、バトラーが再度収録したものの、やはり満足のいく仕上がりにはなっていなかったことを示すものであり、何よりジョンのこの言葉にそれが現れている。」

 

「ハンプは、すぐさまこのテープをオークションに掛け、その売り上げを寄付することに決めたのだ。ブライアンは、このマザーテープをアセテート盤にダビングしたものを所有していたが、音質はテープには及ばなかった。」この写真は、テープの写真を手にするハンプとワイルドです。

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ビートルズに関しては、50年以上の長きに亘り、世界中の人々が研究し、文献を残し、アイテムを収集してきました。もう彼らについての記録もアイテムも何も残されていないかにみえましたが、そうではなかったのです。

 

後知恵かもしれませんが、何故、もっと早くハンプに直接取材しようと誰も考えなかったのでしょうか?彼がまだ生きていたから良かったようなものの、もし、亡くなっていたら彼の遺族によって他の遺品と一緒に処分されてしまっていたかもしれません。

 

2    実質的なテレビ初出演 

そして、彼らがEMIと契約し、「ラヴ・ミー・ドゥ」をリリースした後、ハンプは、グラナダテレビで1962年10月17日放送の「ピープル・アンド・プレイスィズ」に彼らを出演させることを決め、今度は本当にミュージシャンとして演奏することになったんです。リハーサルは午後3時から4時の間に行われ、マンチェスターグラナダテレビセンターの第4スタジオから午後4時15分から6時にかけて放映されました。

しかし、前述のように1回目と2回目はこの後で放映されましたから、実質的にはこちらの方がテレビ初出演ということになります。それに前回は、あくまでもローカルニュースの中で「今話題のバンド」という扱いでしたが、今回はバンドとして演奏したのですから、これが本当の意味でのテレビ初出演ということになります。

 

この時、ビートルズは、「ラヴ・ミー・ドゥ」と「サム・アザー・ガイ」の2曲を演奏しました。そうです、あの記念すべきデビュー曲のラヴ・ミー・ドゥがこの時、初めてテレビで放送されたのです!しかも、この時は収録ではなく生放送だったようです。

 

これは、出演に際してリンゴがグラナダTVと交わした契約書です。本名のスターキーになってますね。おそらく、彼がまだビートルズのメンバーになったばかりだったので、個別に契約が必要だったのかもしれません。

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グラナダTV(現ITV グラナダ)は、3チャンネルでイギリス北西部のローカル局でした。「ピープル・アンド・プレイスィズ」は、イギリス北部のローカルニュースを放送する番組でした。

 

先にお話ししたように、彼らは既に1962年8月22日と9月5日に同じテレビ局の収録をしていましたが、これは出演というよりは今話題のミュージシャンというローカル・ニュースの扱いでした。後にこの番組の名称は、「シーン・アット・6:30」に改められます。プロデューサーのハンプは、実際にハンブルクビートルズのパフォーマンスを観たことがありました。

ジョージの女友達だったアイリス・コールドウェルは、こう語っています。

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「放送が終わると直ぐにジョージが私の母に電話してきて『どうだった?』って聞くのよ。すると母は、『良かったけど、あなた、印象が薄いわよ。もっと笑顔を見せないとうまくやっていけないわよ。』と言ったわ。そしたら、次に彼は『今度は笑ってみたよ。これでいい?』母『前よりは良くなったけど、もうちょっと笑顔を見せた方がいいわね。』母は、彼らに正直にアドバイスしてたの。」

 

ジョージは、後に「クワイエット・ビートル(静かなビートル)」と呼ばれることになりましたが、もうその兆しがこの頃から現れてたんですね(笑)

 

そして、ビートルズは、「ピープル・アンド・プレイスィズ」「シーン・アット・6:30」に11回、キャヴァーンでのライヴとマンチェスターグラナダTVのスタジオでの放送局での収録で出演しました。何回かは生でしたが、それ以外は口パクだったようです。

 

「ピープル・アンド・プレイスィズ」は、彼らが初めて出演したテレビ番組ということもありますが、元々地元のローカル局だったので親しみがあったんですね。ビートルズは、マンチェスターにあるグラナダ・テレビ・センターへ行き、カメリハを午後3~4時、4時15分~6時にやりました。そして、番組は午後6時35分~7時に生放送されました。

 

これが貴重なその時の写真ではないかと思われます。

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3 放送もブレイクに貢献した

この日の放送は、前後にキャヴァーンでの演奏が放送されました。ブライアンは、当時のことを振り返り、ビートルズは、このローカル局での放送を無いよりはましだ位に考えていたと語っています。全国放送ではないので、一部の地域でしか見られませんからね。彼らは、もはやこの程度では満足せず、ヒットパレードに名前が揚がり、売れることを熱望していたのです。

 

とはいえ、「ピープル・アンド・プレイスィズ」に出演できたことは、デビューとしてはまずまずだったといえるでしょう。いや、それどころか後述しますが、これが彼らをブレイクさせる大きなきっかけとなったんです。

 

この番組のプレゼンターはゲイ・バーンでしたが、ジョンは、「ラヴ・ミー・ドゥ」を演奏した後、彼にとても感謝しました。というのも、流石のビートルズも初のテレビ出演で緊張していて、何台もの真っ黒なでかいカメラが迫ってくることに恐怖心を覚えていたのですが、彼がうまくリラックスさせ、勇気づけてくれたからです。

 

テレビで放送された結果、「ラヴ・ミー・ドゥ」は、特にイギリス北西部で大きく売り上げを伸ばしました。この放送が、曲のチャートを押し上げることにかなり貢献したのではないでしょうか?レコードがリヴァプールなどのイギリス北西部で多く売れたことがこの事実を裏付けています。なお、以前にもお話ししましたが、ブライアンがレコードを買い占めたというのは単なる都市伝説に過ぎません。


ビートルズの初出演は、台本通りにはいきませんでした。というのも彼らは、放送の終了まで終始おどけていたからです。彼らは、出番が終わるまでじっと立ったままでいるのは、あまりにも生真面目すぎると感じたのです。それで、彼らは、ジャンプして「ハロー、マム!」などと叫んでいました。

 

これは生放送だったんですが、テープには収録されませんでした。したがって、残念ながら映像は残っていません。まだ家庭にホームビデオがない時代でしたから、誰もこの放送を録画した人はいませんでした。「サム・アザー・ガイ」は、その後スタジオで収録されることもなく、貴重な口パクではない生演奏だったと思われます。

 

マーク・ルイソンによると、この時の彼らのパフォーマンスはとても素晴らしいもので、おまけに曲と曲の間に何とリンゴがギターをかき鳴らして繋いでいたんだそうです。いやあ、惜しいなあ~。

 

これは、1962年10月29日に放送された音源の一部です。

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この曲は、この後も何度か演奏されましたが、殆どが生演奏だった可能性が非常に高いです。当時、それを観た人の記憶に残っているだけです。もし、この時の映像が発見されたら、例え、それがテレビ画面を8ミリビデオで録画した物であったとしても、とんでもない値段が付くでしょうね。

 

あ、でも、ありましたありました。映像ではないんですが、アドリアン・キレンという16歳の少年が、オープンリール・テープで当時の放送を録音していたんです。このテープは、現在アップルが所有しています。

 

ビートルズの才能を見抜いたハンプは、彼らをこの番組にレギュラー出演させることにしました。この事実も彼らのその後のブレイクに大きく貢献したことは間違いありません。

(参照文献)WogBlog, BEATLES MUSIC HISTORY,THE SOURCE

(続く)

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(その104)ビートルズのテレビ出演(その2)

1 ようやくテレビで放送される

「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!のオリジナルは、リトル・ウィリー・リトルフィールドが制作しました。それをリトル・リチャードがカヴァーし、さらにそのヴァージョンをビートルズがカヴァーしました。ビートルズがリチャードのヴァージョンをカヴァーしたことは、1959年にそれがリリースされた時にHey-Hey-Hey!が付け加えられたことからも分かります。ビートルズは、遅くとも1961年のドイツのハンブルク巡業の頃にはこの曲をレパートリーに入れていました。

 

「Cansas City」のテープが終わると、クルーは撮影が終わったとビートルズに告げました。バトラーは、この時のライブの他の曲も収録したようですが、どうやら「Some Other Guy」と「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!」の2曲だけが生き残ったようです。後者は、1995年に「アンソロジー・ドキュメント」としてリリースされました。しかしながら、最初の1分間を聴くと、ピッチが遅く、ビートルズとマネージャーのブライアン・エプスタインがキャヴァーンでの思い出を語る声が被ってしまっていました。

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この約1か月後に、ビートルズは、記念すべきファーストシングルの「Love Me Do」をリリースし、レコード・デビューを果たします。この瞬間、彼らは「レコードを出していないプロ」から「レコードを出したプロ」にランクアップしたのです。

 

でも、まだこの頃は、彼らにはキャヴァーンで演奏するという契約が残っていました。彼らはそれから次々とヒットチャートNo.1を獲得し、やがてキャヴァーンを卒業することになります。もう少し、この頃の映像が残っていれば良かったですね。

しかし、再度収録したにもかかわらず、やはり、画質や音質が悪いため「Know The North」では放送されませんでした。その頃ビートルズは、まだ国民的なスターではありませんでしたから、放送されなかったとしても仕方なかったでしょう。ただ、幸いなことにこのフィルムは廃棄されることはなく、その後にビートルズが世界的なアーティストとなった時に、貴重な記録として残されたのでした。

 

グラナダ・テレビは、暫くテープの放送を見送っていましたが、ビートルズの人気が高まるにつれ、ようやく1963年11月6日に「シーン・アット・6:30」という番組で「Some Other Guy」を初放映しました。反響が大きかったのでしょう、グラナダ・テレビは、それ以降何度も繰り返し放送しました。番組名が変わっていますが、名前が変わっただけで同じ番組です。

 

2 テレビ業界で初めてビートルズを発掘した人物

実は、このグラナダテレビのシーン・アット・6:30という番組、地方のローカル局の番組と侮れないなかなかの目利きだったんです。ビートルズを始め、その後もハーマン・ハーミッツ、ホーリーズ、ザ・キンクスザ・フー、シーラ・ブラック、ローリング・ストーンズなどがここを訪れ、最新のレコードを視聴者に披露し、どこよりも早くイギリス北西部でブレイクするきっかけを作ったのです。

 

その立役者は、プロデューサーのジョニー・ハンプでした。彼は、ミュージシャンの資質を見抜く才能を備えていたのです。彼は、多くの才能ある若いミュージシャンを発掘し、彼らを勇気付け、テレビへ出演させたのです。以前、BBCラジオのピーター・ピルビームが業界人として初めてビートルズに着目したことを紹介しましたが、テレビ業界でビートルズに最初に着目したのはハンプです。やはり、何が一流かを見極める能力はこの業界で勝ち残るためには必須なんですね。彼は、テレビにおける音楽番組の黄金時代を築き上げた人物の一人です。

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グラナダテレビは、1984年1月1日に「ジ・アーリー・ビートルズ」と題するドキュメンタリーを放映しましたが、その時に使用された映像は、この最初のものではないかと考えられています。そして、市中で出回っているのは、この時放映された映像を録画したものではないかと言われています。

 

最初に収録された画像では、観客の側からのワンショットのみで撮影されています。しかし、その後出回っている画像は、左右にズームインしたりアウトしたりパンしたりしています。こういった違いがこの映像に関して様々な議論を生む要因になっています。

3    アセテート盤へのダビング

放送を観たブライアンはとても感激し、バトラーに依頼してテープから5枚のアセテート盤をプロモート用にダビングしてもらいました。(その10)でも少し触れましたが、A面が「Some Other Guy」、B面が「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!」です。このうち1枚をキャバーンの支配人のレイ・マックフォール、2枚をブライアン、1枚をキャヴァーンのDJのボブ・ウーラーに渡しました。

 

しかし、ウーラーは、保管していたアセテート盤を1993年に盗まれてしまいました。そして、同じ年にクリスティーズのオークションで16,000ポンドでアップルが落札しました。それがウーラーのものだったのかどうかは分かりません。それは、分割され、アンソロジーのTVシリーズに使用されました。

 

ところが、どういうわけか2013年7月の最後の週にインターネットに投稿があり、アセテート盤からノーマルのテンポに編集された曲が流れたのです。一体、誰が編集して投稿したんでしょうか?アップル内部の関係者でしょうか?

 

それにしても残りのアセテート盤は誰が所有しているんでしょうか?いつかオークションに出品されるかもしれませんね。ジョンのギターもそうですが、こういうお宝って突然現れたりしますからね。

 

4 マザー・テープの発見

その例として、アセテート盤ではなくオリジナルのオープン・リール・テープが、プロデューサーだったジョニー・ハンプの机の引き出しから2015年に発見され、リヴァプールでオークションに掛けられ、アップル・レコードが16,500ポンドで購入しました。ね、こんなこともあるんですよ。そのテープがこれです。箱に「THE BEATLES SOME OTHER GUY」とありキャヴァーン、1962年9月5日の日付とバトラーのサインがあります。

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このテープが発見されたのは本当に偶然でした。2014年5月のことです。音楽歴史家のポール・ワイルドは、ハンプが1960年代の音楽、特にテレビ番組で残した偉大な功績について取材していました。

 

取材中にハンプが「そういえば、こないだ机の引き出しを開けたらこんな物が見つかったよ。」と、ワイルドにある物を見せたのです。ワイルドは、目を疑いました。えええ〜〜っ、マジか⁉️これ、「Some Other Guy」のマザー・テープじゃん!(◎_◎;)アセテート盤があるのは知ってたけど、マザー・テープがあるなんて初めて聞いたよ!

 

もちろん、彼は、ビートルズの歴史についても熟知しており、彼らのキャヴァーンでのライヴが1962年8月25日と9月5日に2度に亘って収録されたことも知っていました。しかし、誰に聞いても9月5日に収録されたテープは紛失されたと信じられてきたんです。その「幻のお宝」がひょっこり目の前に現れたことがとても信じられなかったのです。まさか、50年もの間ハンプの事務所の机の中にあったのに、誰もそのことに気づかず今頃現れるなんて。

 

このお話の続きはまた次回に。

(参照文献)The Beatles Rarity, the beatles in manchester, THE SOURCE

 (続く)

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(緊急速報)ポール・マッカートニーが紅白歌合戦にサプライズ出演し、2017年の来日コンサートを発表しました!

ブログをご覧の皆さん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 

1 嬉しいサプライズ

何と、ポール・マッカートニーが2016年12月31日に放映されたNHK紅白歌合戦にサプライズ出演しました!

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Facebookビートルズのファン・グループで、「ポールが紅白にサプライズ出演する」という情報は流れていたのですが、まさかそんなはずはないだろうと半信半疑でした。しかし、万が一があってはならないと、注意深く観ていたのです。

 

そしたら、突然、司会者の元にメモが届けられたかと思うと、2016年はビートルズ来日50周年だったというスクリプトが流れ、その後にポール自身のビデオ・メッセージが届けられたのです。そして、嬉しいことに2017年に来日コンサートを開催することを約束してくれました。

 

いやはや、ビックリするやら嬉しいやら。来日50周年の最後の日の大晦日にこんなメッセージを届けてくれるとは、NHKもなかなか粋な計らいをしてくれたもんです。

 

実は、湯川れい子さんが内々にポール側と交渉して、2017年中に来日コンサートを開催するという話を進めていたという話はかなり以前から知っていたのですが、それがまさかこんな形で公表されるとは思っても見ませんでした。

 

2 来日コンサートの日程

4月27、29、30日に東京ドームで開催されます。残念ながら、今回はその他の都市では開催されないようです。詳しい情報は、ポールのHPに掲載されています。

oneonone-japantour.jp

 

3 東京ドームでお会いしましょう!

それでは、皆さん、東京ドームでお会いしましょう!もう今から楽しみで待ちきれません。今年はとても楽しい1年になりそうです!

(続く)

 

 

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(その103)ビートルズのテレビ出演(その1)

1 ビートルズのテレビ出演

ビートルズは、ラジオだけではなくテレビにも何度も出演しています。今回は、彼らのテレビ出演についてご紹介します。

  

記念すべき初出演は、1962年8月22日、リヴァプールのキャヴァーン・クラブでした。テレビ局のスタジオじゃなかったんですね。もっとも、初出演といってもバンドとして本格的な演奏を披露したわけではなく、あくまでも「今話題の人」といった感じのニュースの扱いでした。126回目のランチタイム・ショーだったと記録にはありますけど、ホントに126回目かどうかは分かんないですよf^_^;

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サラリーマンみたいにタイムカードを押してたわけじゃないですからね。もっとも、いつ頃、何回出演したかは当時の状況からほぼ分かっているので、それ程外してはいないはずですが、そもそもキャヴァーンに出演した総回数自体にも諸説ありますから。

 

撮影したテレビ局は、グラナダテレビというイギリス北部のローカル・テレビ局です。収録は午後からでしたが、ビートルズは、早朝からリハーサルを始めました。


そして、記念すべきなのは、この時に初めて正式にリンゴがビートルズのメンバーに加わったことです。下の写真を見てください。これはおそらくリンゴが正式なメンバーとして撮影された初めての写真と思われます。バスドラムのロゴが「ザ・ビートルズ」ではなく、まだ「リンゴ・スター」のままになっていますね。

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(totaldrumsets)

ランチタイムのパフォーマンスは、だいたい午後12時から2時ごろまで開かれていました。彼らのパフォーマンスは、合計すると218回、そのうちイヴニングタイムは、93回とされています。

ファンからビートルズという成長著しいバンドがいるという手紙を受け取ったマンチェスターグラナダテレビは、「Know The North」という番組の収録で彼らを取材することを決めました。彼らは、1962年7月26日に初めて、サウスポートのケンブリッジホールで彼らのパフォーマンスを見ました。撮影クルーは、照明などをチェックするために8月1日にキャヴァーンを訪れました。

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8月22日、クルーは、リッチー・バレットの「Some Other Guy」を演奏するビートルズを撮影しました。それは良かったんですが、撮影は、ドラマーのピート・ベストがビートルズを解雇された僅か1週間後に行われるという、何とも最悪のタイミングでした。

 

彼がビートルズの中でも最も人気があったため、キャヴァーンはいつもと違う殺伐とした雰囲気に満ちていました。ファンにとってピートの解雇は寝耳に水の話で、不満を抱いたファンが大勢詰めかけていたのです。ファンは、「Pete for ever, Ringo never(ピートは永遠に リンゴは要らない)」「Pete is Best(ピートが最高)」とクラブの入口で口々に叫んでいました。

 

ジョージは、キャヴァーンに入る際にピートのファンだったブルーノという青年に殴られ、目の下に黒いあざを作ってしまいました。これは1962年9月4日にEMIスタジオで撮影された写真です。ああ、可哀想なジョージ!

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この日、テレビ・クルーは、観客側からのシーンしか撮影しなかったようです。色々なアングルでビートルズや観客を撮影したシーンが登場しますが、あれはどうやら2回目に撮影したフィルムを編集したようです。

 

演奏が終わった直後に「We Want Pete!(ピートを出せ!)」と叫ぶ男性ファンの声が収録されています。ジョンは、「イエー!」と言い返していますが、一瞬、表情が強張ったように見えるのは錯覚でしょうか?その時の映像がこれです。

youtu.be

当時、グラナダ・テレビのプロデューサーだったジョニー・ハンプは、こう語っています。「ビートルズは、キャヴァーン・クラブで初めてテレビ・カメラの前で『Some Other Guy』を演奏した。リンゴは、ただそこにいただけだ。良く注意して聴くと、ファンが『ピートを出せ!』と叫んでいるのが聴こえると思う。」

 

3 放送はされなかった

ハンプは、さらに続けてこう語っています。「ビートルズとは別に、彼らはまた『ブリッグハウス・アンド・ラストリック・ブラスバンド』も撮影したんだが、どちらのフィルムも2つの理由で放送されなかった。1つはあまりにも画質が悪かったからだが、もっと重要な理由は、ブラスバンドが出演者に対し、労働組合に加入していることを要求していたからだ。組合に加入しているバンドは半数近くもあった。だから、結局すべてカットされてしまったんだ。ブライアン・エプスタインは、私に電話してきて何とか放映してもらえないかと頼んできた。」

 

「フィルムの画質なんか今となってはどうでもいい。もし、沈没しつつあるタイタニックのフィルムがあれば、それがどんな代物でもそれだけで歴史的価値がある。」

 

キャヴァーンは地下でしたから、照明が不十分だったんでしょうね。今ならカメラの性能も向上していますから、良い画質で撮影できたでしょう。それと音響も劣悪な環境でした。後年になってリマスターされたフィルムは、綺麗に修正されています。このシーンは、2016年に全世界で公開されたドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」でも使用されました。狭いクラブが観客で溢れ、彼らがビートルズのサウンドに魅了されている様子が伝わってきます。

 

それにしても、当時の組合の圧力ってかなりのもんだったんですねf^_^;バンドのメンバーは労働者階級が多かったわけですから、彼らの権利を守るために組合に加入していないバンドに圧力をかけたのでしょうが、ビートルズ及びファンにとっては不幸な出来事でした。ですから、正確にいうと収録はされたが、放送はされなかったということですね。

 

オリジナルの音声と映像は僅かにずれていますし、ジョンとポールがヴォーカルをやっているのに、ジョンのヴォーカルだけが聴き取れ、ポールのそれは聴き取れません。ビートルズ海賊版のコレクターは、「Some Other Guy」の2つの音声ヴァージョンが出回っているが、いずれもこの日に録音されたのか、それとも後日に音声がダビングされたのかについてずっと議論し続けています。

 

ところで、この演奏を聴いてどう感じますか?我々はその後のビートルズを知っていますから、フラットな立場で聴くことは困難ですが、やはり「大器の片鱗」を感じませんか?テクニック的にはまだまだでしょうが、何かとてつもないものを秘めていそうな。いや、やっぱりビートルズを知ってるからそう思うだけかな。

4 2回目の収録

グラナダ・テレビの音響技術者だったゴードン・J・バトラーは、1回目の収録があまりに不出来だったので、2回目の演奏の収録を行うため、1962年9月5日にキャヴァーンに戻り、この日は1本だけではなく3本のマイクを使用しました。そうすれば、クラブの音響に問題があっても、技術的にクリアできるだろうという判断からでした。ビートルズは、1962年9月5日に行われた2回目の収録で「Some Other Guy」を再度収録するために演奏しましたが、こちらの方が画質も音質も良かったようです。

 

グラナダテレビの撮影クルーは、その他に「Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey!」も収録しました。この曲は、後にEMIでリリースされたビートルズのカヴァー曲の中でも、最も初期のものとして良く知られています。この動画の後半に登場します。

youtu.be

(参照文献)THE BEATLES BIBLE, WogBlog

(続く)


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(その102)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その5)

ジョージのギターが冴えている作品の紹介はいよいよこれが最後です。 

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Beatles By Day)

1    タックスマン

これはジョージの作品であり、傑作の一つといえるでしょう。この作品では、ポールのギターソロに注目が集まりがちですが、実は、作品全体にエキセントリックなテイストを生み出しているのは、他ならぬジョージのギターです。

 

彼のR&Bっぽいリズムギターは、1980年にザ・ジャムがヒットさせた「スタート!」という曲を先取りした感があります。というか、ジャムがインスパイアされたんでしょうね。特にベースに影響が強く感じられます。

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2    アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー

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YouTube

これもジョージの作品です。彼は、ちょっとトリッキーにギターでフェイドインしていますが、これは、「エイト・デイズ・ア・ウィーク」で取った手法と同じです。このギターリフは、まるで遠くで弾いているかのような感覚にリスナーをいざないます。

 

このリフは、ジョージ自身が2回弾いていますが、1回目は聴こえない位にサウンドを抑えめにしてあります。

 

3    オクトパスガーデン

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ジョージのイントロのギターが印象的な作品です。リンゴのほのぼのとした歌詞とヴォーカルにとても良くマッチしています。ジョージは、レスリースピーカーを通して、まるで海中で演奏しているかのような独特のサウンドを提供しています。

 

   サムシング

ジョージがビートルズ時代に作った屈指の名曲であると同時に、収録されたアルバム「アビイ・ロード」全体を通して彼のギターが冴え渡っています。

 

彼のギターは、それまでのどの曲におけるより、甘美な深い味わいを持つラインを奏でています。これは、彼のギターに対する信頼を更に高め、彼の楽器や創造的な音楽との関係をより深めていったのです。

 

惜しいことに、ジョージがビートルズ時代にその真価を発揮したのは、解散寸前になってからでした。彼は、ソロになってから正に「フリー・アズ・ア・バード」鳥のように自由に大空を飛び回りました。彼にその才能を発揮させる機会をもっと与えていれば、あるいはビートルズの解散ももう少し先に延びたかもしれません。いや、むしろ解散は早まったか?何とも言えませんね。

 

ジョージは、「ルーシー」とニックネームを付けて愛用した1957年製のギブソンレスポールをレスリー・スピーカーに繋いで演奏し、アルバム「アビイ・ロード」全体を通して使用しました。

 

彼のプレイは、炎のように燃えたぎるメロディーを奏で、大胆になったかと思えば、ブルースっぽく静かに落ち着いたサウンドも見せました。このアルバムのレコーディング・エンジニアを担当したジェフ・エメリックは、「ジョージは、自分自身のアビイ・ロードに深く入り込んだのだ。彼は、初めて自分の意見を主張し、自分のやりたいことを正確にやることができた。そして、彼は、この美しい曲を作り、我々に素晴らしいギター・サウンドを提供してくれたのだ。」と語っています。

 

5    ヒア・カムズ・ザ・サン

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作品自体も名曲ですが、ジョージのギターが奏でる不思議なフィーリングのコードとメロディーは、ある意味、彼のテクニックを典型的に表していると言えるかもしれません。彼は、アコースティック・ギターの7フレットにカポタストを装着し、シンコペーションを使ったヴォーカルに上手く重ねています。

 

高いポジションでカポタストを使ったことでギターがマンドリンのようなサウンドになるという効果が得られました。これは、ボブ・ディランが「風に吹かれて」で使った奏法です。

6    ジ・エンド
実質的なラストアルバムであるアビイ・ロードのそれも最後にリストアップされ、正にビートルズの最後を象徴するかのような曲です。レコーディング・エンジニアだったジェフ・エメリックは「彼らは、アルバムの最後にパンチの効いた曲を入れる必要性を感じていた。」と語っています。そして、4人の持つすべてのエネルギーがギター・ソロの35秒間に一気に爆発しました。

 

実は、この曲のレコーディングに当たり、ジョンとジョージのどちらがギター・ソロをやるか決めかねていたんです。そこで、ポールが「じゃあ、3人でソロをやろう。」とポールが提案し、彼がまず先行してソロを始め、ジョンとジョージが続きました。まるで嵐のようなギター・ソロが荒れ狂いましたが、信じられないことにこれは生の収録でワンテイクで決めたのです。同じことをもう一度やれと求められてもできなかったかもしれません。

 

もうこの頃には解散する寸前の彼らでしたが、燃えるようなお互いの魂がぶつかり炸裂したんですね。それぞれ思い思いにソロを演奏したにもかかわらず、ピッタリと息が合っています。とても解散寸前だったとは思えません。

 

エメリックはこう語っています。「彼らは、ソロを各自で適当にやるつもりだったのに、結果的には自然にそうしたかのように素晴らしく息が合っていた。ソロを終えると彼らは微笑んだ。この時、私は、彼らがまだ若く、共同で素晴らしい作品を作ってきた頃のことを想い出したのだと思う。」

 

ああ、こんな素晴らしい演奏ができたのに何で解散しちゃったんだろう(涙)

 

7    ワン・アフター909

この作品は、キャヴァーン時代から演奏していましたが、その頃はゆったりとしたテンポでした。こんな感じです。

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ゲットバック・セッションということであの頃をもう一度思い出そうというコンセプトだったのですが、テクニックはその当時より遥かに進歩していて、アップテンポになりかなり難易度の高い演奏になっています。

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ジョージは、間奏で7~10フレットでソロを決めています。それ程フレットでの移動は大きくはないのですが、ハンマリング、プリングオフ、スライド、チョーキングなどのテクニックを多用し、かなり速いフレーズを弾いています。これも隠れた名曲だと思います。

 

8 オールド・ブラウン・シュー

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これもジョージの作品ですが、彼のエキサイティングなリフとソロがバッチリ決まっています。作品自体は、レノン=マッカートニーがこの頃指向していたブルースっぽいサウンドの影響を受けていますが、不協和音を奏でるピアノ、重いサウンドのベースとリズミカルなリードギターが見事な調和を見せています。

 

解散寸前のビートルズを皮肉ったとも取れる歌詞ですが、それとは対照的にジョージのギターが生き生きしている印象を受けます。あるいは、もう解散が近いことを感じていて、やっと束縛から逃れられるという開放感がもたらしたのでしょうか?

 

9    レット・イット・ビー

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ジョージは、ギターを巡ってポールと口論になり、険悪な関係になっていました。しかし、このギター・ソロは、そんなことを微塵も感じさせない素晴らしいサウンドを提供しています。

 

これには、シングル、アルバムなど色々なヴァージョンがありますが、どれも捨てがたい美しいメロディーラインです。どんな人間関係になろうと仕事はビシッと決める。これがビートルズなんですね。ソロをカヴァーした演奏を聞いてみて下さい。

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10 ジョージ自身の考えはどうだったのか?
ところで、ジョージ自身は、自分のテクニックについてどう思っていたのでしょう?彼は、ハンブルク時代からの友人であるクラウス・フォアマンに対し、「私は、本当のギタリストではない」と語ったことがあります。この発言の真意はどこにあるのでしょうか?また、彼は、作曲について「私と誰かを比較するのは無意味だ。私はシンプルにやるだけだ。」とも語っています。

 

また、後輩のアーティストであるトム・ペティに対し、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」冒頭の12弦ギターの素晴らしいリフを思い付いた時のことを語りました。「私はただそこに立っていただけだ。でも、どうすれば良い曲になるか一生懸命考えてあのリフを思い付いたんだ。

 

これらの発言から推測すると、「私は、延々とソロを弾くタイプのギタリストじゃない。あくまでバンドの一員として、要求されるサウンドを正確に出すことに徹しよう。」「華麗なテクニックを披露するだけがギタリストの仕事ではない。重要なのは、その楽曲にどんなサウンドが必要かを追求し、極めることだ。」ということではないでしょうか?

 

11    解散後のジョー

ビートルズが解散後、ジョンとポールは、そのショックからなかなか立ち直れませんでした。対照的に最も元気だったのはジョージでした。彼が新たに取り組んだスライドギターのテクニックは高く評価されました。そして、シングル「マイ・スイート・ロード」を大ヒットさせ、アルバム「オール・シングス・マスト・パス」でその才能を一気に爆発させたのです。

 

解散後の彼についても詳しく書いて欲しいとのリクエストも頂いているのですが、あくまでビートルズがメインのブログなので(^_^;)また、いつか書く時が来るかもしれません。

 

さて、これでジョージのギターテクニックについてのお話は終わりです。次は、またビートルズにまつわるあれこれについてお話しします。

  (参照文献)GUITAR WORLD, POPULARMUSIC

(続く)

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(その101)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その4)

ジョージのギターが冴えている作品の紹介を続けます。

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1 アイ・コール・ユア・ネイム

これはれっきとしたレノン=マッカートニーの作品ですが、ブライアン・エプスタインがビートルズと同時にマネジメントしていたバンドであるビリー・J・クレーマー・アンド・ザ・ダコタスに提供されたものです。

 

ジョンとポールは、「バッド・トゥ・ミー」という作品も彼らに提供していて、その作品がA面、この作品がB面でリリースされました。何とこのバッド・トゥ・ミー、全英チャート№1を獲得しているんです。いやはや、他人にやらせてもヒットさせちゃうんですね(^_^;)

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他人に楽曲を提供するのも商売ですが、やっぱり良い曲だからセルフ・カヴァーしたくなったんでしょうね。 もうリリースされてから1年以上経ったんだし、B面の曲だからそろそろカヴァーしても良いんじゃないかって考えたんでしょう。

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この作品の面白いところは、間奏でテンポが変わって「スカ」のリズムになることです。え?「スカって何でスカ?」って?出た、オヤジギャグ!(笑)レゲエは分かりますよね?どちらもジャマイカのリズムです。

 

スカは1960年中期に世界的に流行したのですが、すぐにすたれてしまいました。シャッフルに近いですかね?驚くべきなのは、ビートルズが早速そのリズムを取り入れていることです。ホントに何でも飲み込んで消化しちゃうモンスターバンドですね。

 

イントロは、殆どダコタスが演奏したのを頂戴しちゃってます(^_^;)ジョージが初めてリッケンバッカーの12弦を使ったのがこの作品です。彼の刻むリズムでウキウキした気分になります。改めて聴くと良い曲ですね~。セルフ・カヴァーしたくなる気持ちも分かります。

 

2 イエス・イット・イズ

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この作品でもジョージは、ヴォリューム・ペダルを使用して「カントリーロック」というジャンルが登場する3年も前に、それに近いサウンドを創造したのです。ジョンのヴォーカルに何とも言えないふんわりとした情感を漂わせています。アメリカ・ナッシュビル・カントリーを思わせるサウンドです。 

 

3 イフ・アイ・ニーディッド・サムワン

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この曲は、日本武道館公演でも演奏されました。1965年当時、ビートルズとバーズとはアメリカで初めてのライヴァルとして激しく競い合っていましたが、仲が良くてお互いに影響し合っていました。

バーズのロジャー(ジム)・マッギンは、1964年製リッケンバッカー360/12を弾いていますが、それは、映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」でジョージが使用しているのを観て購入したのです。

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逆に、ジョージは、マッギンの「ザ・ベルズ・オヴ・リムニー」のギターのタッチからヒントを得て、このリフを作りました。

 

ジョージは、この作品でもリッケンバッカー360/12を弾いていますが、それは彼にとって2本目の1965年製で若干丸みを帯びた形をしていました。彼は、ギターの7フレットにカポタストを装着して演奏しました。そして、彼は、この曲が完成するとそのトラックをアセテート盤にコピーしてバーズに送りました。「ジムへ感謝を込めて」という礼状を添えて。こういうところがジョージの義理堅いところです。

4    ヘルプ

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この作品は、当時のハードスケジュールやプレッシャーに押しつぶされそうになって悲鳴を上げているジョンの魂の叫びそのまま表現したものです。ジョージは、その叫びに残酷なまでにエレガントなギターで応えました。ジョンのヴォーカルに合わせて1拍ずつ下降していくリード・ラインが何とも小気味の良いアクセントになっています。そして、高速のアルペジオを奏でて、悲観的な歌詞に暖かい希望の光を当てたのです。

 

5    ノーウェアマン

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どこにも居場所のない男とは、ジョン自身を表現したものです。ジョージは、ジョンとともにフェンダー・ストラスキャスターを使い、この作品に光を当てました。間奏のギターは、間違いなくジョージの発想であり、彼の華やかなギター・ワークの真骨頂ともいえます。最後のピーンという1弦5フレットの冴え渡るハーモニクスも含めて。

 

6 アンド・ユア・バード・キャン・シング

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(BeatleLinks)

バーズは、ビートルズの12弦リッケンバッカーとコーラスにインスパイアされ、「エイト・マイルズ・ハイ」という曲を制作し、リリースしました。ところが、逆にビートルズがこの曲にインスパイアされ、この作品を制作しました。

 

ビートルズは、既に1966年4月20日に元々「ユー・ドゥント・ゲット・ミー」というタイトルの曲をレコーディングしていました。しかし、バーズの曲を聴いて「オレたちならもっと上手くやれる」と気が変わり、6日後に原曲を変更して12時間掛けてレコーディングし直したのです。

 

この作品はフォークロックっぽい曲調と鮮やかなリード・ギターとの間でいかにバランスを取るかが難しいところでした。それは、第2セッションが始まる前にジョンが全員に、「OK、じゃあ、活発に、モデラートでフォックストロットでやろう」と指示したことに現れています。んん?中くらいの速さでテンポよくだって?おいおいどうしろってんだ?まあ、そんな矛盾した指示を出したジョンもジョンですが、それをちゃんと演奏してしまう他の3人も凄すぎますね(^_^;)

 

ジョージとポールは、向こう見ずともいえるデュアル・リードギターで素晴らしいリフを演奏し、原曲をアレンジし直して、より明るく迫力のある作品に仕上げました。ただし、2人がこの時に使用したのは、リッケンバッカーではなくエピフォン・カジノでした。

 

2人は、ナッシュビルのカントリーロックのペダルスティールギターのようなサウンドを奏でています。この作品のメタリックなサウンドは、他のアーティスト、例えば、レナード・スキナード、ボストン、アイアン・メイデンのようなバンドにまで影響を与えています。ビートルズの凄いところは、こんな数多くの大物アーティストたちにまで影響を与えたことですね。 

 

7    アイム・オンリー・スリーピング

アルバム「リヴォルヴァー」に収録されたこの曲で、ジョージは、彼の数あるプレイの中でも最高ともいえる、驚くべきバックグラウンドでのソロを見せました。

 

前回お話したように、以前から彼は、エクスプレッションペダルを使用してギターのヴォリュームを増幅させていましたが、これは既に「イエス・イット・イズ」や「アイ・ニード・ユー」で使用したのと似たような効果を狙ったものです。

 

この作品でジョージは、ジョンが「レイン」で見せた逆行するヴォーカルに明らかにインスパイアされ、本当にギターを逆行して演奏しようとしました。ジョージは、バックトラックが流れている間にソロを即興で演奏することをせず、リードギターのラインとして5つのパターンを用意していました。そして、マーティンにテープを逆回転させるよう指示したのです。

 

テープが最初に戻るまでに、ジョージは、ラインを演奏しました。その結果、曲の奥深くから盛り上がってきたソロが、ぼんやりとした幻想的で夢を見るような雰囲気を醸し出すことに成功したのです。彼のこの幻想的な奏法は、いわゆる「サイケデリック・ロック」というジャンルを誕生させるきっかけとなりました。例えば、エレクトリック・プルーンズの「アイ・ハッド・トゥ・マッチ・トゥ・ドリーム(ラスト・ナイト)」やジミー・ヘンドリックスの「キャッスルズ・メイド・オヴ・サンド」などにも大きな影響を与えたのです。

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さて、このシリーズもいよいよ次回で終わりです。

(参照文献)

ROLLINGSTONE!, BEATLES MUSIC HISTORY!

(続く)

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(その100)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その3)

引き続き、ジョージのギター・テクニックを感ずる作品についてのお話を続けます。

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Pinterest

1    シー・ラヴズ・ユー

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ジョンとポールのツイン・ヴォーカルが印象的な作品ですが、ジョージは、グレッチ・カントリー・ジェントルマンで、メイン・ヴォーカルが始まる直前に、チラッとアクセントを入れてリスナーの耳を引き寄せています。こういうのを「フック」っていうんですかね。この辺りは、チャック・ベリーの影響を感じさせます。あくまでメインはジョンとポールのヴォーカルで、それをさりげなくギターでしっかりと支えているところが、いかにも彼らしいですね。

 

2  ア・ハード・デイズ・ナイト

鮮烈なインパクトをもたらしたあのイントロは、ビートルズジョージ・マーティンの合作ですが、ジョージ・ハリスンリッケンバッカー360/12のサウンドが特に大きく貢献しています。アウトロのアルペジオもまるで真珠の輝きのようにキラキラ輝いています。

 

3 アンド・アイ・ラヴ・ハー

この作品でジョージは、ロックにしては珍しくクラシック・ギターを弾いています。弦はスチールではなくラミレス製のナイロンです。間奏のソロ・パートは、実に甘くしっとりとしたサウンドを奏でています。ロックバンドのメンバーというよりクラシックギタリストみたいですね。この作品はDメジャーで終わりますが、このエンディングで恋人を想う甘く切ない歌詞が盛り上がり、リスナーがその情感を維持したままで聴き終えることができます。これを聴いていると、彼にはバラードが一番しっくり来るのかなとも思います。

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4    ドゥント・バザー・ミー

ビートルズが1963年8月19日から24日まで、ボーンマスのゴーモン劇場でコンサートを開催している間、ジョージは病気でホテルで静養していました。他にすることもなかったので、彼は、曲を作ってみたのです。これがビートルズ時代に彼が初めて書いた作品です。

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彼自身は、大した曲じゃないと謙遜していますが、なかなかどうして立派な作品です。というのも初期のビートルズにはなかった悲観的な内容の歌詞であり、これによって楽天的な内容の歌詞を書いていたビートルズに、新しい一面を加えることになったからです。短いですが激しいソロも恋人を失った男のやり切れない想いを的確に表現しています。

 

もっとも、ジョージがこの曲を作った元々の動機は、ジョンとポールばかりが曲を作っていて、彼の友人でマージービート誌の編集長だったビル・ハリーから「君も曲を作れよ。」と会う度に言われることにウンザリして、「オレのことは放っといてくれよ。」という皮肉を込めたアンサーソングとして作ったことにあります(^_^;)

 

それともう一つ。この曲のエンディングは、タイトルの繰り返しで終わっていますが、これもビートルズの作品では初めてであり、この後、他の曲でも同じ手法が使われるようになりました。次にご紹介する「アイ・ニード・ユー」もそうですね。このようにジョージは、目立たないところでビートルズの作品に貢献しているんです。

 

マイナーの曲調を引き立たせるリンゴの軽快なスネアドラムと、ジョージの染み入るようなトレモロは、この時期にビートルズが志向していたアメリカのソウルやR&Bよりもむしろ、カリフォルニアのサーフィン・ミュージックを想起させます。れっきとしたビートルズの作品なのに、ビートルズっぽくないんです。


ジョージのギターのトレモロは、VOXのAC30アンプで増幅され、曲に驚くほど良くマッチしたサウンドを提供しています。あまり注目されていませんが、実は、ビートルズがレコーディングで電気的な効果を使った最初の記念すべき作品なのです。

 

まだ1963年の初頭、アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」の収録の際に、既にビートルズは、楽器やヴォーカルのサウンドをもっと変えてみたらどうだろうと、話し合っていたのです。ジョージは、9月にこの曲を収録する時に、レコーディング・エンジニアのノーマン・スミスに対し「ギターのサウンドを圧縮できないかな?オルガンみたいなサウンドにしたいんだ。」と提案したのです。

 

そうです。ビートルズのサウンドに革命をもたらした最初の人物は、ジョンでもポールでもなく、ジョージだったのです!彼は、それまでのありきたりなサウンドでは満足せず、もっと変わったサウンドを出せないか模索していたんです。このことは、是非記憶に留めておいて下さい。

 

なお、この曲は、ビートルズが初めてラテンのパーカッションを使用した曲でもあります。ジョンがタンバリン、ポールがウッドブロック、そしてリンゴがアラビアン・ボンゴを使用したのです。これらの楽器は後のアルバムでも使用されました。

 

5 エヴリバディズ・トライン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー(みんないい娘)

ジョージが大好きなカール・パーキンスのカヴァーです。ジョージがいかに彼の影響を受けたかが良く分かります。後半になるとビートルズ時代の彼にしては珍しく長めのソロを演奏していますが、見事に決まっています。ジョンもポールもパーキンスが大好きだったので、ジョージの長めのソロを認めたのかもしれません。

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6 アイ・ニード・ユー

ジョージの2曲目のオリジナルです。これもメランコリックでキラッと光る作品です。演奏の途中でギターのヴォリュームを変えることに関しては、既に1964年の「ベイビーズ・イン・ブラック」でジョンがジョージのギターのヴォリュームを演奏中につまみで変えていたのです。この時は手動で変えていたんですね。

 

ビートルズは、1966年にライヴを中止してスタジオでの収録に専念し、テープを逆回転させるなど様々な実験をしました。それより1年も前にジョージは、生のサウンドに飽き足らずヴォリューム・ペダルと出会い、足で自在にギターの音量を変えられるその音響効果に魅了されました。

 

この作品でジョージが初めてこの機材を使用した結果、彼のギターのサウンドは、この作品の特徴となった独特のうねりを持ったむせび泣くようなものになりました。初めて使用したのでややタイミングがズレている感がありますが、物悲しい歌詞の雰囲気に良くマッチしています。

 

この後、彼はこれを他の作品でも使用しました。やがてワウペダルも登場し、多くのアーティストたちも使用するようになりました。単にサウンドをアンプで増幅するだけではなく、機材を駆使して色々と手を加えるようになったのです。

 

この曲の簡潔なヴォーカルと自己矛盾をはらんだ歌詞は、ちょうどジョンの「スィンク・フォー・ユアセルフ」と同じように、ジョージが伝統的なラヴ・ソングとは違う曲を作ろうという考えに基づいたものでした。「レノン=マッカートニーとは違う」というところをあえて見せたかったのでしょうか?

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7    ザ・ナイト・ビフォア

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この作品では、ジョージは、最初のレコーディングでサイド・ギターを弾いています。その後、リード・ギターをオーヴァーダビングすることになりましたが、まだ誰が弾くか決めていませんでした。

 

ちょっと気が付かないかもしれませんが、実は、ジョージとポールが、オクターヴ違うツイン・リード・ギターを弾いています。ただ、どちらのアイデアかも分かりませんし、どちらがどちらのパートを演奏したのかもはっきりしないのですが、恐らくジョージが上、ポールが下ではないかと推測されます。しかし、リハーサルをしっかりやったので、2人がピタリと息の合った演奏をしています。同じメロディーをジョンがエレクトリック・ピアノで弾いていますから、サウンドに厚みが増しています。

 

ツイン・リード・ギターといえば、「アンド・ユア・バード・キャン・シング」がパッと浮かびますが、既にこの作品でその奏法を採用していたのです。

(参照文献)ROLLINGSTONE, BEATLES MUSIC STORY, Beatles books

(続く)

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