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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その115の2)ポール・マッカートニーのヴォーカルの凄さについて(その1の訂正)

ビートルズ ポップス 洋楽

前回(その115)の記事で「ポールは絶対音感の持ち主だと思わざるを得ません」と記載しましたが、その後の調査でポールは絶対音感の持ち主ではない可能性が高くなりましたので、お詫びして訂正します。

 

​神経学者であり音楽家でもあるダニエル・J.レヴィティンは、論文「絶対音感の功罪」でポールは絶対音感を持っていなかったと記載しています。また、同様の記事は他の人が書いた資料にもあるので、ポールが絶対音感を持っていなかったことは、どうやら正しいようです。

 

レヴィティンは、音楽と脳との関係について研究している人物です。ポールは、レヴィティンの著書「音楽好きな脳(西田美緒子訳、白揚社)」を読み、第2章まで読んだところで、これ以上読むともう作曲ができなくなってしまうと不安になり、読むのを止めてしまったそうです。

(西田美緒子訳、白揚社・2800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

天賦の才で作曲してきた彼が、学者の音楽理論を読んだら却って混乱してしまうでしょうね。ですから、読むのを止めたのは正解だと思います。また、そう考えると、ビートルズが正統な音楽教育を受けなかったことは、本当に良かったなと思います。天才の彼らにとって既成の音楽理論は邪魔でしかなかったでしょう。

 

もちろん、基本的な理論は別です。ただ、彼らが既成概念にとらわれない斬新な楽曲を制作できたのは、既成の枠にはめられることも大きかったといえるのではないでしょうか。

 

ただ、申し添えると、くれぐれも絶対音感がないと一流のミュージシャンとは言えない」などと誤解しないで頂きたいのです。トッププロでも絶対音感を持っているのは、ごく一部しかいません。逆に絶対音感を持っていても、ミュージシャンでない人の方が多いのです。

 

つまり、絶対音感と音楽的才能とは殆ど一致しないということです絶対音感は音楽の制作や演奏に不可欠のものではなく、あれば役に立つといった程度のものです。

 

というわけで、前回の記事中、ポールの絶対音感に関する部分は撤回させて頂きます。無用の混乱を招いて申し訳ありません。

(参照文献)ABSOLUTE PITCH-BOTH A CURSE AND A BLESSING, StringKick

(続く)

(その115)ポール・マッカートニーのヴォーカルの凄さについて(その1)

ビートルズ ポップス 洋楽

「paul mccartney beatles」の画像検索結果

ポール・マッカートニーの2017年4月の日本公演が迫ってきました。ファンの間では、彼に関する話題で盛り上がりを見せているところです。そこで、ビートルズ時代の彼の才能についてお話します。ベーシストとしての才能については、既にその63~68で触れたのでそちらに譲り、今回は彼のヴォーカリストとしての才能についてです。

 

1 七色の声を持つ男

今さら言うまでもありませんが、ポールは、ヴォーカリストとしても抜群の才能を見せています。その大きな特徴の一つが「変幻自在に声を変えることができた」という点です。

「beatles paul sing live」の画像検索結果 

具体的な作品については後で詳しくご紹介しますが、ポール・マッカートニーって何人もいるの?」と思わせるほど曲によって発声をガラリと変えています。こんな様々な発声をする歌手あるいはヴォーカリストは他に例がありません。

 

というか、むしろ普通の歌手は、歌い込んでじっくりと自分の唱法を身体になじませていきます。エルヴィス・プレスリーマイケル・ジャクソンなどみんなそうですね。

 

唱法はそのアーティストの個性ですから、いかにして個性を作り込んでいくかということにどのアーティストも力を入れています。その結果、特徴がはっきりしていきますから、逆にモノマネもしやすいんですよ。

 

確かに、プレスリーも「監獄ロック」などのロックンロールを歌う時と、「好きにならずいられない」などのバラードを歌う時では歌い方は変わりますが、どれを歌ってもプレスリーですよね?

 

ところが、ポールは、「ロング・トール・サリー」では天井をぶち破るかと思えるほどの高音でシャウトしたかと思うと、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア」では天使のような優しく甘い歌声を披露し、「レディー・マドンナ」ではプレスリー張りの低く野太い歌声を聴かせ、「オー!ダーリン」ではゆったりとしたテンポながら、迫力満点の力強くしかも高音のヴォーカルを披露してくれます。この変幻自在ぶりは、どんなアーティストにもマネできません。動画で確認してみましょう

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彼は、少年のころから色んな歌手のモノマネが得意で、プレスリーなども良くマネしていたとか。こんなところにも秘密があるのかもしれません。

 

桑田佳祐は、ビートルズ・フリークとして有名ですが、彼はポール好きなのにカヴァーしているのはジョンのヴォーカルの曲ばかりなので、あるラジオ番組でファンからなぜポールの曲をカヴァーしないのかと問われました。すると彼は、あの声は日本人では出せない。彼の喉にはEQ(イコライザー)がついてるんだ。」と応えました。なるほど、言いえて妙ですね。

 

2 音域の広さ

ポールのヴォーカルについてもう一つ特徴を挙げるとするなら、その音域の広さです。A1(ピアノの鍵盤で一番低いA、ラ)からA6(ピアノの鍵盤で一番高いA、ラ)まで出せたようです(これも諸説があるので、あくまでその中の一つと考えてください)。下の鍵盤で確認してみましょう。ファルセット(裏声)まで含んでいますが、世界のトップクラスの歌手、ヴォーカリストと並ぶ広さです。文字が小さいので、拡大して下さい。

「vocal range of paul mccartney」の画像検索結果

もちろん、彼が№1というわけではなく、彼よりもっと広い音域を出せたヴォーカリストはいます。では、ポピュラー音楽界で最も広い音域を出せたのは誰でしょうか?

 

別にクイズにしなくても良いんですが、せっかくなので正解を見る前にちょっと考えてみてください。

 

さて、正解は…。

 

 

 

 

ガンズ・アンド・ローゼズアクセル・ローズです。彼の音域は、何とF1(ピアノの鍵盤で一番低いF、ファ)からB♭6(一番高い黒鍵、シ♭)です。いやはや、ここまでくるともはや人間技じゃありませんね(^_^;)

 

ただ、ここで重要なのは、ポールはヴォーカリストであって、歌手ではなかったということです。つまり、あくまでバンドのメンバーとしてヴォーカルを担当したのであって、専業の歌手ではなかったのです。これも動画で確認してみましょう。なお、この動画では彼の音域をA1~C6としています。

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ポールは、ライヴでは、ベースを弾きながらヴォーカルをやっていました。これって簡単そうに聞こえるかもしれませんが、かなり大変です(^_^;)ビートルズを演奏するバンドで、ポールを担当している方ならお分かり頂けると思いますが、ヴォーカルとベースを同時にやり、なおかつクオリティーを保つのは容易ではありません。

 

 

ポールは、ビートルズの初期からメロディアス・ベース、つまり、まるでメロディーを奏でるかのようなベースラインを弾くことが特徴でした。

 

それだけでも難しいのに、それに加えリードヴォーカルを担当し、コーラスでハモるわけですから大変な負担のはずです。ところが、彼は、一切弦を抑える右手の手元を見ることなく、それらの課題を易々とクリアしてしまったのですから、やはり天才というしかありません。

 

3 喉の強さ

ポールは、どんな高音を出しても絶叫しても潰れないという、信じられないくらい強い喉を持っていました。超合金でできているのではないかと呆れるほどの強さです(^_^;)

「beatles paul sing live」の画像検索結果 

確かに、ビートルズは、ライヴは常に30分位しかやりませんでしたし、前期の作品は3分未満の短い曲が多く、ジョンと半々にリードヴォーカルを担当していました。とはいえ、ポールは、コーラスにも加わっていましたし、それにライヴ自体殆ど毎日のようにやっていました。そのうえ、レコーディングもあったのですから、弱い喉ならとっくに潰れているか、ポリープができていたはずです。

 

ジョンは、ツイスト・アンド・シャウトのレコーディングの時には風邪で声が掠れていましたし、ジョージも扁桃炎で入院したことがありましたが、ポールに関しては、殆どそのようなエピソードを耳にしたことがありません。 

 

4 女性並みの高音

「paul mccartney sing non vibrato beatles」の画像検索結果

ジョンは、「ポールは、女の子みたいに高い声を出せる。」と語っていますが、それほど彼は、いとも簡単に女性並みの高音を出せました。これも動画で確認してみましょう。とんでもない高音を出せますね(^_^;)ですから、女性の歌手やヴォーカリストが数多く彼がメインヴォーカルの曲をカヴァーしています。

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さらに凄いのは、ポールは、ヴォーカルの途中でいきなり低音から高音へスライドできるのです。例えば、名曲「イエスタデイ」では、「so far away」という歌詞の「far」の箇所でいきなりE4へジャンプするのです。これは女性の叫び声に近い高さです。このように彼は、低音と高音を自在に行き来できたのです。

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彼の音程を機械で測定すると、インジケータがピタリとE4を指すのです(それも±0を)!もちろん、コンピューターが音楽界で使用されるようになるもっと前の時代にレコーディングされた曲です。

今ならカラオケで素人でも簡単に自分の音程を知ることができますが、当時は耳だけが頼りです。同じ曲の冒頭の「Yesterday」の箇所はG3ですが、これは「ヘイ・ジュード」の「bad」と同じ音程で全くブレていません。おそらくどの曲でも同じ結果になるでしょう。それだけ彼の音程は正確だったのです。

(参照文献) THE WORLD’S GREATEST SINGERS

(続く)

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(その114)ビートルズのDNA、チャック・ベリーについて(その1)

ビートルズ ポップス 洋楽

ビートルズに多大な影響を与えたチャック・ベリーが2017年3月18日に亡くなりました。彼は、正にロックンロールの神様であり、ギターの神様でした。今回は、予定を変更してビートルズと彼との関係を中心にお話しします。ホントは、「ビートルズが影響を受けたアーティストたち」というテーマでいずれ取り上げるつもりでしたが、チャックの訃報に接し、急きょ取り上げることにしました。「chuck berry」の画像検索結果

1 チャック・ベリーのDNAは、ビートルズに受け継がれた‼️

チャック・ベリーは、少年時代の4人のビートルたちに多大な影響を与えました。ビートルズは、数多くのアーティストから影響を受け、自分たちのサウンドを作り上げましたが、なかでもチャックは最大級の影響を与えたといえるでしょう。彼らは、レコードから流れてくる彼のロックンロールに熱狂したのです。彼のサウンド、ソウルは、ビートルたちのDNAに確実に刻み込まれました。 

2    ロックンロールの創始者

そもそも、ジョン・レノンが仲間を集めて「クオリーメン」というアマチュア・バンドを結成しようと考えたのは、チャックのロックンロールに完全に魅了されたからです。ジョンは、後に「ロックンロールという言葉を他の言葉に置き換えるとすればチャック・ベリーだ」とまで断言しました。それほど若きジョンがチャックから受けた影響には絶大なものがあったのです。

「quarrymen」の画像検索結果 

チャックは、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノ、アイク・ターナーらと並んで「ロックンロールの創始者」的な存在です。この中でも恐らく筆頭に挙げられる人物でしょう。それまで黒人が演奏していたブルースと白人が演奏していたカントリーとの間には、人種の違いという乗り越えられない大きな壁があったのです。お互いが自分の所属する人種と違う音楽を演奏することはタブーとされていました。今では信じられない話ですが。

 

しかし、ロックンロールの創始者たちは、この壁をあっさりと乗り越えてしまったのです。実は、ロックンロールの起源には諸説があり、明確に断定はできないんですが、ブルースから発展したリズム・アンド・ブルースとカントリーが融合して誕生したとする説が有力に唱えられています。

 

そして、彼らが生み出したサウンドは白人の魂を揺さぶり、もはや白人も聴くだけではなく自分で演奏したいと思うようになったのです。それまでは、人種により演奏する音楽まで区別されていたのですが、そんな区別などできなくなってしまいました。音楽は、人種差別をも乗り越えたのです。 

 

もっとも、彼がはからずも人種差別解消の端緒を開いたのですが、彼自身は、やはり人種差別に苦しめられ続けることになります。「彼が白人だったら、エルヴィス・プレスリーのように大成功を収めただろう。」と後々まで語られることになりました。

3 ミュージシャンとしての成功

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チャックは、音楽の基礎を学び、幅広いジャンルの音楽を習得しました。やがて、ブルース界の巨匠、マディ・ウォーターズにその才能を見出され、チェスレコードを紹介されます。チェスレコードは、チャックが自作した曲を見るなり直ちに彼と契約しました。その曲は、1955年に「メイベリン」としてリリースされ、R&B部門でチャート№1、ポピュラー部門でも№5を獲得し、大成功を収めます。

 

この曲は、それまでのブルースでもカントリーでもない、ロックンロールという新たなジャンルの曲として人々は歓喜して受け入れました。リズム・アンド・ブルースのビート、カントリー・ギターのリック、そしてシカゴ・ブルースを巧みにブレンドし、そこへストーリー性のある歌詞を載せたことにより、音楽史家の中には、このメイベリンこそが最初のロックンロールであると主張する人もいます(ビル・ヘイリー・アンド・ザ・クリケッツのロック・アラウンド・ザ・クロックだと主張する人の方が多数派のようですが)。

 

チャックは、その後も「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「トー・マッチ・モンキー・ビジネス」「スクール・デイズ」「ジョニー・B・グッド」と次々とヒットを飛ばしました。

4    シンガー・ソングライターの地位を確立

当時常識だったコンポーザーとプレイヤーは別という分業制を覆し、プレイヤー自らが楽曲を制作し、楽器を演奏しながら歌うという「シンガー・ソングライター」というプレイスタイルも彼が初めてではありませんが、彼が導入したことによる影響は大きいものがありました。コンポーザー自らが演奏することで、観客にダイレクトに自分の想いを伝えることを可能にしたのです。しかも、彼の歌詞にはストーリー性がありました。これによりポピュラー音楽の芸術性が一気に高まったのです。

 

例えば、名曲「ジョニー・B・グッド」の歌詞を見てください。一人の素晴らしいギターの才能を持った少年が、やがて偉大なギタリストとしてスーパースターになっていく姿が目に浮かぶではありませんか!ただサウンドだけではなく、歌詞を聴いてもその夢のある世界にウキウキしてきます。

 

ビートルズのような少人数で編成されるバンドではなく、ビッグバンド・スタイルとはいえ、彼のスタイルは画期的なことでした。彼がレイ・チャールズ、リトル・リチャードらとともに活躍したことで、彼らに続いてシンガー・ソングライターが次々と登場することになりました。  

5 エレキギターという最強の武器

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チャックがメジャーデビューする前にエレキギターは既に普及していましたが、彼は、それがロックンロールにとって重要な武器になることに気づき、ギター・リフを開発するなどエレキギターがもつ魅力を最大限に引き出し、ロックンロールが大衆に受け入れられることに大きく貢献しました。

 

彼の巧みなヴォーカルとエレガントで華麗なギター・リフは多くの人々を魅了しました。彼がロックンロールを誕生させたことにより、人々が曲を聴きながらダンスできるようになったのです。 

6    観せる(魅せる)ギタリスト

チャックは、コンポーザー、ギタリスト、ヴォーカリストとしてもズバ抜けた存在でしたが、さらに彼の存在を人々に強く印象付けたのは、彼のステージにおけるパフォーマンスでした。

関連画像 

彼は、単にギターを弾きながら歌うだけではなく、リズムに合わせて腰を振り、軽やかにステップを踏みながら演奏したのです。中でも彼の真骨頂ともいえる「ダック・ウォーク」と呼ばれるアヒルのように膝を曲げて歩きながらギターを弾くスタイルは、観客に鮮烈な印象を与えました。

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極め付けは、左脚をピンと真っ直ぐに跳ね上げ、ホップしながら演奏スタイルです。ギタリストなら一度はやってみたい、カッコ良いプレイですね。でも、これは結構難しいです(^_^;)こんな不安定な状態で微妙なフィンガリングやピッキングはできませんよ、普通は。60歳を超えてからのステージですが、この軽やかなステップを観てください!

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彼以来、それまではバックバンドとしてヴォーカルの後ろに控えていたギタリストたちが、ステージの前面に出てパフォーマンスを観せるようになりました。これが彼の計算によるものか、それとも自然に生まれたものかは分かりません。

 

ただ、テレビの普及により音楽がサウンドだけではなく、映像としても楽しめるようになった時代に、「観せる(魅せる)ギタリスト」としての地位を確立したことは、極めて大きな意義を持ちます。ちょうど、脚でピアノを弾いたジェリー・リー・ルイス、あるいは、背中でピアノを弾いたリトル・リチャードのように。

 

ビートルズもルックスやパフォーマンスが重要であることを認識し、モップトップヘア、スタイリッシュなスーツ、そして、ライヴでは頭を激しく振ってシャウトし、女の子たちを熱狂させました。 

 

次回は、ビートルズがカヴァーしたチャック・ベリーの曲や、彼がその他後輩のアーティストたちに与えた影響についてお話します。

(参照文献)City Portal Liverpool, Rock & Roll of Fame

(続く)

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(その113)ビートルズの才能に世界で初めて気づいたのは日本人だった?(その2)

ビートルズ ポップス 洋楽

「船村徹」の画像検索結果

前回に続いて、ビートルズ船村徹氏との出会いについてお話します。

 

1 EMIで出会ったのは間違いないのか? 

残念ながら、1962年6月6日にビートルズが初めてEMIのスタジオでセッションした際に、プロデューサーのジョージ・ マーティンがPR写真を撮影するために手配したはずのカメラマンが現れず、その時の写真が残されていないのです。写真が残されていれば、あるいは船村氏も撮影されたかもしれなかったのですが。

 

2 EMIのセッションは、レコーディングだった

「1962 beatles emi studio」の画像検索結果

この日のセッションは記録に乏しいため、オーディションだったのかレコーディングだったのか、スタジオで何が行われたのかなどがはっきりしておらず、長年に亘り論争が繰り広げられてきました。 

 

マーク・ルイソンは、2016年11月出版の日本語版「ザ・ビートルズ史」で、1962年6月6日にEMIで行われたセッションはもはやオーディションではなく、完全にビートルズのファースト・シングルを制作するためのものであったと断言しています。なぜなら、ビートルズとEMIは、既に契約を済ませていたからです。スタジオもそのためのセッティングがなされていました。

 

コントロールルームのエンジニアたちは、ビートルズの演奏を1/4インチのオープンリール・デッキ2台に送ろうとしていたのです。オーディションであるなら、こんなセッティングは不要だったはずです。  

 

セッションは、ジョージ・マーティンではなくロン・リチャーズにより開始され、マーティンは途中からコントロールルームに入りました。もし、これがオーディションであれば、そういったことは部下に任せるというのが当時のEMIの慣習でしたから、彼が同席することはあり得なかったのです。

 

彼があえて同席したのは、これがもはやオーディションではなく、本格的なレコーディングであったことを示しています。彼は、デモ・テープしか聴かずに契約したビートルズの演奏を自分の目と耳で確かめた上で、自らプロデュースしたいと考えたために途中から同席したのです。

1963: George Martin in a sound booth at Abbey Road studios with the Beatles in the background. 

ルイソンが主張するように、これがビートルズの公式のレコーディングであったとするならば、船村氏がオーディションの審査員として参加したという事実とは全く相反することになります。

 

残念なことに、マーティン、ノーマン・スミスなど、当時同席した関係者の多くはもう亡くなっています。ケン・タウンゼントはまだ存命ですかね?

3 EMIより前だったのではないのか?

さらに、もう一つ疑問があります。それは、船村氏がビートルズを含めて3、4組がオーディションを受けていた。ビートルズ以外はソロ歌手だった」と語っていることです。ロン・リチャーズとされる人物から「どのミュージシャンが良かったか?」と尋ねられたとのことですから、明らかにその場には複数のミュージシャンが存在したということになります。

しかし、ビートルズがEMIでレコーディングした当時に、他のミュージシャンも一緒にセッションしていたという事実は確認されていません。それに、オーディションならともかく、レコーディングに複数のミュージシャンが同じスタジオで同時にセッションすることなどあり得ません。

 

EMIには複数のスタジオがありましたから、そこでレコーディングしていたのであれば話は別ですが、それでは船村氏の記憶とは食い違います。

 

以上の事実を総合して考えると、はなはだ失礼ながら、船村氏がビートルズと出会ったというのは、ご本人の記憶違いではないかと思います。おそらくEMIに招待されたのは間違いないでしょうが、それは、彼らのセッションとは違うミュージシャンであり、長い年月を経て記憶が混同したのかもしれません。

 

そこで、私が推理したのが「船村氏は、EMIのレコーディングの前に受けた別のオーディションまたはコンテストに審査員として参加したのではないか?」ということです。その当時、ビートルズは、ジョニー&ザ・ムーンドッグズという名前で様々なオーディションやコンテストに参加していました。

 

リヴァプールに近いマンチェスターで、1959年にキャロル・リーヴァイスが主催した「サーチ・フォー・スター」というタレントの発掘を目的にしたオーディションがありました。これが当時のポスターです。

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ジョン、ポール、ジョージ、ピートは、それに参加するためにバンド名をそれまでの「クオリーメン」から「ジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグズ」と改名したんです。誰でもこれに合格すればテレビに出演でき、スターになれる可能性があったのです。

 

また、彼らは、1960年にもラリー・バーンズが主催したオーディションを受けています。ただ、これらは、船村氏が渡欧する前ですから、時期的に早過ぎますね。

「beatles 1961」の画像検索結果

このようにビートルズは、そういった類のオーディションには参加していたので、船村氏が出会ったとすれば、そのいずれかの可能性が高いと思います。

 

船村氏が1961年3月から1962年3月までの間にビートルズと出会ったとすれば、彼らは、ブライアン・エプスタインとはまだ出会っておらず、もちろん、スーツではなく黒の革ジャンを着ていました。これなら確かに「汚い」と言われた可能性はあります。


4 船村氏は、単独でヨーロッパに滞在していた

船村氏の渡欧からビートルズのスーツ着用まで1年間という長い期間があったので、その間に同氏が、オーディションやコンテストでビートルズに出会った可能性は否定できません。

 

ただ、船村氏は、2年間、コペンハーゲンを拠点としてヨーロッパを自由に行き来していたのですが、単独行動で日本人は誰も同行していなかったと考えられますから、同氏の行動は全く把握できていません。そもそも船村氏が渡欧したキッカケも、様々なトラブルがあったため日本を離れたかったことのようですから、なおさら当時の事情を知る人を国内で探すのは困難そうですね。

 

5 他のバンドだった可能性はないのか?

船村氏がロンドンで出会ったのは、他のバンドだった可能性も否定できません。当時、イギリスには似たようなバンドが山程いて、オーディションやコンテストに参加していたからです。船村氏が観たバンドが偶然ビートルズと同じ4人で構成されていて、帰国した同氏が、ブレイクしたビートルズを観て取り違えたとも考えられます。

 

いずれにせよ、船村氏が亡くなられた今となっては、ご本人から直接取材することはできなくなってしまいました。

 

あるいは、ポールかピートが船村氏のことを記憶しているかもしれないとの淡い期待もあります。当時、イギリスでは日本人を見かけることはあまりなかったでしょうから、審査員の中にいればかなり目立ったのではないかと思います。薄い線ですが(^_^;)

 

実は、この件をマーク・ルイソンに2017年2月21日にメールしたところ、早速翌日に大変興味深い貴重な情報だと考える、追加の情報提供を求めるかもしれないとの趣旨の返信がありました。

 

彼の元には、毎日世界中から多数のメールが届いているはずです。にもかかわらず、私のメールにすぐ返信してくれたところを見ると、私の情報が信憑性があり、価値がありそうだと判断したのでしょう。

 

もっとも、船村氏がビートルズの才能に世界で初めて気づいたとしても、ちょっと気になった程度でそれほど重要な意義があったとはいえないでしょう。

 

ただ、大手のデッカ・レコードですら全く歯牙にもかけなかった彼らの才能に、船村氏が例えほんの少しでも気づいたとすれば、ポップス発展途上国だった日本もなかなかのものだったのではないかと思います。

 

6 他のアーティストも育てた

ちなみにビートルズと直接関係はありませんが、船村氏は、ヨーロッパに滞在中パリのパテ・マルコーニから招かれ、ギリシャ出身の新人歌手の教育を依頼されました。

 

船村氏は、その新人歌手を教育しましたが、彼は、同氏を「東洋の師匠」と呼び、敬愛しました。その時以来、彼は、反戦をテーマとした曲を作り始めたのです。やがて、彼は、1969年に「Le Métèque」(邦題:異国の人)を大ヒットさせました。

 

そうです、彼の名は、「ジョルジュ・ムスタキ」です。船村氏は、日本の歌手だけでなく、世界的なアーティストまで育てたのです。

「Georges Moustaki」の画像検索結果

(参照文献)ザ・ビートルズ

(続く)

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(その112)ビートルズの才能に世界で初めて気づいたのは日本人だった?(その1)

ビートルズ ポップス 洋楽

日本が誇る偉大な作曲家、船村徹が2017年2月16日に亡くなられました。今回は、同氏がビートルズの才能に世界で初めて気づいたのではないかというお話です。

「船村徹」の画像検索結果

 

1 船村徹氏とは

船村徹氏は、1932年6月12日、栃木県に生まれました。大学在学中に作曲活動を始め、1953年に作曲家としてデビューしました。

 

そして、キングレコード在籍中の1955年には春日八郎の「別れの一本杉」が大ヒットし、コロムビアレコードに移籍した後、村田英雄の「王将」がミリオンセラーとなりました。その後も島倉千代子の「東京だよおっ母さん」、北島三郎の「風雪ながれ旅」、鳥羽一郎の「兄弟船」、細川たかしの「矢切の渡し」など数多くの名曲を生み出しました。生涯で作曲した数は4,500曲に昇ります。正に昭和を代表する大作曲家です。

 

2 国際的に認められた実力 

船村氏は、1959年、東映のアニメ映画「少年猿飛佐助」の音楽を制作しました。この映画は、アメリカのMGMから「Magic Boy」として配布され、1960年、第21回ベニス(ヴェネツィア)国際映画祭児童映画部門でグランプリ(サンマルコ獅子賞)を受賞しました。これはその映画の予告編です。

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そして、これが受賞したことを示すHPです。

ASAC Dati: Ricerca avanzata film

 船村氏がビートルズの実力に初めて気づいた

この受賞をきっかけとして、船村氏は、ヨーロッパを訪問しました。船村氏がビートルズと出会ったのはこの時です。船村氏は、大瀧詠一氏との対談でその時の様子を語っています。その対談は、このHPに掲載されています。

 

「作家で聴く音楽」第十七回 特別企画 大瀧詠一vs船村徹

船村氏は、この対談でグランプリを獲った際に行ったロンドンで、偶然ビートルズのオーディションの審査員となり、3~4組のミュージシャンを審査し、彼らのうちどれが良かったかと聞かれ、あの汚い4人組が一番面白いのでは」と答えたと語っています。大瀧氏もそれ以上突っ込んでインタヴューしていないので、詳細は分かりません。

また、船村氏は、2002年5月22日付けの日本経済新聞の「私の履歴書」という欄で、1961年3月から2年もの長きに亘りヨーロッパへ渡航コペンハーゲンに居住してヨーロッパ各地を訪問したと語っています。船村氏は、このヨーロッパ滞在中にイギリスのEMI、フランスのパテマルコーニから招待を受けました。

 

それが、ちょうどビートルズのデビュー時期と重なるんですね。そして、後に彼らがブレイクした時に船村氏は、あの時観た4人だとすぐに分かったということですから、同氏がビートルズと出会ったことは確実であり、その時の言動から彼らの実力に気づいたのも間違いないでしょう。

 

そこで問題となるのが、船村氏がビートルズと出会ったのは、具体的にいつどこでだったのか?」ということです。

4 いつどこで出会ったのか?

船村氏は、ロンドンのEMI本社に招待され、同社でオーディションの審査をしたと語っています。もし、同氏の記憶が正しいとすれば、1962年6月6日、正にビートルズが初めてEMIでセッションした日ということになります。

 

それまでは、ビートルズと同社との間に何の接点もありませんでしたから。これがEMI本社ビルです。あのプリーズ・プリーズ・ミーのジャケット写真はここで撮影されました。

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ところが、そういう事実を示したEMI側の資料が今まで発見されていませんし、証言した関係者もいないんです。ビートルズ研究の第一人者であるマーク・ルイソンが2016年11月に出版した「ザ・ビートルズ史」という大著には、この頃の彼らについてこれ以上ないという程詳しく記載されているのですが、船村氏については全く触れられていません。

 

EMIは、国際映画祭でグランプリを受賞したVIPをわざわざ招待した位ですから、かなりの好待遇をしたはずです。とすれば何らかの記録に残っているか、関係者の記憶に残っているのが自然ですよね。記念撮影位は、したのではないかと思われます。

 

それに、日本人がEMIのセッションに同席すること自体も初めてだったでしょうから。むしろ、まったく無名の地方から来た青年たちよりも遥かに関心は高かったはずです。

5 「あの汚い4人組」とは何を意味したのか?

ここで気になるのが、船村氏が「あの汚い4人組」と発言したことです。というのも、ビートルズがEMIでオーディションを受けた時には、既にスタイリッシュなベノドーンスーツを着ていました。したがって、彼らは、少なくとも外見上は、汚くはなかったのではないかと思われます。 

 

しかし、私が所属するFacebookビートルズファンのグループでこの議論をした時に、「『汚い』というのは必ずしも衣装のことではなく、ヘアスタイルのことを指したのではないか」との指摘がありました。確かに、ビートルズは、既にモップトップと呼ばれる当時としては珍しいヘアスタイルをしていましたが、多くの大人は拒絶反応を示しました。船村氏は、それを指して「汚い」と表現したとも考えられます。 

The Beatles at work, EMI studios, Abbey Road, London, England, Tuesday, 4 September 1962. From left: Ringo, George, John and Paul.  Photo: Dezo Hoffmann.

また、ルイソンの著書である「ビートルズ・レコーディング・セッションズ」によれば、警備員のジョン・スキナーは、EMIに現れたビートルズの印象について「痩せっぽちでヒョロヒョロしていて、栄養失調のように見えました」と語っています。

 

伸び放題でちゃんと整髪もしていない頭髪(と大人からは見えた)、そしてヒョロヒョロの外見、これらからすると、いくらスタイリッシュなスーツを着ていても、船村氏の目には「汚い」と映ったのかもしれません。

 

上の画像は、同年9月4日のものですが、確かにジョージは、この時点でも病み上がりかと思わせるような風貌ですね(^_^;)6月6日は、これよりもっと貧相な外見だったのかもしれません。

 

関連画像 

さらに、上記の「ザ・ビートルズ史」下巻のp469には、「レコーディング・エンジニアを担当したノーマン・スミスは、コントロールルームのガラス窓から階下の様子を凝視して、おいおい、何だこいつらは、とつぶやいた。「それは…」と彼は振り返る。「最初は見過ごしていたが、「えっ?」と驚いてもう一度見直す感覚だった」」と記載されています。

 

テクニカル・エンジニアのケン・タウンゼントも彼らの長髪とリヴァプール訛り丸出しの話し方に違和感を覚えたとあります。

 

スミスが思わずビートルズを二度見したという話は、ちょっと笑えますね(^-^)どうやら、「リヴァプールという地方からロンドンという大都会へやってきたみすぼらしい身なりをした青年たち」というのが、EMIのスタッフがビートルズに対して受けた第一印象のようです。とすれば、船村氏が「あの汚い」と表現したのも無理はないかもしれません。

 

当時のスタッフの記憶を辿ると、ビートルズがスーツを着ていてもみすぼらしく見え、船村氏の「あの汚い」発言に繋がったともとれます。

 

疑問はますます深まるばかりです。次回でもう少し追及してみたいと思います。

 

 (参照文献)ASACdati、ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版、ザ・ビートルズ

(続く)

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(号外)ムッシュかまやつさんを偲ぶ

ポップス 洋楽 ビートルズ

2017年3月2日、ムッシュかまやつことかまやつひろしさんが78歳で亡くなりました。かまやつさんは、ビートルズに影響を受け、堺正章さん、井上順さんらとともにロックバンド「ザ・スパイダース」のメンバーとなり、日本のグループサウンズブームを巻き起こした人物であり、日本のロックバンドの草分け的存在でした。今回は、ビートルズとかまやつさんとの関わりについてお話します。

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1    ビートルズとの出会い

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1964年、かまやつさんは、日比谷にあった輸入雑貨を取り扱っているショップに立ち寄ったのですが、そこに輸入レコードのコーナーがありました。そして、アメリカ版のビートルズのアルバム「ミート・ザ・ビートルズが置かれていたのです。

 

それを見た瞬間、かまやつさんは、「彼らのビジュアル、伝わってくる雰囲気、すべてひっくるめて、あのグリニッジ・ヴィレッジの空気と同じだった。まだ日本では無名だったが、僕はジャケットを見ただけで、彼らを一瞬にして理解した。「これだ!」そう直感した。」と語っています。

 

いや、正にこのエピソードこそ、アルバムのタイトル通り「かまやつひろし・ミート・ザ・ビートルズ」(かまやつひろしビートルズと出会う)じゃないですか!

 

やはり、一流の人の感覚は鋭いですね。ジャケット写真を見ただけでもうビートルズが凄いってことに気付くなんて。このアルバムのジャケット写真は、ビートルズがカメラマンのロバート・フリーマンに対して、ハンブルクに巡業していた頃に知り合ったカメラマンのユルゲン・フォルマーのハーフ・シャドウ(顔の半分を陰にする)という撮影手法を使うよう依頼して作製されました。

 

レコードジャケットの写真はカラーが当たり前であった当時、あえてモノクロで背景を真っ黒に塗りつぶすという斬新なアイデアが高く評価されました。それに気づいたかまやつさんは流石です。

 

かまやつさんは、それを買って家に帰ると何度も聴きました。特に気に入ったのが2曲目の「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」です。かまやつさんは、こう語っています。「カントリーを始めとするアメリカの音楽は乾いた響きがするが、ビートルズは全体に紗がかかったような、ファンタジックな音だった。その時、僕には近未来が見えたと思った。次に来るもののフックを捕まえたという確信があった。震えるくらいの感動だった。」

 

2 ビートルズのサウンドを分析

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そして、かまやつさんは、このアルバムをスパイダースのメンバーに聴かせたところ、感激したメンバーは、ほぼ毎日かまやつさんの自宅を訪れては聴いたそうです。ビートルズのレコーディングでは、録音したテープを後で半拍だけ切り取って編集したりするなど、時にはトリッキーと思われる加工が加えられていました。

 

スパイダースは、メンバー全員がこのアルバムで完全にビートルズの魅力に憑りつかれ、彼らを目標にしました。譜面なんかありませんでしたから、耳で聴いてコピーするだけです。驚くべきなのは、歌詞まで完全にコピーしていたことです。サウンドだけならまだしも、歌詞までとなると相当ハードルが高かったはずです。

 

それもそのはずで、実は、かまやつさんのお父さんは、ティーブ・釜萢(かまやつ)さんで、日本におけるジャズの草分け的な存在でした。日系二世のため英語しか話せなかったとのことですから、息子のかまやつさんもネイティヴの英語を幼い頃から聞いて育ったので、英語はかなり話せたはずです。

メンバーは、何回も聴き込んでビートを身体に覚え込ませたのです。しかし、なかなかビートルズのサウンドを再現することができませんでした。そして、色々と工夫をして演奏しながら気づいたのは、全員がエイトビートで演奏するのではなく、ギターとベースはエイトビートでも、ドラムはシャッフルビートで叩けば、ヴォーカルとバンド全体が前へ前へと突っ込んでいけることを発見したのです。

 

変に理屈から入るよりも、こうやって試行錯誤を重ねたことが却って良かったのかもしれません。しかし、この奏法を開発したビートルズが凄いことはもちろんですが、それを耳で聴いただけで解明したスパイダースもまた凄いですね。

 

3 エド・サリヴァン・ショー放映開始

1965年2月から日本でもエド・サリヴァン・ショーが放映されました。かまやつさんは、こう語っています。「僕の家のテレビで、スパイダースのみんなと一緒に、ビートルズの出演する「エド・サリバン・ショー」を観たときのことも忘れられない。ブラウン管を通してとはいえ、初めて見るビートルズのライブに、感激はひとしおだった。スパイダースのメンバーもに夢中になった。100%彼らを真似しようというわけで、7人で本格的なボーカル・インストルメンタル・グループに編成しなおすことになった。」

それまでは歌手のバックバンドだったスパイダースは、1965年からかまやつさんを正式にメンバーに加え、ロックバンドに衣替えしたのです。そして、グループサウンズブームを巻き起こしました。 

4 日本一早くビートルズをカヴァーしたバンド

スパイダース

日本で一番早くビートルズをカヴァーしたバンド(それも完璧に)というのがスパイダースの誇りでもあったそうです。「ミート・ザ・ビートルズ」も日本版が出る前に入手していましたし、FEN(在日米軍軍人向けのラジオ放送)までチェックしていました。日本のどのバンドよりも早く多くのビートルズのナンバーをカヴァーするとともに、他の洋楽のカヴァーもしていました。

 

「ディジー・ミス・リジー」をカヴァーしているスパイダースです。繰り返しますが、これ耳コピだけですからね。

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そして、その実力を認められ、来日したビーチボーイズなどの殆どの来日アーティストの前座を務めたのです。ビーチボーイズが来日した時は、ブライアン・ウィルソンが不在で手抜きの演奏だったそうですが、前座のスパイダースの方が大受けして完全に本家を食ってしまったようです。

 

アストロノウツの日本公演では、スパイダースが前座でビートルズの「ペイパーバックライター」を演奏すると、アストロノウツは、それがカヴァーだとは知らず彼らのオリジナルだと勘違いし、素晴らしい曲だと絶賛したとか。いや、あれがスパイダースのオリジナルだったら凄すぎますって(^_^;)

 

その頃の想い出を語る井上堯之さんです。「抱きしめたい」をカヴァーする際にイントロのギターの入り方で、大野克夫さんともう一人のギタリストがケンカになって辞めてしまい、それでそれまでギターを弾いたことのない井上さんは、「明日からお前がギターをやれ」と言われたそうです。なかなか面白いエピソードですね。

 

その頃、まだエフェクターが普及していなかったので、ギタリストたちがあの手この手でギターにファズを掛けようとしたそうです。スパイダースがやっとエフェクターを使わずにファズを掛けることに成功し、それをリハーサルでやったらスタッフから「音がひずんでます」と言われ、「いや、わざとひずませてるんだ」と答えたとか(笑)

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こちらはアレンジを加えた「デイ・トリッパー」です。これはこれでクオリティーが高いですね。

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5 東京公演の前座を断った!

「budokan beatles」の画像検索結果「日本一のビートルズのカヴァーバンド」と称されたわけですから、当然のことながらビートルズ日本武道館で来日コンサートを開催する時に、スパイダースにも前座をやってくれとオファーが来たのですが、かまやつさんは断ってしまいました!

 

あんなスーパースターの前座をやれるなんて、この上ない名誉なことなのに何でそんなもったいないことをしたんだろう、と不思議に思いますが「前座をやったらビートルズの演奏を観られなくなってしまう」という理由でした。まあ、確かにね(^^;)そりゃ、観たいですよね。前座で出演したら舞台の袖で観るぐらいしかできませんし、それも警備の警察にストップされたかもしれませんから。で、客席で演奏を観ました。

それほど完成度が高かったのに、本家のビートルズを前にした公演で前座を辞退したのはいかにももったいない気がしますが、あまりに完成度が高過ぎてこれで前座をやったら、却って観客の興を削いでしまうかもしれないという配慮もあったようです。井上さんも同じことをおっしゃってますね。

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実際、ビートルズの東京公演のパフォーマンスの初日はツアーの疲れもあり、リハーサルなしのぶっつけ本番でしたから、特に出来が悪かったのは事実です。何より観客が欧米のファンに比べて静かだったため、自分たちのパフォーマンスが良く聴こえて、ビートルズ自身がその酷さに愕然とした位ですから。これでもし、スパイダースが完璧なコピーで前座をやっていたら、本家の面目は丸つぶれになったかもしれません。そういう意味では、かまやつさんの判断は正しかったということになります。

 

でも、逆に今となっては聴いてみたかったですね。日本のロックバンドの実力は当時でもこんなにすごかったんだ、というところを世界に観てもらいたかった気もします。

(参照文献)「ムッシュ!」、TAPthePOP、「作家で聴く音楽」第十五回 大野克夫、WebBANDA

(続く)

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(その111)ジョン・レノンのギターテクニックについて(その6)

ビートルズ ポップス 洋楽

ジョンのギター・テクニックのお話は、いよいよ今回で最後になります。

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1 アイ・ウォント・ユー(シーズ・ソー・ヘヴィー)

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シー(彼女)とはもちろんヨーコのことを指しています。まあ、色んな意味で「重かった」んでしょうね(^_^;)

 

ジョンは、この作品でもリードギターを弾いていますが、メロディーラインをヴォーカルとユニゾンで弾きつつ、チョーキングを入れてヨーコに対する想いの丈を吐露しています。もう、彼女にゾッコンでどうしようもないという心情が伝わってきますね。

 

サビのコーラスの「へヴィ~」の部分では、あえてゆったりとした8分音符をしっかりと置いていく感じで、サウンドに重厚さをもたせています。

 

ソロは、ジョンだとする説もありますが、ジョージ説の方が有力なようです。

 

2 レボリューション

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ジョンの狂おしいまでのイントロが鳴り響き、歪んだギターサウンドが作品全体で咆哮しています。60年代、東西冷戦のさなかで若者たちが未来に絶望している世界を変えたいという、彼のほとばしる情熱がそうさせたのでしょうか?彼のブルージーなギターサウンドの真骨頂ともいえる作品です。彼自身も自分のギタリストとしての腕を見直したようです。

 

この曲でジョンは、ジョージと共にツイン・リードギターを弾いていますが、強烈なディストーションを掛けています。ギターをアンプではなくレコーディング・コンソールに直接接続し、チャンネルに過負荷を掛けてファズサウンドを作り出したのです。

 

エンジニア・スタッフに無断で機材を使用したんですが、下手をすると機材がいかれてしまったかもしれません。いかに大物とはいえやり過ぎですね(^_^;)しかし、そのおかげで他の楽器も含め、コンプレッサーとリミッターを通して強烈なサウンドが爆発しました。

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3 ゲット・バック

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この作品でもジョンは、リード・ギターを弾いています。一つには、レコーディング中にポールとジョージが口論になってしまい、ジョージが一時的にビートルズを脱退したために、リードギターが不在になってしまったことがあります。

 

もう一つは、シングルA面が自分の曲ばかりになってしまったので、ポールがジョンに気を遣ってリードギターを任せたということです。

 

偶然がもたらした産物ですが、おかげでジョンのカッコいいギターソロを聴くことができます。ビートルズ時代に彼が弾いたソロの中でも、3本の指に入る位人気があります。

 

 

ジョンは、エフェクトを掛けないレアのままのサウンドを出しています。まず、イントロで、E弦の5フレットでパワーコードを使用して力強いサウンドを出しています。あの「トットトットット」というところですね。

 

ここでも小指を巧みに使って、チャック・ベリーっぽい古典的なロックンロール・スタイルを取っています。「Get Back」というヴォーカルのところはメロディーラインを弾きながら、アップダウンストロークで「チャカチャカチャ~ン」ってな感じでカッコよく決めてますね。

 

そして、ソロに入るとチョーキングで雰囲気を盛り上げています。「ゲットバック(原点に帰ろう)」というポールの提案を受けてか、オールドロックのスタイルを採り、シンプルながら抜群のセンスを見せています。何度聴いてもカッコいいですね。

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4   アイヴ・ガッタ・フィーリング

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何といってもイントロのアルペジオの荘厳ともいえるソリッドなサウンドがたまらなくカッコいいですね。

 

コード進行は、ADのみの繰り返しと至ってシンプルですが、Aのロー・コードで、人差し指で2フレットを4弦までセーハして小指で1弦5フレットを押さえて弾き、その後2弦3フレットと4弦4フレットをハンマリングして弾いているようです。

 

 

ポールが「イェー」とシャウトするとこは、強烈なストロークでヴォーカルをサポートして一気に盛り上げています。全体的にソリッドなサウンドで、ポールのテンションを上手く引き出しています。サビでポールが早口でまくしたてて最高に盛り上がるところは、E-G-D-Aのローコードを激しくストロークしています。

 

そして、エンディングでは、4音からなるコードを2フレットから1フレットずつスライドさせてはまた戻るという弾き方で、リスナーをワクワクさせつつ終わっています。 

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5   フォー・ユー・ブルー

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ジョンは、ヘフナー5140ハワイアン・ラップ・スティール・ギターを膝の上に置いてスライドバーでギターを演奏しています。このような奏法を採用したのは、おそらくこの作品だけでしょうが、これがまた絶妙な味わいを醸し出しています。

ジョージが間奏で「エルモア・ジェイムズ(50年代に活躍したスティール・ギターの名手)じゃないんだぜ(笑)」とジョンに語り掛けていますが、ジョージもこのアレンジを気に入ってたんでしょうね。

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6 ジ・エンド

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この作品では、誰がギター・ソロを演奏するか決めていませんでした。「じゃあ、3人でやろう。」とポールがジョンとジョージに提案し、2人も同意してギターを携えてスタンバイしました。ですから、このソロは完全なアドリブで3人が思い思いに演奏したのです。

誰がどのパートを演奏したかについては諸説ありますが、演奏のスタイルから最初はポール、続いてジョージ、最後がジョンだとするのが通説だと思います。

ジョンは、ジャンキーなファズ・サウンドを出して存在感をアピールしました。このソロの競演は見事という他ありません。長年一緒にプレイしてきた3人だからこそできた、ピタリと息の合った神業です。もはや解散寸前の彼らでしたが、この時だけはツアーに明け暮れていた頃のように一つになれたのです。

 

そして、リンゴもビートルズ時代としては、最初で最後となったドラムソロを演奏しました。こんな素晴らしい演奏が即興でできる程息がピッタリ合っていたのに、なぜ解散してしまったのでしょうか?

 

それぞれのパートをアマチュアギタリストに再現してもらいましょう。

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7 アクロス・ザ・ユニヴァース

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この作品は、何といってもイントロの美しいアコースティックギターの調べが決め手ですね。歌詞とともに広大な宇宙を感じさせる美しい曲です。中指と薬指を1弦2フレットから一気に10~11フレットにスライドさせることで、全体的にアンニュイな曲調にちょっとしたアクセントを入れています。

 

8 最後に

書き忘れていましたが、そもそも2本のギターにそれぞれ違う役割を持たせたのは、ビートルズ自身の発想ではなくプロデューサーのジョージ・マーティンの発想でした。それまでは、ソロを除いて同じコードを同じポジションで弾くことが多かったようです。

 

しかし、マーティンは、せっかくギターが2本あるのだから、それぞれ違う役割を持たせた方がアレンジに幅が出ると考えたのです。結果は皆さんがご承知のとおりであり、バンドの持つ魅力が一気に増大しました。

 

ジョンはホンネではリードギターをやりたかったようです。何しろリーダーですし、人一倍目立ちたがり屋でしたから(^_^;)ポールがベースを担当した時と同じように、必ずしも自ら望んでいたわけではなさそうです。ただ、自分のテクニックがそれ程優れてはいないこともちゃんと分かっていましたし、メインヴォーカルもやらないといけないのでそこはジョージに譲り、自分はリズムギターに回りました。

 

どうやら「リズムギター」という呼び方もジョンが名付けたようです。「バックギター」あるいは「サイドギター」というのが本来の呼び方だったようですが、それだといかにも裏方っぽい感じがしたからかもしれません。

 

しかし、リズムギターを担当すると決まった以上は、最高のパフォーマンスを聴かせてやるという意気込みでいつも臨んでいたのです。ですから、彼は、リズムギタリストとして誇りを持っていました。

 

さて、ジョンのギター・テクニックについてのお話しは以上です。書き始めた時は、オール・マイ・ラヴィングの三連符で終わってしまうのではないかと不安でしたが、掘り出してみるとあるわあるわ、こんなに長くなるとは思いませんでした(^_^;)

(参照文献)All You Need Is The Beatles, the Complete BEATLES Recording Sessions

(続く)

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(号外)ビートルズ研究の第一人者、マーク・ルイソン氏と直接コンタクトが取れました!

ビートルズ ポップス 洋楽

ビートルズ研究の第一人者として、世界中にその名を知られているマーク・ルイソン氏と直接コンタクトが取れました!今回はこのことについてお話しします。

 

私が同氏にコンタクトを取ったきっかけは、2017年2月16日に日本の偉大な作曲家の船村徹氏が亡くなったことです。彼がビートルズが1962年10月5日にプロデビューするより前にその実力に気づいたという記事を見かけたことがきっかけでした。

 

同氏がビートルズと初めて出会った時のことについては、私の別稿で紹介しておりますので、詳しくはそちらをご覧ください。 

 

www.studiorag.com

 

1 マーク・ルイソン氏とは?

マーク・ルイソン氏は、ビートルズ研究の第一人者であり、彼らのことについて世界中の誰よりも良く知っている人物です。2016年12月に「ザ・ビートルズ史 上下巻」というビートルズの歴史について研究した大作の日本語版を刊行しています。

「mark lewisohn beatles」の画像検索結果

 

「マークルイソンビートルズ」の画像検索結果

 

 

2 ルイソン氏へのメール

ルイソン氏は、自己のHPでビートルズに関する資料や証人を広く世界中の人々に対して求めています。そこで、私は、彼らがまだプロとしてレコード・デビューする前に、日本の作曲家の船村徹氏が、世界で初めて彼らの才能に気づいたのではないかというお話を日本時間の2017年2月21日にメールで送信しました。次のような内容です。

 

「拝啓 マーク・ルイソン様

私は和田晋司と申します。日本に住んでいます。私は、長い間ビートルズのファンであり、あなたの本を読んでいます。私は、あなたをビートルズ研究の第一人者として大いに尊敬しています。

ところで、あなたに伝えたい情報があります。それは、世界で初めてビートルズの才能に気づいたのは、日本人だったかもしれないという事実です。

その人は、日本の偉大な作曲家であり、数多くの名曲を作曲した船村徹氏です。 彼は、1959年に日本のアニメ映画「少年猿飛佐助」の音楽を制作しましたが、これはアメリカのMGMから「Magic Boy」として配布され、ベニス国際映画祭でグランプリを受賞しました。

彼は、音楽制作の実績を評価されてヨーロッパに招待され、イギリスを訪問しました。そして、彼はそこでビートルズに出会ったのです。時期ははっきりしていませんが、1960年か1961年のようです。

彼は、ビートルズをEMIで見たと語っていましたが、彼らがEMIでオーディションを受けたのは1962年であり、おそらく彼の記憶違いであると思います。当時、ビートルズは、ジョニー&ザ・ムーンドッグズという名前で様々なオーディションに参加していました。彼が出会ったのはその時ではないかと思います。

彼は、他のミュージシャンも一緒にゲスト審査員として観ました。彼が観たミュージシャンではバンドはビートルズだけであり、他はソロ歌手だったとのことです。

そして、主催者からどのミュージシャンが一番良かったかと尋ねられると、彼は「あの汚いバンドが最高だった」と答えました。もちろん彼は、ビートルズのことを指したのです。彼らは、まだブライアンエプスタインと会っていなかったし、黒の革ジャンを着ていました。

この事実は、船村氏がビートルズの才能を世界で初めて発見したことを意味しています。しかも、彼らがプロのミュージシャンとしてメジャーデビューする前ですから、とても意義深いことです。

残念ながら、同氏はもう亡くなっているので、彼から直接話を聞くことはできません。私は、あなたにこの点を調査し、ビートルズの歴史に新しい1ページに追加していただきたいと思います。

敬具 和田 晋司」

 

3 ルイソン氏からの返信

何と、早速、翌日にルイソン氏から次のような返信がありました! 

 

「拝啓 和田晋司様

ビートルズの歴史に関する私の情報提供および証人の紹介依頼に応えていただき、誠にありがとうございます。私は、あなたのメールを確かに拝見し、あなたにさらなる情報の提供をお願いするかもしれません。私は、あなたに提供していただいた情報を高く評価します。そして、これによりビートルズをより良く理解する方向に向かうでしょうし、悪くないことだと考えます。

敬具    マーク・ルイソン」

 

 

 

4 ルイソン氏へさらに送信

私もまたすぐに次のような返信を送りました。

「マーク・ルイソン様

ご返信ありがとうございます。あなたの研究に貢献できることは大変光栄です。しかし、私は、日本の芸能界とはまったく関係がありませんので、私が調査するのは難しいです。

もちろん、日本の芸能関係者の中にはあなたを知っている人が数多くいますから、あなたは彼らに直接連絡することができると思います。例えば、JASRACまたは日本コロンビア株式会社です。

イギリスには、ビートルズが1960年から61年に登場したオーディションやコンテストを主催した関係者がまだ生存している可能性があります。あなたが彼らにインタビューすれば、船村氏に関する情報を得るかもしれません。彼らは同氏を喜んで招待したので、誰かがその事実を記憶しているでしょう。

また、あなたは、ポール・マッカートニー卿と連絡を取ることができるでしょうし、彼が事実を覚えている可能性もあります。

あなたが調査した結果裏付けが取れた場合は、その事実を全世界に知らせてくだい。

和田晋司」

 

5 今後の調査に期待

人一倍探求心に溢れた方ですから期待はしていましたが、まさかこんなに早く食いついてくれるとは思いませんでした(^_^;)残念ながら、私は芸能界とは何の関係も無いので、私が調査するのは困難です。しかし、彼ほどの大物なら日本の芸能関係者に直接コンタクトすることができるでしょう。今後の調査に期待したいと思います。

 

それにしても、惜しいことをしました。私が船村氏とビートルズとの出会いを知ったのは、同氏が亡くなったつい最近のことでしたから。もっと早く知っていたら、この事実を彼に知らせ、同氏に直接インタヴューしてもらえれば、「ザ・ビートルズ史 上下巻」に同氏のことを記載してもらえたかもしれません。

(続く)

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(その110)ジョン・レノンのギター・テクニックについて(その5)

ビートルズ ポップス 洋楽

ジョン・レノンのギター・テクニックについてのお話を続けます。ビートルズも後期になると色々な楽器を使用するようになり、それにつれてジョンのギターが登場する場面は減りました。しかし、それでも彼のテクニックが生きている作品がいくつもあります。

The Beatles - John Lennon:

1 ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン

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ギター・テクニックのお話とは離れますが、このタイトルを見ただけでは意味が分からないと感じるのが普通ですよね。「幸福は暖かい銃である。」って普通に翻訳してもどどういう意味なのかさっぱり分かりません。でも、歌詞を読めばこの作品に対する理解が深まると思います。

 

中間部分を除けば、マイナーで始まる全体的にアコースティックなサウンドなので、抒情的な作品と勘違いしている人も多いかもしれませんが、歌詞の内容はかなりぶっ飛んだ激しいものになっています。そのためドラッグとの関連が連想されがちですが、ジョンははっきりとそれを否定しています。

 

ただ、これを制作した頃は、彼が薬物中毒で苦しんだ時期であったこともまた事実であり、彼の言葉を額面通りに受け取って良いか疑問も残ります。ポールもその事実を認めており、悩み苦しんだからこそこの作品が生まれたとも考えられます。彼は、この時期に、他の作品においても、雄叫びを上げるような捻じ曲がったサウンドを奏で、狂気に満ちたような歌詞を書きました。

 

この作品のタイトルは、偶々彼が目にしたアメリカの銃専門誌の広告で使われていた言葉を引用したものです。暖かい銃というのは「弾丸を発射した直後の銃」のことを指しています。弾丸を発射した直後の銃は暖かくなっている、つまり、銃を使用することが幸福を招くのだという意味です。

 

もちろん、銃こそが自分の身を守る手段であるというアメリカならではの広告です。ジョンは銃で身を守るなんて馬鹿げた考えだと感じたことが、この曲を作るきっかけになりました。

「john lennon guitar in studio」の画像検索結果

この作品でジョンは、フィンガーピッキング奏法を採用ていますが、これは、ドノバンとその友人のジプシー・デイヴが、インド滞在中にジョンに教えた「トラヴィスピッキング」と呼ばれるフォークソングではよく使われるテクニックです。ドノヴァンによれば、ジョンは、たった2日でこの奏法を会得したそうです。彼は、おそらくこの作品で初めてこれを採用したと思われます。 

 

テープには録音したものの、なかなか作品に仕上げるのが難しかったので、それからしばらく間を置いてレコーディングしました。しかし、この作品は途中で複雑にリズムが変わるため、他のメンバーとどうやったら上手く演奏できるか何度も議論しました。

 

説明すると長くなるので別稿に譲りますが、2分47秒という短い曲なのに、5つの異なるセクションで構成されているうえ、曲の途中でリズムが複雑に変わります。元々3つの曲を繋ぎ合わせた結果そうなったのですが、それを一種の組曲のように一つの完成品として仕上げるところにジョンの天才ぶりを見ることができます。彼が音楽理論に精通していたら、却ってこんな発想はできなかったでしょう。

彼はリード・ヴォーカルなので、リズム・ギターのコードはシンプルにしています。イントロは美しいアルペジオですが、途中からブルージーなサウンドに変えることで苦しみ悶える自分自身の姿を描いています。他の3人は、複雑に変わるリズムに合わせる困難な作業をしていますが、そのかいがあり傑作が完成しました。

  

ところが、これほどの傑作であるにもかかわらず、ファンでも知っている人が少ないのが残念です。ローリングストーン誌が2011年に挙げたビートルズの作品ベスト100においても24位にランクインしていますし、ジョン自身も1970年の同誌のインタヴューで、大変この作品を気に入っていると応えています。

 

また、ポールは、ジョン・ケリーというビートルズポートレートを撮影した写真家にこの作品のデモ・テープを聴かせ、「これを聴いてごらん。私が今まで聴いた中で最高の作品だよ。」と語ったのです。特に歌詞が素晴らしいと称賛しています。また、多くの音楽評論家も絶賛しました。

 

マチュアバンドによるカヴァーです。

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2 ジュリア

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この作品においても、ジョンのアコースティックギターの才能を見ることができます。やはり、スリー・フィンガーピッキングで弾いています。ポールもこのジョンのギターを称賛しています。彼のアコースティックギターの作品の中でも最も優れたものかもしれません。

 

彼は、この作品を制作する際にドノヴァンに「君は、子どもの気持ちで曲を作れる天才だ。手伝ってくれるかい?」と依頼しました。「私は、母親を想う子どもの気持ちを曲にしたいんだが、子どもの頃に母親とあまり接したことがないんだ。」ドノヴァンは、ジョンの気持ちをすぐに理解し、ヒントを与えてくれたのです。このお話も長くなるので別稿に譲ります。

 

ジョンは、愛用のギブソンJー160Eの2フレットにカポを装着し、レコーディングに臨みました。テイク2でギターを弾いたのですが、途中で失敗して弾くのを止めました。どうやらまだ克服しなければならない課題があったようです。

「john lennon guitar in studio」の画像検索結果 

スタジオで聴いていたポールは、「もう一度やってみたらいい。1カ所か2カ所、僅かだけど違うところがある。」と励ましました。ジョン「1カ所だけじゃないのかい?どこが違うのか分からない。完璧だと思ったんだけどな。」ポール「素晴らしかったよ。きっと上手くいくさ。」この頃もう2人の間には溝ができていたのですが、こういったやり取りをしているところは、やはり長年連れ添った戦友ならではですね。

 

ジョンは、不思議なコードを使っていますが、その創造的で美しいハーモニーには思わず引き込まれてしまいます。前期では、ジョンのエレキギターの激しいストロークを多く紹介してきましたが、彼は、ドノヴァンとの出会いにより、このようなアコースティックギターにおける繊細なピッキングの才能をも開花させたのです。

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3 ヤー・ブルース

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ジョンは、上記でご紹介したアコースティックなサウンドから一転して、重厚なサウンドを響かせています。これは、ビートルズでの演奏ではありませんが、「ロックンロール・サーカス」というローリングストーンズが1968年に制作した映像にジョンが参加した時のものです。

 

ジョンは、エリック・クラプトンミッチ・ミッチェル、そしてキース・リチャーズと、一日限りのバンド「ザ・ダーティー・マック」を結成しました。ん?「ダーティー・マック(汚いマック)」って、ひょっとしてポールをディスってるの?

 

ジョンの悲痛な魂の叫びがそのまま作品になっています。「マッド・ジョン」ともいうべき彼の激しいギター・サウンドが、絶望に打ちひしがれた彼の心境を的確に表現しています。リードギターリズムギターとが相互に特色を出しています。彼の作品の中でも最も重厚なサウンドを出しているといえます。相変わらずジョン独特のタイミングの取り方が、この作品のグルーヴ感を存分に引き出しています。

 

各ラインの終わりにアクセントを入れ、スウィングのリズムを刻んでいますが、それがまた一種独特の味わいを醸し出しています。マディー・ウォーターズ風の歪んだリックを入れ、力強いコードをストロークし、ソロではまるで別世界にいるかのような重厚な歪んだサウンドを奏でています。その結果、彼がそれまでに見せたことのないブルージーな力強い作品に仕上がっています。

(続く)

(参照文献)The Beatles Rarity, Jas Obrecht Music Archive, The beatles Music History

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(号外)ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」がグラミー賞最高音楽賞を受賞しました!

ビートルズ ポップス 洋楽

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ビートルズファンにとってはまた嬉しいニュースが飛び込んできました。彼らの下積み時代から世界的なスーパースターになるまでを描いたドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」のロン・ハワード監督が、この映画でグラミー賞最高音楽賞を受賞したのです。 

 

私は、この速報を目にしたとき、「え、何でグラミー賞?」と素朴に疑問に思いました。なぜならグラミー賞は、優れた音楽作品を創造したアーティストに与えられるものだからです。ミュージカルならまだしも、ドキュメンタリー映画の監督に与えられること自体が異例ではないかと思います。もちろん、過去に例はあるかもしれませんが。

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ロスアンゼルスタイムズ紙のインタヴューにハワードはこう応えています。彼がグラミー賞にノミネートされたと伝えられた時点で「とんでもない騒ぎになった。」「それは、一種の魅力的な人生上の体験と創造的な機会だった。しかし、そのニュースがインターネットに流れてまもなく、私は、ビートルズに関与することがとんでもないことをもたらし得るのだということに気付き始めた。まるで綱渡りみたいなスリリングな行為だが、これが現実なのだと思った。もちろん、私は、いつもそうしているようにその事実を真剣に受け止めたがね。」

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アカデミー賞監督賞を獲得した経験のあるハワードですら、グラミー賞にノミネートされただけでこれは大変なことになったと感じたんですね。映画に関する賞ならノミネートされてもそれ程興奮しなかったかもしれませんが、畑違いのグラミー賞なんてまさかと思ったでしょう。

 

彼の功績が偉大であることはもちろんですが、素材にしたビートルズが、これまたとんでもないモンスターバンドであることを改めて思い知らされたんですね。すなわち、彼らに関わることは大成功して称賛を浴びるか、大失敗してバッシングされるかのどちらかだということです。

 

確かに、グラミー賞には「音楽映画部門」があるのは事実ですが、あの映画は、音楽を題材にしているとはいえ、あくまでドキュメンタリー映画ですから、まさかノミネートされるとは予想もしなかったんでしょうね。なお、ハワードの他にプロデューサーのブライアン・グレイザー、スコット・パスクッチ、ナイジェル・シンクレアも受賞しました。

いずれにせよファンにとっても、喜ばしいことに変わりはありません。あの映画が単にファンのセンチメンタルな想い出をくすぐるだけではなく、映画としても立派な作品であることが証明されたんですから。映画を観るチャンスを逃した皆さん、DVDがリリースされてますよ。

 

ハワード監督、素晴らしい映画を制作してくれてありがとう。そして、ポール、リンゴ、ヨーコおめでとう。ジョン、ジョージ、スチュ、マーティン、ブライアン、ニール、マル、シンシア、モーリーンそれにリンダ、天国で乾杯してね。

(続く)

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(号外)アマチュアバンドの祭典「第7回 南港ビートルズ・ストリート」の開催が決定しました!

ビートルズ ポップス 洋楽

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画像に含まれている可能性があるもの:1人、空、夜、屋外

画像に含まれている可能性があるもの:空、大勢の人、橋、屋外今や関西、いや日本のビートルズ・ファンにとって春秋の風物詩となったビートルズを愛するアマチュアバンドの祭典、「第7回 南港ビートルズ・ストリート」が2017年5月13日(土)に開催されることが決定しました。場所は、大阪南港ATCセンターの野外ステージです。

 

腕自慢のアマチュア・バンドが多数集結し、ビートルズ・ナンバーをたっぷりと聴かせてくれます。南港は、ご覧の通り大阪湾に面しているのですが、その佇まいが何となく同じ港町のリヴァプールに似ていて、正に日本版リヴァプールといった感じです。

 

大阪なので関西を拠点に活動しているバンドが多いのですが、昨年ははるばる関東から参加してくれたバンドもありました。今年も遠くから参加してくれるバンドがあると思います。バンドは、沢山の機材を運搬しないといけないから移動が大変ですよね(^_^;)

 

公式Facebookはこちらです。昨年の演奏がダイジェスト版で紹介されています。今回の祭典の詳細はまだ決まっていないのですが、決まり次第アップされると思います。

https://www.facebook.com/beatlesstreet/?ref=page_internal

 

アマチュアバンドがビートルズを演奏する場合、割と前期の曲を演奏することが多いですね。アマチュアとはいえ大勢の観客の前で演奏するわけですから、それなりのクオリティーが要求されますが、後期の曲は、作品自体が複雑になっていたり、スタジオで様々な編集を加えたりで、ライヴで演奏するのが困難だからというのが大きな理由だと思います。

 

 

 

しかし、昨年秋の祭典ではそんな制約をものともせず、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー」「ヘイ・ブルドッグ」「ヤー・ブルース」「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」など後期の曲を果敢に演奏するバンドが沢山いて嬉しかったです。

 

ただ、気の毒だったのは当日が木枯らし第1号に見舞われ、ものすごく寒かったことです。特に夜は凍えるような寒さでした。おまけに海辺ですから特に海辺のステージでは、潮風をまともに受けて、ヴォーカルの人は歌いずらかったようですね(^_^;)今回は5月なのでその心配はありませんね。

 

出演するバンドは、演奏のクオリティー維持のために実行委員会が事前に実施するオーディションにパスしなければなりません。もっとも、前回から海辺のステージとメリーガーデン前ステージとの間にストリートステージが設置され、文字通り誰でもストリートミュージシャンとしてフリーに演奏することができるようになりました。

 

もちろん、観客として参加するのは無料です。また、ATCセンターには飲食店も沢山ありますから、そこで美味しいものを食べたり飲んだりすることもできます。

 

レコードやCD、DVDなどでオリジナルを楽しむだけでなく、ライヴに参加するのもファンとしては嬉しいもんです。ライヴってバンドと観客との間に一体感が生まれるんですよ。参加している全員がビートルズをこよなく愛し、尊敬してやまないということが良く分かります。時間が経つのを忘れてしまいますね。まさにファンにとっては至福の時です。

ご参考までに私が撮影した動画のごく一部を添付します。実際にはまだまだ沢山の演奏があったんです。寒さと三脚を使っていなかったために少々手振れしてますが、そこはご容赦願います(^_^;)

ペニー・レイン

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アイヴ・ガット・ア・フィーリング 

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ヘイ・ブルドッグ

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ビートルズ・ファンの皆さん、お近くの方はぜひご参加を。そして、ビートルズをあまり知らない方も、騙されたと思って一度ライヴに参加してみて下さい。きっと、新たな出会いに感動しますよ。

(続く)

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(その109)ジョン・レノンのギター・テクニックについて(その4)

ビートルズ ポップス 洋楽

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ジョン・レノンのギター・テクニックについて、引き続きお話しします。今回は、アコースティックギターについても触れます。

1 ロング・トール・サリー

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この作品は、イントロなしでいきなりポールの天井を突き破るかのようなハイ・トーン・ヴォイスが炸裂し、彼のメロディアスなベース、ジョンとジョージのギターとリンゴのドラムが刻む強烈なビートが続きます。

 

珍しくジョンとジョージの2人がそれぞれ異なるソロ・パートを弾いています。1回目の間奏のソロがジョンですが、いかにも彼らしいパワフルで弦を殴り付けるかのような激しいストロークで、この作品を盛り上げています。「ユー・キャント・ドゥ・ザット」と同じような奏法ですね。2回目のジョージのソロと聴き比べて下さい。上がジョン、下がジョージです。

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ジョンは、自分のソロを弾き終わると、本業のリズム・ギターに戻って演奏を続けています。このソロをだれが弾いているかについては異説もあるのですが、サウンドの特徴からして間違いないのではないかと思います。

 

ライヴ映像でもジョンが弾いているっぽいのですが、肝心の左手があまり写っていないので正確には確認できません(^_^;)ただ、明らかに2回目のソロはジョージが弾いているので、やはり、1回目はジョンでしょう。

 

ステレオでは左右からジョンとジョージのギターが聴こえますが、これはワンテイクでレコーディングしたものをジョージ・マーティンがミキシングで振り分けたものです。

 

2    シーズ・ア・ウーマン

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この作品もジョンのカッティングが決め手です。ただ、それ程難しいテクニックを駆使しているわけではありません。にもかかわらず、ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」のエンディングにも使われたこの曲のスリリングなイントロを聴いてワクワクしない人はいないでしょう。

 

ジョンは、イントロをダブル・トラックしています。恐らくサウンドに重厚さを与える効果を狙ったのではないかと思われます。メイン・ヴォーカルがスタートしてからは、コードは、A7、D7、E7の繰り返しですが、ストロークのタイミングを微妙にずらしています。

 

オン・ビートも長めの箇所と短めの箇所がありますが、これが意識的なものなのか、フィーリングから来るものなのかは分かりません。また、ミュートやスライドを入れて、独特のグルーヴ感を出しています。7thもチョーキングを入れて変化を付けています。

 

相変わらずシンコペーションを巧みに挟み、オフ・ビートでノリを出しています。ただ、テイク1ではそれを入れておらずテイク2から初めて入れたのは、恐らくその方がノリが良くなると判断したからでしょう。

 

ポールは、このジョンのオフ・ビートを「作品全体を同じ調子で水彩画のように塗りつぶすことをせず、キレの良いリズムを刻んでいる」と賞賛しています。 

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この作品は、アメリカのハリウッド・ボウルでのライヴ・パフォーマンスが最高の出来ではないかと思います。メンバー全員が絶好調だったんでしょうね。

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しかし、この当時は、野球場での野外ライヴで、観客の絶叫で耳がおかしくなるような状況でした。おまけに機材もそんな大観衆の絶叫に耐えられる代物ではありません。ジェット機のエンジンのような騒音で彼らの演奏は殆ど聴こえず、流石のマーティンも当時の技術でのレコード化を断念した程です。

 

ビートルズが演奏した当時はステージに返しのスピーカーが無く、自分たちの出しているサウンドすら、絶叫にかき消されて把握できなかったのです。現代のライヴではありえませんが、環境に技術が追い付いていなかったんですね。リンゴは、ジョンやポールの肩や足の動きで、この辺りを演奏しているなと見当を付けて演奏していました。

 

ずっと後になって技術が進歩し、この収録はCD化されましたが、驚くべきことにビートルズは、この劣悪な環境下でも完璧に演奏していたのです。これでもなお彼らの演奏テクニックを批判できるでしょうか?

 

3 ユーヴ・ガット・トゥ・ハイド・ユア・ラヴ・アウェイ(悲しみはぶっとばせ)

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これは、ビートルズがアメリカンツアーを初めて行い、ボブ・ディランと面談して彼の影響を強く受け、ジョンが作った曲です。それまでの明るいラヴソングから一転して、内省的で悲観的な内容の歌詞になりました。

 

ジョンは、フラマスのフーテナニー12弦アコースティックギターという珍しいギターを弾いています。レコーディングの際、マーティンは、あまりディランっぽくならないようジョンに指示し、ジョンもそうしたつもりだったのですが、結果的には、やはりディランの影響が色濃く出ていることはポールも認めています。

 

それまでエレキギター一色で演奏してきたビートルズが、初めてアコースティックギターを前面に押し出した作品です。これでビートルズの作品に一層の幅と深みが加わりました。

 

「アンド・アイ・ラヴ・ハー」はこれより前の作品ですが、その時は恋人を想う甘く優しいメロディーだったのに対し、この作品では失恋した男のやり場の無い哀しみをアコースティックギターと切々としたヴォーカルで表現しています。

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8分の12拍子という変則的なリズムですが、ロー・コードだけなのでフィンガリングが忙しい割には、弾き語りがそんなに難しい作品ではありません。ですから、ストリート・ミュージシャンは好んでこの作品を演奏します。

4 デイ・トリッパー

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ビートルズの数ある作品の中でも1、2を争う余りにも有名なギター・リフで、ジョージが弾いているものも含めてジョンが作りました。とジョンが言ってるので間違いないでしょう(笑)ジョージも否定してませんし。それぞれのパートを比較してみましょう。

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5 アイム・ルッキング・スルー・ユー

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この作品も、ジョンのアコースティックギターの腕を見直す良い作品かもしれません。複雑なリズムの取り方とフィンガリングに彼の才能を見ることができます。

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それにしてもまあ、コードチェンジの忙しいこと(^_^;)この後、ジョンは、「ディア・プルーデンス」など多くの作品で、アコースティックギターの才能を見せることになります。

 

6    ノーウェジアン・ウッド(ノルウェーの森)

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ジョージのシタールが注目されがちな作品ですが、そもそも彼にシタールでリフを入れるように求めたのはジョンです。また、ジョンのアコースティックギターもなかなか捨てがたい魅力があります。

 

ジョンは、イントロから単にコードストロークで終わらせることをせず、作品全体で定期的に繰り返されるメロディーラインを同時に提供します。これによりリスナーに対し、「ああ、次にこんなメロディーが来るんだろうな」との予測と安心感を与えます。カポを2フレットに装着し、全体的にメリハリの効いたサウンドで、良いリズムを刻んでいます。

 

右手でメロディーを刻まないといけないので、今どの辺りを弾いているのか神経を集中する必要があります。一応、譜面上は8分の6拍子になっていますが、実際にはレコードかCDを聴いて耳コピしないとあのニュアンスは出ません(^_^;)小指で3弦の4フレットをハンマリングすると、「once had a」辺りのあのカッコいい「トゥイ~ン」というサウンドが出ます。

 

ジョンは、最初のヴァージョンではバックグラウンドでギターをストロークするというシンプルなアレンジを選択しましたが、それに満足せずやり直してもっとギターを前面に出すことにしました。彼の決断が正しかったことは、作品自体の仕上がりの素晴らしさが証明しています。

(続く)

(参照文献)All You Need Is The Beatles, The Beatles Rarity, The Beatles Music History

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(その108)ジョン・レノンのギター・テクニックについて(その3)

ビートルズ ポップス 洋楽

 ジョン・レノンのギター・テクニックについての解説を続けます。 

1    ジョン・レノンのギター・テクニックの特徴(再考)

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具体的な作品について解説している途中ですが、もう1回総論に戻ります。話が前後してすいません(^_^;)

 

ジョンは、母親のジュリアが音楽好きでバンジョーを教えてくれたこともあり、ギターを弾くようになりました。当然、バンジョーとギターではコードが違いますから、ギターを弾くためにはそのコードを覚えなければなりません。ところが、彼にはそんな気持ちなどさらさらなく、ポールに教えられるまでバンジョーのコードで通していました。そんなラフなジョンでしたが、プロになってもラフさは変わりませんでした。

 

大好きな音楽でしかもプロなのに、ラフにやるというのは生まれついての性格からなんでしょうね。ステージやレコーディングでミスっても平気でしたし、直そうともしませんでした。その点、ストイックなジョージとは対照的ですね。ジョージは、年齢が若かったこともあり、ステージやレコーディングでは結構テンパったりしてたんです。

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ただ、このジョンのラフさ加減が、とんでもない傑作を生み出したところがまた天才なんですね。彼は、コード進行のセオリーを全く無視した作品を数多く生み出しましたが、これこそ正に彼のラフさがプラスに働いた良い例でしょう。ギタリストとしてもラフさは相変わらずでしたが、それがまたちょうど良いテイストになっていて、作品全体のグルーヴ感をうまく引き出しているんです。

 

あ、そうそう、ジョンは、作詞・作曲はもちろんですが、ギターに関する限り、リック(短い定型のフレーズ)、間奏、リフ、アレンジなどの多くも手掛けていました。例えば、後にご紹介する「アイ・フィール・ファイン」のブルースをベースにしたリフも彼が作りました。

 

特にリックは短いので気が付きにくいのですが、実に上手く挟んでるんです。彼の作曲家としての才能は、こういったところでも生かされていたんです。ただ、レコードにそこまではクレジットされないので、ジョンがこれは自分が作ったと言えばそれを信じるしかないんですが。

 

ジョンの特徴として、右手首を柔らかく使ってストロークし、前腕はあまり大きく振っていません。相当手首が強くないと疲れると思うんですが、これがあのサウンドが生まれた隠れた秘密かもしれません。

 

2    アイム・ハッピー・ジャスト・ダンス・ウィズ・ユー

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ジョンは、アメリカの偉大なロックンロールギタリストである、ボ・ディドリーっぽいリズム・ギターを弾いています。彼がチャック・ベリーらとともに活躍したことにより、それまでリズム・アンド・ブルースと呼ばれていた音楽がロックン・ロールと呼ばれるようになったため、「ロックンロールの生みの親」とも称されています。

 

「ボ・ディドリー・ビート」と呼ばれる演奏スタイルは、コードやメロディーはシンプルにしてリズムを前面に押し出してノリを作るもので、彼こそジョンのリズム・ギターの原点ではないかと思えますね。少し、後の時代になりますがこれが彼の演奏です。

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さて、この作品でもジョンのリズム・ギターのカッティングが冴えています。聴いているだけで本当に踊り出したくなるような素晴らしいリズムを刻んでいます。もっとも、ジョージのギターとのコンビネーションがあることも忘れてはいけません。こんな感じです。

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3 アイ・フィール・ファイン

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この作品を初めて聴くと誰でも衝撃を受けます。イントロでベースが「ボン」と音を立てたかと思うと、ギターが「ンニョ~~~~~」なんてありえないサウンドが流れてくるからです。「な、何だ、この変なサウンドは?」とリスナーが戸惑っていると、実にキャッチーで軽快なイントロが始まります。

 

これは、「フィードバック」という奏法で、エレキギターをアンプに近づけると共鳴してこんなサウンドが出るんです。ちょうどマイクをスピーカーに近づけるとハウリングが起こって「ピー」なんて耳障りなサウンドが聞こえるのと原理的には同じです。やり方は、こんな感じです。

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ポールとジョージは、スタジオでジョンがギブソンのセミアコースティックギターをアンプに近づけているところを見ました。すると、変なサウンドが聴こえてきたのです。それで2人が「それ何だい?ヴードゥー教かい?」と尋ねると、ジョンが「違うよ。フィードバックさ。」「凄いじゃん!」そして、彼らは、プロデューサーのジョージ・マーティンにこのサウンドを録音できないかと尋ね、彼は、多分できるだろうと応えました。

 

その時の様子を語るジョージ・マーティン、そしてポール、ジョージ、リンゴです。マーティンは、恐らくフィードバックをレコーディングに使ったのは、ビートルズが世界初だろうと語っています。

 

ポールは、「ジョンがA弦を弾いてギターをアンプに近づけると、ンニョ~~~~~なんてサウンドが聴こえて来たんだ。何だそれ!と思わず叫んだよ。」ジョージは、「ジョンは、ステージでもA弦を弾いてアンプに近づけてフィードバックをやっていた。彼がジミー・ヘンドリックスを考え出したようなもんさ。」と、後にヘンドリックスがこの奏法を取り入れたことをユーモアを交えて語っています。

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偶然がもたらしたサウンドですが、並みのミュージシャンなら「おっと、いけねえ。」とすぐギターをアンプから離して終わりです。しかし、ジョンは、これは面白いと作品に取り入れたんです。しかも、シングルA面のヒットを狙う大事な曲でやるんですから、天才のやることは凡人にはうかがい知れません。

 

以前にも解説しましたが、サウンドを加工しようと最初に考えたのはジョージですし、実際、「アイ・ニード・ユー」でヴォリューム・ペダルを使用して効果を引き出しました。しかし、それは幻想的な雰囲気をもたらすという効果を上げるという点でまだ許容範囲といえましたが、いきなりイントロで雑音をぶち込むなんて大胆な発想は、流石にジョンでなければ思いつかなかったでしょう。

 

ただ、当時のEMIは、ミュージシャンの収録に関する厳しいコードがあり、フィードバックのような雑音をレコードにすることは禁止していたんです。しかし、ビートルズは、それを無視して強引にねじ込みました。

 

やむを得ず、EMIは、収録時にジョンがうっかりミスしたのをそのまま使ったとアナウンスしました。解散後の1973年にリリースされたいわゆる「赤盤」に添えられたライナーノーツには、まだそう書かれていたと思います。

 

ジョンは、1980年にインタヴューで「ヘンドリックスよりもフーよりも、誰よりも先にフィードバックをレコードにしたんだ。」と語っています。彼が名を挙げたアーティスト以外にもジェフ・ベックブライアン・メイなど、世界中のアーティストたちが、これを取り入れました。

 

そして、ジョンは、この作品で初めてリフから曲を作ろうと考えたのです。彼は、アルバムの全作品にリフを取り入れようと他のメンバーに提案したのですが、彼らはジョンの好きにやったら良いとは返事したものの、実際には収録は殆ど終わっていたので実現しませんでした。

これもアマチュア・ギタリストの演奏を観てみましょう。上がジョン、下がジョージのパートです。バレーで弦を押さえてコードを弾きながら、残りの指を巧みに使ってメロディーも弾いています。指の力もいるし、小指を相当伸ばさないといけません。ジョージも同じようにやってますが、お互いリード・ヴォーカルとコーラスをやりながらですからね。

 

間奏でジョンのリズム・ギターがメロディーを弾きながら下降していくところがカッコいいです。

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(続く)

(参照文献)THE BEATLES MUSIC HISTORY 

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(号外)ジェフ・ベックの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を聴いて来ました!

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ジェフ・ベックの大阪ライヴを観て来ました。デビッド・ボウイも亡くなったし、今観られるチャンスがあるものは、しっかり観ておこうと思ったんです。 

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彼は、良くこの曲をセットリストに入れているようです。アンコールの2曲目、ジェフ・ベックのギターから奏でられる「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を聴く。ビートルズファンにとっても、ジェフ・ベックファンにとっても、正に至福のひとときでした╰(*´︶`*)╯♡あの名曲をベックがアレンジするとこうなるのかと感激しました。なお、これは今日のライブの動画ではありません。

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私は、ビートルズのオリジナルは当然好きなんですが、他のアーティストのカヴァーも好きです。ただ、そこにリスペクトが感じられないとNGなんですが、ベックのギターにはそれが痛い程感じられました。スティービーワンダーの「スーパースティッション」も素晴らしかったです。

 

しかし、ギタリストって歳を取らないんでしょうか?彼も72歳ですが、全く年齢を感じさせない華麗なテクニックに酔いしれました。

 

彼は、ピックを使わないいわゆるフィンガー・ピッキング奏法を採用しています。双眼鏡で右手の親指のダウンストロークを食い入るように観ていましたが、どうやったらあんな高速のピッキングができるのか分かりませんでした。何しろ2階席だったもんで(^_^;)

 

彼は、代名詞であるトレモロアームも盛んに使っていました。あ、そうそう、スティール・ギターも使ってましたね。

彼は、ステージの中央から僅かに歩くだけでしたが、そのギターから繰り出されるサウンドは、融通無碍というか、変幻自在というか。その表現力の豊かさには、ただただ圧倒されっぱなしでした。

 

華麗なプレイに酔いしれたまま、あっという間に時間が過ぎ、心地良い余韻に浸りながら、気が付いたら家路に着いていました。

(続く)

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(その107)ジョン・レノンのギター・テクニックについて(その2)

ビートルズ ポップス 洋楽

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前回に続いてジョンのギター・テクニックについて具体的な作品を通じて解説します。 

1 ビートルズの演奏テクニックに対する関心の高さ

このブログを書きながらいつも感じるのは、読んで下さっている皆さんのビートルズの演奏テクニックに対する関心がとても高いことです。なぜそれが分かるかというと、ブログのデータを解析すると、上位にズラ~っと4人の演奏テクニックに関する記事が並び、いつも変わらないからです。それ以外だと、「アビイ・ロードでジャケット写真とそっくりの写真を撮ろう!」「ビートルマニアの凄まじさ」「ア・ハード・デイズ・ナイトのオープニング・コードの謎」なども結構人気がありますね。

 

このテーマが難しいのは、ビートルズが実際にどう演奏していたのか、正確に確認できる資料があまり残されていないことです。ビートルズの前期のライヴの映像ではメインヴォーカルをカメラで抜くことが殆どで、ギターやベースの手元はあまり抜いていないですし、後期に入るとライヴ自体を止めてしまいましたから。

 

また、彼らは、歌詞は書きましたが、譜面には落とさずコードだけを書いていたんです。後はスタジオで実際に演奏しながら曲を作り込んでいきました。ともかく、60年代って、今では信じられない位アバウトでしたから、ちゃんと記録を残しておくという習慣が無かったんです。

 

ですから、彼らが実際にどう演奏したのかは正確なことは分からないんです。同じサウンドを出すにも色々な方法がありますから、そのどれを実際に選択したのかを特定するのは難しいんです。それどころか、作品によっては、誰がギターやベースを演奏していたのか、なんてことが未だに議論されていますから。

 

色々と解説しておいて実際には異なる奏法だったかもしれない、なんてちゃぶ台返しかもしれませんが(^_^;)、その辺りはご容赦下さい。  

 

2 アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア

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ジョンのジャンキーなリズム・ギターが冴えている作品です。ポールの「ワン、ツー、スリー、フォア!」のカウントが終わるやいなや、メンバー全員が全速力で一気に突っ走ります。

 

ビートルズは、こんな完成度の高い作品を既に下積みのキャヴァーン時代に完成させ、演奏していたんですから恐れ入ります。しかも、かなりアップテンポな曲にもかかわらず、3人がヴォーカルをやりながら演奏するんですからね。

 

ジョンのギターは、「ジャラ〜ン」と単にダウンストロークするのではなく、アップとダウンを繰り返しながら、「ズズズズン、ジャッ、ジャッ、ジャッ」と、ブリッジミュート(ギターのブリッジの所で右手を使ってサウンドを消す)を使いながら、歯切れよくストロークしてあのノリを作っています。ピックを弦に叩きつけるようなちょっと乱暴な感じですが、これが独特のジャンキーなフィーリングを生んでいるんですね。この辺りは、チャック・ベリーの「ロール・オーヴァー・ベートーベン」のリズム・ギターの弾き方に近いかもしれません。

 

また、解放弦を巧みに使って作品全体にパワーを与えています。Bメロでは左手の小指を巧みに使って、チャック・ベリーっぽいロカビリー風のサウンドを出してます。ここでは、右手のピッキングがかなり忙しくなります。

 

これもアマチュア・ギタリストの演奏を参考にしてみましょう。

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作品自体の素晴らしさに加え、ポールのヴォーカルとベースランニング、ジョージの軽快に走るリードギターと粋なソロ、リンゴのスネアを使ったパワフルでスピーディーなドラム(特にワシントンコロシアムでのライヴは圧巻)、正にFAB4オールスターズが生んだ傑作です。

3    ユー・キャント・ドゥ・ザット

印象的なギター・リフは、作品のイメージをリスナーの脳裏に刻み込むというロックでは欠かせない要素ですが、ビートルズはこの作品でそれを取り入れています。そして、これ以降の作品、例えば、「アイ・フィール・ファイン」「デイ・トリッパー」「ティケット・トゥ・ライド」などの作品でも盛んに用いるようになりました。

 

ギターに限らずピアノでもそうなんですが、リフに関しても彼らは、実に素晴らしい作品を数多く残しています。ビートルズとしては、恐らく「マネー」がリフを効果的に使った最初の作品ではないかと思います。

 

もちろん、ポピュラー音楽の世界では、以前からリフを入れることは行われてきましたが、それを効果的に使って普及させたのは、ビートルズが初めてではないかと思います(違ってたらすいません)。

 

実際、60年代に入ってから、リフを効果的に使った作品が目立つようになりました。典型的なのは、ローリングストーンズの「サティスファクション」ですね。キース・リチャーズがリフと出だしを作り、残りはミック・ジャガーが作りました。リフから先に作るなんて、当時ではあり得なかった発想です。

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これはライヴの映像ですが、ジョンが自分のヴォーカルが終わって間奏に入ると勘違いして、「アオ!」とシャウトした後にポールとジョージがコーラスを続けているので、「え?まだオレのヴォーカルだっけ?」と慌ててマイクに向かうところが笑えますね(笑)

 

ポールとジョージを2度見して、半笑いでヴォーカルを続けてます。幸いなことにポールもジョージも演奏に集中していて気づかなかったようで、「やれやれ、上手くごまかせたぜ(^_^;)」って思ってたんでしょうね。

 

こんな風にジョンは、ライヴで間違えることはしょっちゅうでした。どうせ、観客の絶叫で殆ど聴こえてなかったんですがね。

それはともかく、ジョンは、ジョージのアルペジオで始まるイントロに続いて、「ジャ~ン、ジャッ」ってな感じでリズムを刻んでいますが、これがたまらなくカッコいいですね。シンコペーションを巧みに使ってノリを出しています。ジョンのリズムギターの中では、これが最高傑作だとする人もいます。

 

彼は、1964年にこう語っています。「オレは、いつもはリズム・ギターに魅力を感じていた。でも、偶にはリード・ギターもやりたいと思う時があった。この曲がそうさ。」

 

ジョンは、リズム・ギターの要素を兼ね備えた、ジョージとは全く異なる荒々しいソロを叩き出しました。リズム・ギターの要素を取り入れた力強いストロークで、ダブル・チョーキング(2本の弦を同時にチョーキングする)を入れるなど、ジョージのカントリーっぽい繊細なソロとは全然違うワイルドな感じですね。「この野郎!」ってな感じで、2本の弦をギュイーン!っと引っ張っています。

 

その荒々しさが、恋人に対して「今度あの男と口を聞いたらタダじゃおかねえからな。」なんて物騒な歌詞にもピッタリ合ってます。

 

「気が向いたらソロもやった」というのは、この時のことも含んでいるのでしょう。リズムに関してもジョージが几帳面に刻むのに対して、ジョンは、はずしてしまうギリギリのタイミングで荒々しく刻んでいます。

 

これもアマチュア・ギタリストの演奏を参考にしてみましょう。

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ジョンは、この時リッケンバッカー325というネックが短いショートスケールを使っていました。このギターは、ハイポジションになるとフレットが詰まっていてとても弾きにくいんです。ジョンみたいながっしりとした体格で、手の大きな人が弾いたらさぞ弾きにくいだろうという、そもそもリード・ギターを弾くには不向きなギターです。

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それを彼は、コードを巧みに入れながら弾いているのですから、やはり只者ではありません。しかも、リード・ヴォーカルをやりながらですからね。

 

そして、ジョンは、ジョージの12弦リッケンバッカーのリード・ギターも褒めています。「ピアノみたいな感じでなかなかイカすだろ?」エンディングがリード・ギターとベースのユニゾンになっているところも特徴的で、ジョンは、この点を自慢していました。リタルダンド(演奏のテンポを次第に落としていく)で余韻を残して終わるところもなかなかシャレています。

(続く)

(参照文献)THE BEATLES MUSIC HISTORY 

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