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★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その119)ポール・マッカートニーのヴォーカルの凄さについて(その5)

「a hard day's night」の画像検索結果

2 明るく元気系

ポールの若かりし頃の明るく元気一杯のヴォーカルです。特に前期の曲で目立ちます。

1 キャント・バイ・ミー・ラヴ

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この系列の筆頭に挙がる曲です。ビートルズ初の主演映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」でも採用されました。雲一つない青空に向かって大きな声で元気一杯に歌っているような気持の良い曲です。映画で4人が走り回っているシーンにピッタリですね。

 

これまでシングルA面の曲はジョンとの共同作業で作ってきましたが、この曲は、ポールが初めて単独で制作しました。ジョンがポールの才能に脅威を覚えたのもこの曲です。これ以降、シングルA面をどちらが取るかで競争することになりました。

 

ポールは、もう少しトーンを抑えたややブルージーなヴォーカルもレコーディングしました。というのも元々ブルージーな曲にするつもりで作曲したからです。これはテイク2です。

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聴いてみてどうですか?何か違和感がありますね(^_^;)やっぱり、聴きなれたテイクの方が元気があっていいです。

 

ビートルズは、彼らの原点ともいえるモータウンやロカビリーの影響を受けたこともあり、アップテンポなアレンジの方がこの曲には合うだろうということで、ポールのヴォーカルも明るく元気なものが採用されました。シャウトこそしていないものの、力強さを感じさせるヴォーカルは、やはりリトル・リチャードの影響を想い起こさせます。

 

イントロなしでいきなりサビのタイトルをコールすることにしたのは、プロデューサーのジョージ・マーティンのアイデアです。狙い通りインパクトのある出だしになりました。ジョンとジョージが「ooooh satisfied」「ooooh just can't buy」とバック・コーラスを入れたテイクもレコーディングされましたが、結局、ポールのリードヴォーカルのみのテイクが使用されました。

 

この頃には既に4トラック・テープ・レコーダーが導入されていて、一人のダブル・トラック・レコーディングも空きトラックを使って簡単にできるようになりました。それで、ポールのヴォーカルはダブル・トラッキングになっていますが、ライヴで演奏する時はジョンがユニゾンで歌っていました。

 

そうそう、ダブル・トラッキングについて触れておきましょう。これは、プロデューサーのジョージ・マーティンとレコーディング・エンジニアのノーマン・スミスのコンビが、ビートルズの楽曲のレコーディングで採用したテクニックですが、2トラックのテープ・レコーダーしかなかった当時は、一人がヴォーカルを2度歌い、それを重ねました。そうすることでヴォーカルの厚みが増すんです。左側の人物がスミスです。

「norman smith emi」の画像検索結果

ビートルズがこのテクニックを使うようになったきっかけは、ジョンが自分の声を嫌っていたからです(^_^;)彼は、自分の声にコンプレックスを抱いていたんです。あんな良い声をしているのに信じられませんけどね。ビートルズは、盛んにこのテクニックを用いるようになり、彼らが採用して以降、広く音楽界で用いられるようになり進化していきました。

double tracking

シングルA面でリードヴォーカルのみでコーラスがなくなったのは、これが初めてです。

 

2    シー・ラヴズ・ユー

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記念すべき初のミリオンセラーを獲得した作品ですが、ここでもポールの元気一杯のヴォーカルを聴くことができます。ジョンとのツイン・ヴォーカルで時にはユニゾン、時にはハーモニーと見事に切り替えています。コーラス系に分類しても良いほど、見事なコーラスを聴かせてくれます。

 

リードヴォーカルは、ポールで高音のパートを、ジョンは低音のパートを担当しています(ジョンがリードヴォーカルだと主張する人もいます)。 

 

ポールは「ノン・ヴィブラートの代表格」とご紹介しましたが、実は、この作品ではほんの僅かですが、ヴィブラートをかけているところがあります。といっても、よほど耳の良い人でないと聴き取れないとは思いますが…。

 

「bad」のところですね。ヴィブラートといっても、ジョンとのツインヴォーカルになっているうえに、小さく早いので殆ど聴き取れないでしょう(^_^;)

 

普段ヴィブラートをかけない彼らが、なぜここでヴィブラートをかけたのかは分かりません。下手に入れるとコーラスが崩れてしまいますから、2人で相談してかけたと思われます。

 

3 アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア

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この作品の歌詞は、冒頭に一般的にはカットされるカウントが入っている珍しいパターンになっています。

 

このレコーディングには大変苦労し、何回もテイクを重ねたためポールがイライラし、テイク9で半ばヤケ気味に「ワン、トゥー、スリー、ファ~~~」とシャウトしました。本来なら、最後は「フォー」ですからね(^_^;)

 

しかし、結果として曲の冒頭のこの部分が実に小気味良いアクセントになっていたため、このテイクのここだけを採用したのです。歌詞を「fahhh~!」と表記しているものも見受けられます。

 

サビのところは、リトル・リチャードの影響を感じさせ、ゴスペルっぽくファルセットを使わずにハイトーンを出しています。そして、ジョージのギターソロが終わると再びポールの熱いヴォーカルが始まり、一目ぼれした17歳の女の子とダンスしたいというほとばしる想いがリスナーに伝わってきます。

 

しかも、すごく忙しいベースラインを刻みながら、リードヴォーカルをやるんですよ。おまけにライヴ映像を観るとポールは、殆ど弦を押さえる右手を見ていません。いかに下積み時代からやりなれた曲とはいえ、初期の頃でももうこんなレヴェルの高いプレイをやっていたんです。

4 ホールド・ミー・タイト

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無邪気ともいえるポールの若々しいヴォーカルが聴けます。コアなファンの間でも評価が分かれる作品で、制作したポール自身も「仕事で作った曲」と語り、あまり評価していません。ジョンもあまり評価していませんね。私は、結構気に入ってるんですけどねえ~(^_^;)思わず手拍子を入れたくなる軽快な初期のマージービートだと思います。

 

実は、この曲は、ライヴでは一度も演奏されたことがありません。なぜでしょう?それは、レコードではFになっているキーが、レコーディングではEで演奏され、編集で回転数を半音上げたため、ライヴではレコードのように再現できなかったからです。ステージはもちろん、BBCでも演奏されませんでした。

 

ポールのヴォーカルはFでも問題なかったと思うのですが、キーをFにするとベースを弾くのが難しいみたいです。1963年に制作された曲ですが、この頃にはもうこんな編集をしていたんですね。回転速度を上げ下げするというテクニックは、後々まで使われることになります。

 

あっさり演奏できそうに思えますが、意外に複雑な曲構成でピッチの取り方やブレスの入れ方が難しいんです。また、同じコードが続く場合、短音では単調になってしまいがちなので、半音または全音を変えたりする「ラインクリシェというテクニックを使っています。これにより感動的で滑らかなメロディーを作りだすことができます。

 

この作品では、コードチェンジの間にサラッとヴォーカルを半音下げて聴き心地の良い流れにしていますが、決して全体のバランスを崩してはいません。ビートルズってこういう難しいことを何気にやっているので、良く知らない人には「大したことない」と誤解されてしまいがちなんですが、これもその例でしょうね。気に入った作品でなくても決して手は抜かない、これがビートルズの凄さです。

 

構造が複雑で演奏も難しいため、ファースト・アルバムでは満足のいくレコーディングができず、セカンド・アルバムに回されたのですが、それでも何度もテイクを撮りなおしました。もっとも、毎度のことながら、ジョンが歌詞を間違えたのが大きな要因ですが(笑)

 

下は、レコーディング・テイクです。スミスが何度も間違えるビートルズにイライラして「テイク23!」「24!」と怒鳴っているのが聞こえますね。レコードに比べると演奏しているキーが低いことが分かります。

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次回は、「うっとり系」をご紹介します。

(参照文献)enmore audio, RollingStone, soundscapes, Slate, THE BEATLES  MUSIC HISTORY

(続く)

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(号外)ポール・マッカートニーの2017年来日公演の裏話について

2017年のポール・マッカートニーの来日公演について、「もう来ない詐欺」とか「金儲け主義」とか、一部のマスコミが批判的な報道をしています。これについては、別のHPで反論していますのでそちらをご覧ください。

www.studiorag.com

1 ライヴへのこだわり

今回の日本武道館公演の裏話を2017年4月2日のInterFM897で倉本美津留さん、浦沢直樹さん、湯川れいこさん亀田誠治さん、森川欣信さんという自他共に認めるビートルズ・フリークの錚々たる面々が語っていました。

 

亀田さんは、2013年ポールが来日した時に直接取材で会ったことがあるんです。その時に、彼が未だにオリジナルのヘフナーを使い続けていることについて、あんな華奢なベースをツアーに使って大丈夫ですかと聞いたんです。そしたら、運搬する時は大事に赤ちゃんを抱くようにして、飛行機も楽器のためにファーストクラスを抑えているんだそうです。

 

それまでのツアーではリッケンバッカーを使っていたんですが、友人のエルヴィス・コステロからヘフナーを使うように勧められて替えたんだそうです。コステロは、観客がよりビートルズ時代のポールをイメージできると考えたのでしょう。大正解だと思います。ポール・マッカートニー=ヘフナーというイメージがファンの頭の中に出来上がっていますから。特に、ライヴではずっとヘフナーでしたからね。

 

亀田さんによるとポールがセットリストを変えないのは、曲が強いから、つまりどの曲も外せないからではないかということです。でもね、サウンドチェックの時には全然違う曲も演奏してるんです。福岡のリハーサルでは「ユア・マザー・シュッド・ノウ」を演奏しましたが、本番ではやらなかったんですね。

 

私は、サウンドチェックの抽選に応募したんですが、残念ながらはずれてしまいました( ノД`)

 

ポールが3時間ぶっ通しでライヴをやること、そしてその間水分補給を一切しないことは多くのファンが知っています。しかし、湯川さんによると、水分補給しないことにもちゃんと彼なりの理由があるんだそうです。実は、リハーサルの時はちゃんと水分というか、スペシャルドリンクを盛んに飲んでるんです。

 

2014年にポールが来日した際に急病になったとき、日本で彼を診察したドクターからは当然、脳梗塞心筋梗塞のおそれがあるから水分補給すべきと忠告されたそうですが、ライヴの途中で水分補給してしまうと、熱をもって膨らんだ声帯が水で冷やされて、声が変わってしまうのでやらないんだそうです。つまり、ポールは、ステージの上で死んでも構わないという覚悟で演奏してるってことですね。

 

2 日本武道館のもつ特別な意味

2015年に武道館でライヴをやって欲しいと日本側から要請した時に、ポール側のスタッフが何で5万人を集められるアーティストなのに、1万人しか入らない会場でやるのかという疑問を持ったんですね。それはそうでしょう、単純に考えれば客単価が上がりますから、それがチケット代に跳ね返ってしまいます。そして、ポール自身もあの武道館を打ち上げるまでは、それ程の思い入れはなかったようなんです。

 

しかし、日本側のスタッフは、武道館が日本人にとってどれだけ意味のある場所か、ポールがあの場所でライヴをやることがどれほど重要かについて熱心に説明しました。それに武道館はサウンドが良いんですね。

 

私も武道館へ行きましたが近いんです、ポールとの距離が。私は、ポールの左斜め後方の席だったからダメでしたけど、アーティストからは、ライヴハウスみたいに一番奥の観客の顔まで見えるんだそうです。ラッキーなら目と目が合うこともあります。これは実際に武道館のステージに立った亀田さんの証言です。

「ポール 来日 2015 武道館 ユニオンジャック」の画像検索結果 

武道館でのライヴでは、レット・イット・ビーの演奏の際に、コンピュータ制御で観客が腕に着けたリストバンドが、スタンド席はユニオンジャックに、アリーナは日の丸に点灯したんです。ポールは、このサプライズ演出に感激のあまり顔を両手で覆い、しばらく動けませんでした。

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それでポールは、翌日一人で自転車を漕いで武道館へ行き、しばらくそこに佇んで感慨にふけりました。翌日にわざわざライヴを終えた後の会場へ行くなんて、よほどのことがなけりゃそんなことしませんよ。

 

その後のインタヴューで、彼は、その時のライヴがどれほど伝説的だったかを語りました。さらにその後のロンドン、リヴァプールのライヴのステージでも、武道館がどんな素晴らしい場所で、そこにおけるライヴがどれほど素晴らしかったかを観客に語ったのです。

 

翌年の2016年のカナダ、ドイツ、アメリカのツアーでも、会場に日本人がボードを持っているのを見つけると、指をさしてこっちへおいでとか、ステージに上がるように促したりとか、大変な歓迎ぶりだったんです。

3 海外ツアーの開催は容易ではない

湯川さんは、ポールがセットリストを大きく変えないのは、自分が完璧にできる曲を演奏したいと考えているからではないかと推測しています。

 

亀田さんは、ポールのシャウトは凄くフレンドリーだと表現してますね。ラウドなんだけど暴力的ではない、暖かいシャウトだと。分かる気がします。

 

森川さんは、京セラドームで「私は1966年に武道館に行きました」と書いたボードを持って立っていたら、ポールにステージから指をさされて「君、武道館に来てたね。良く覚えてるよ。」と言われたんです。私は、その時そこにいてそのシーンを観てました。ポールのユーモアのセンスに感心したんですが、きっかけはファンが作ったんですね。

湯川さんによれば、ポールは、離婚した前妻のヘザーとの間に生まれた娘のベアトリスと、月14日面会しないといけないと義務付けられているんだそうです。つまり、そんなに長くロンドンを離れることができないんですね。そんな制約があるにもかかわらず、来日してくれるんですよ。

4 著作権問題

これは、上記とは別のお話ですが、ポールには著作権問題が重くのしかかっています。この問題は大変複雑なので詳細は別稿に譲りますが、一言でいえば「ポールは、自分がビートルズ時代に制作した楽曲の著作権を所有していない。」ということなんです。つまり、自分で制作した楽曲にもかかわらず、ライヴで演奏する時は、莫大な使用料を所有者に支払わないといけないのです。

 

ライヴを開催する時は、プロモーターが使用料を管理会社に支払います。そして、管理会社からコンポーザーなどに支払われるのです。ポールがビートルズ時代の楽曲を演奏すると、他のアーティストをカヴァーした時と同じように使用料が支払われます。つまり、プロモーターは、それを見込んで経費を積算しなければなりません。

 

これがいかに巨額かというと、例えば、「イエスタデイ」1曲で全世界で年間3,000万ドル(日本円で約32億5,440万円)が支払われていると推計されています。ポールがライヴを開催する時に、プロモーターが1公演当たりいくらの使用料を支払っているのかは不明ですが、推計すると約900万円近いのではないでしょうか(あくまで試算です)?

 

彼がソロになってからの楽曲については、いずれ管理会社から彼にコンポーザーとしての使用料が支払われますが、ビートルズ時代の楽曲については支払われません。もちろん、他の種類の料金は発生するので0円ということはありませんが、いずれにしてもキツい話です。

「自分の制作した楽曲なのに使用料を支払わないと演奏できない。」契約があるからとはいえ、アーティストにとってこれ程屈辱的なことはありません。ポールは、50年以上もこの屈辱に耐えてきたのです。

 

5 まとめ

つまり、ポールが来日公演を行うことは、それほど簡単ではない。」ということです。上記のような様々な制約をすべてクリアしないといけないんです。こういった背景+HPでご紹介した事情を理解すれば、彼の来日公演をあれこれ批判することはできません。

(続く) 

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(その118)ポール・マッカートニーのヴォーカルの凄さについて(その4)

引き続きポールのヴォーカルの凄さについてお話しします。

1 ハイトーン・シャウト系(続編)

3 カンザスシティ/ヘイ・ヘイ・ヘイ!

「beatles concert」の画像検索結果

これも前期のカヴァー曲です。ビートルズが本当に天才だと思うのは、オリジナル作品ももちろんなのですが、カヴァー曲のアレンジが抜群に上手くてオリジナルを凌駕してしまうことですね。この作品もその典型的な例です。オリジナルの曲構成を巧みに変えています。

 

前にもお話したようにポールは、リトル・リチャードが大好きで、この曲もポールにとって最高のレコードの一つだとレコーディング・エンジニアのジェフ・エメリックに語っています。

 

この曲の由来は、ちょっとややこしいんですが(^_^;)、オリジナルは、1952年にリリースされたリトル・ウィリー・リトルフィールドの「KC・ラヴイング」という曲です。

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リトル・リチャードは、1956年に「ヘイーヘイーヘイーヘイ」という全く別の曲をリリースしました。

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そして、先ほどのKC・ラヴイングにこれを付け加えたヴァージョンを「カンザスシティ/ヘイ ヘイ ヘイ ヘイ」としてリリースしました。タイトルにスラッシュが付いているのはそのためです。

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いや、このアイデアは大したもんです。さらに「Hey!Hey!Hey!Hey!」とシャウトするところにスタッカートを入れてインパクトをより強くしました。

 

イギリスのチャートでは26位止まりだったんですが、リチャード好きのビートルズが見逃すはずはありません。レコードだけではなく、リチャードと共演した時に彼の演奏を聴いて、しっかりカヴァーしました。

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実は、ポールは、リチャードと共演した時に彼のヴォーカルを聴いただけではなく、シャウトの秘訣を直接教えてもらったのです。え?どんな秘訣かって?それは知りません。ポールに聞いてくださいな(笑)

 

ポールがイントロの後に高いキーで「Ah~」と入り、間奏の後に「Hey!Hey!Hey!Hey!」とシャウトするところがしびれますね。

 

「エイト・デイズ・ア・ウィーク」のイントロとアウトロの編集用テイクをレコーディングした後に、この曲のレコーディングを始めました。当時のビートルズは超過密スケジュールで、この時も全英ツアーの合間を縫ってのレコーディングだったんです。

 

それでなくてもポールは喉を酷使しているのに、「いきなりこんな高いキーの曲から始めるのか?」とエメリックは驚きました。ビートルズは、スタジオ入りしても時間がないため、ロクにウォームアップすらしていなかったのです。

まあ、並みのシンガーなら喉を潰してしまったかもしれません。しかし、そこは「超合金でできた喉を持つ男」です。彼は、下積み時代からずっと歌い込むことで喉を鍛えてきたのです。ビートルズは、自信満々でレコーディングに臨むと完璧な演奏を行いました。

 

2テイクレコーディングしましたが、最初のテイクが余りに素晴らしい仕上がりだったので、これが採用されました。数ある「ビートルズの一発撮り」の一つです。オーヴァーダブを入れてもたった30分で完成させてしまいました。

 

4 オー!ダーリン

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これは後期の曲になりますが、特にサビの部分でのポールの高いキーは、とても並みの男性では出せません。そのためか、他の曲とは違って女性が多くカヴァーしています。これは少女のカヴァーですが、大人顔負けですね。参った(^_^;)

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キーが高いだけではなく力強さも必要なため難易度が高く、ポールですらレコーディングでは苦戦しました。彼は、「5年前だったら、こんなの簡単にできたのにな。」と弱音を漏らした程です。

 

それでも彼は諦めず、喉が潰れるのも覚悟して、納得が行くまで何度もテイクを重ねました。そのため、ゆったりとしたテンポにもかかわらず、ポールの高音で力強いヴォーカルには鳥肌が立つような鬼気迫るものがあります。

EXCLUSIVE: Hear Paul McCartney’s Original Vocal Take From The Beatles’ “Oh! Darling” | Society Of Rock Videos

ジョンは、あまりに作品の完成度が高いこと、特にヴォーカルが素晴らしいことに感嘆し、自分に歌わせてくれと頼んだほどです。しかし、ポールは断りました。

 

そりゃあねえ、こんな名曲を人には歌わせたくないですよ。それに作詞作曲は、相変わらず「レノン=マッカートニー」になりますから、一般の人は、ジョンが作ったと誤解してしまいますしね。

 

ジョンは「曲は素晴らしいけど、ヴォーカルはイマイチだな。この曲は、ポールよりオレの方が上手く歌えたはずさ。ポールは、この曲を作って自分で歌った。ポールに才能があれば、オレに歌わせたはずさ(笑)」と悔しがりました。何かジョンの悔しさが伝わって来ますね。

 

逆に、ポールがジョンに「いいよ、その代わり、カム・トゥゲザーをオレに歌わせてくれよ。」って言ったらOKした?ジョン?絶対しなかったよね?(笑)

 

5    ヘルター・スケルター

これは、正にその後の「ハードロック」「ヘヴィメタル」「パンクロック」という新たなジャンルの先駆けともいうべきラウドな曲です。

 

実際、オジー・オズボーンジーン・シモンズらに多大な影響を与えました。エアロ・スミス、U2、ヴォン・ジョヴィ、オアシス、モトリー・クルーなど数多くのアーティストがカヴァーしていることからも、その影響の大きさがうかがい知れます。

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ヴォーカルの強烈なシャウト、鼓膜を破るかのような激しいサウンドがイントロからエンディングまで響き渡ります。

 

しかも、キーが高いんですよ、この曲。それでシャウトするんですから、普通の人がやったら確実に喉が潰れます。「ポールはキレると怖い」という評論家の評論もありますが、本当に何かに憑りつかれたんじゃないかと思うほどシャウトしまくっています。とても「イエスタデイ」を歌ったヴォーカリストと同一人物とは思えません(^_^;)

 

ポールは、ザ・フーピート・タウンゼントが、1967年10月に「恋のマジック・アイ」というシングルをリリースした時に、メロディーメイカーのインタヴューで「今までのどの楽曲よりも激しく妥協のない曲」と語った記事を見て、それに触発されて制作したと語っています。

 

ヘルター・スケルターとは、名詞としては、公園などにある子どもの遊具でらせん式の滑り台を指し、形容詞としては、混乱しているという意味になります。こんな感じですね。

「helter skelter」の画像検索結果 

ポールのヴォーカルが冒頭から徐々に盛り上がって4小節目で最高潮を迎えますが、それにつれてリンゴのスネアも激しさを増していきます。5小節目の最後に「Yeah!Yeah!Yeah!」とポールのヴォーカルが入りますが、これは「シー・ラヴズ・ユー」のコーラスを再現したものです。

 

この作品ではポールの要求により、リヴァーブやエコー、ADTそしてディストーションがふんだんに使用されています。最初の8小節にポールのシングル・トラックのヴォーカルの強いエネルギーが凝縮されています。

ポールのメインヴォーカルのバックでジョン、ポール、ジョージが3メジャーで「Ah〜」とコーラスを入れています。9小節目の演奏とポールのヴォーカルは完全にアドリブです。

 

ポールは、2009年7月17日〜21日に、ニューヨークのシティ・フィールドでライヴを開催し、この時演奏されたヘルタースケルターは、「Good Evening New York City」というアルバムに収録されました。そして、ポールは、グラミー賞のベスト・ソロ・ロック・ヴォーカル・パフォーマンス部門を受賞しました。

「paul mccartney new york 2009 helter Good Evening New York City」の画像検索結果 

66歳でしかもライヴ・パフォーマンスでヴォーカルが評価されるとは、流石ですね。

 

6 その他

ジ・エンド、アイヴ・ガット・ア・フィーリングなどポールのハイトーンヴォイスは、様々な曲で聴くことができます。 

 

次回は、「明るく元気系」に移りましょう。

(参照文献)BEATLES MUSIC HISTORY, BEATLES RECORDING SESSIONS

(続く) 

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(その117)ポール・マッカートニーのヴォーカルの凄さについて(その3)

1 自然と身につけたヴォーカル・スタイル

私が参加しているファン・グループのある方から、ビートルズの発声法について情報を提供していただきました。

 

プロのヴォイス・トレーナーによると、彼らは、例えば「シー・ラヴズ・ユー」の時に頭を振って発声しているが、あれはパフォーマンスだけではなく、発声法としても理にかなっているということです。

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つまり、ヴォーカルは、首の後ろから鼻腔も開いて発声しないといけないのですが、頭を振ることで自然にそれができ、喉をリラックスさせて良く声が出るようにしています。彼らは、誰に教えてもらったわけでもなく、自然とそういったスタイルを身につけていたとのことです。

 

2   ミックスヴォイスの達人

先にポール・マッカートニーは、「ノン・ヴィブラートの代表格」とご紹介しましたが、同時に彼は、ミックスヴォイスの達人」でもあります。

 

ミックスヴォイスの定義自体諸説があるところですが、簡単に言うと「高音を地声のように出すこと」です。中低音から高音まで滑らかに出せることがポイントです。

 

普通、高音を出そうとすると声が裏返ってしまいますが、そうではなくて地声の延長で高音を出すのです。PAでヴォーカルの音量を増幅できるポップスやロックシンガーは、大体この発声法を使っています。

 

言葉で表現すると簡単ですが、トレーニングしないとなかなか難しいです。ポールがレッスンを受けた記録はないので、自然に出せたかあるいは自分なりに出せるよう努力したのでしょう。

 

ポイントは、声帯を閉じて高音を出すことですが、決して声帯に力を入れずリラックスさせることです。また、鼻と口との間にある「鼻腔」という空間を活用することにより、より声が良く響くようになります(鼻腔共鳴)。

 

3 アレクサンダーテクニークの導入

​さらに調査した結果、ビートルズ解散後のようですが、ポールは、「アレクサンダーテクニーク」と呼ばれるレッスンを受けています。

 

これを創始したのは、F.M.アレクサンダー(1869-1955)というオーストラリアの舞台俳優です。彼は、舞台で声が出なくなったため、その原因を探求したところ、身体と心が密接に連携していることに気づき、このテクニックを開発しました。

「アレクサンダーテクニーク」の画像検索結果 

今やこのテクニックは、舞台や音楽、医学など様々な分野で取り入れられ、ポール・ニューマンキアヌ・リーブスヒュー・ジャックマンなどの俳優、ポールやスティング、マドンナなどのアーティストなど数多くの著名人や団体が採用しています。ごく簡単に表現すると「身体の悪いクセを矯正し、リラックスさせて最高のパフォーマンスができるようにする」テクニックです。

 

ポールが未だにライヴを続けられるのも、これをマスターしたからかもしれません。

 

 

4 具体的な作品

では、いよいよ具体的な作品でポールのヴォーカルをご紹介します。前回の記事で彼は七色の声を持つとご紹介しましたが、【1】ハイトーン・シャウト系【2】明るく元気系【3】うっとり系【4】お茶目系【5】野太い系【6】コーラス系に分類して解説します。

 

5 ハイトーン・シャウト系

ポールは、女性並みのハイトーン・ヴォイス、そして強烈なシャウトでリスナーを圧倒します。

1    ロング・トール・サリー(のっぽのサリー)

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ポールのヴォーカルを語る上で絶対にはずせない初期を代表する名曲です。イントロなしでいきなり天井をぶち破るかのようなポールのハイトーン・ヴォイスが炸裂します。

 

これでKOされた人は、世界中にいるでしょう(私もそうです)。オリジナルは、リトル・リチャードなのですが、ポールは、完全に彼を凌駕しています。オリジナルと比較してみましょう。

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ビートルズがオリジナルのキーであるFを意図的にGに上げたのは、その方がよりポールのハイトーン・ヴォイスを効果的に使えると考えたからです。

 

この曲は、アマチュアの頃からカヴァーしているポールの十八番(おはこ)であり、その自信も手伝ってキーを上げただけでなく、彼の得意のメロディアス・ベースの腕前も披露して、その音楽的才能の素晴らしさを見せつけています。

 

その狙いが大成功だったことは、仕上がった作品を聴けば分かります。しかも、これほどの作品を既に下積み時代に完成させていたのですから、ビートルズのアレンジ能力の高さには、敬服するほかありません。

「beatles long tall sally」の画像検索結果 

冒頭の3小節は、ポールのヴォーカルをよりインパクトの強いものにするために、他の3人は、ギター・リフおよびドラム・フィルを抑えめにし、4小節から一斉に激しくスタートを切りました。このようなメリハリを付けたことで、実に効果的にポールのヴォーカルを引き立てることができたのです。

 

ポールは、リチャードが大好きで彼のマネからスタートしたのですが、この曲では強烈なシャウトで完全に彼を圧倒しました。この作品は、初期のライヴのセットリストには締めの曲として良く入れられていましたが、こんな高い声でシャウトして良く喉を潰さなかったなと感心します。

 

レコーディングは、何とワンテイクで決めました。ポールのヴォーカルとベース、ジョン、ジョージのギター、リンゴのドラム、それにジョージ・マーティンのピアノを加え、新たなテイクを撮る必要も無い程会心の出来だったのです。

 

1962年10月12日、リヴァプールのタワー・ボール・ルームのコンサートで共演したリトル・リチャードは、ポールのヴォーカルの魅力についてこう語っています。

 

「ポールは、特に私の曲が気に入っていて、高校生の頃から演奏していた。彼は、私のシャウトに感銘を受け、私のリヴァプール、それから翌月にあったハンブルクのステージでは、袖にいて私が歌うところを観ていた。誰もがステージで私の曲の一つを歌えば、それで会場全体が明るくなることを知っていた。」下がその時の写真です。

「little richard beatles」の画像検索結果

中央の人物がリチャードですが、顔デカっ!FAB4より一回りでかいよ。ちっとも「リトル」じゃないじゃん(笑)もしかして、リチャードだけ前に出てるの?いや、遠近法おかしいって。 

 

2 アイム・ダウン

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これまた前期の曲の中で、ポールのヴォーカルを語る上において絶対に外せない曲です。前述のロング・トール・サリーをオリジナルにした感じでしょうか。イントロなしでいきなりポールのシャウトからスタートする辺りはよく似ていますね。

 

動画は、伝説のアメリカ、シェイスタジアムでのライヴです。この時は4人がノリまくり、特に間奏でジョンが肘を使ってエレクトリック・ピアノグリッサンドしているシーンが圧巻です。

ポールもロング・トール・サリーをモチーフにしたことは認めていますが、実際には抽象画を描くようなものでそう簡単にできたわけではなく、完成するまでには時間が掛かったと語っています。つまり、彼が言いたいのは写実的な絵は描けるが、却って抽象画の方が何を描けば良いのか分からないという意味で難しいということです。

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この曲が完成してからは、ロング・トール・サリーに代わり、ライヴの締めの曲として使われるようになりました。

 

ポールは、この曲ではヴォーカルに集中するためにベースは控えめにしています。彼は、このヴォーカルについてこう語っています。

 

「私は、リトル・リチャードの声を目指したんだ。ワイルドでちょっとかすれた声で叫ぶ。まるで幽体離脱したみたいにね。自分の現在の感覚から離れて、自分の頭の上に足を乗せて歌うんだ。実際に自分の身体から離れないといけない。そのことに気づくと、ちょっとおかしなトリックみたいで面白いんだよ。」

 

 

抽象的表現の権化ともいえるジョンとは対照的に、ポールは、平易な言葉で表現する達人ですが、う~ん、これはそんな彼にしては珍しく抽象的な表現で難しいです(^_^;)

 

幽体離脱」ってどういうことですかね?自分だけど自分でない?自分自身を俯瞰して見下ろせってこと?まあ、どっちにしろアマチュアバンドの皆さん、この曲のヴォーカルをやる時は、ポールのこの言葉を参考にして下さい(って参考になるのかな?)

ポールは、カヴァーの「ロング・トール・サリー」で師匠のリトル・リチャードを凌駕し、さらにオリジナルの「アイム・ダウン」でより高いステージへ駆け上ったのです。

(参照文献)BEATLES MUSIC HISTORY, THE BEATLES BIBLE 

(続く)

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(号外)マーク・ルイソンから返信がありました

「船村徹」の画像検索結果

以前、ビートルズ研究の第一人者であるマーク・ルイソンに、ビートルズの才能に世界で初めて気が付いたのは、日本の作曲家の船村徹氏かもしれないとのメールを送りました。そして、それに対し大変貴重な情報と考えるとの返信があったことをお伝えしました。

 

その後何の音沙汰も無かったので、やっぱり大した情報じゃないとシカトされちゃったかなと思っていました(^_^;)

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しかし、また彼から久しぶりにメールが届いたのです。驚きながら目を通してみました。内容は以下の通りです。

 

 

「拝啓

晋司様

私は、執筆活動でとても忙しく、返信が遅くなり申し訳ありません。

情報を提供して頂きありがとうございます。私は、船村徹氏について何も知りませんし、率直に申し上げてあなたの情報をそのまま受け取ることはできません。

しかしながら、私は、オープンな気持ちで、できる限りこの情報を注視していきたいと思います。

私は、あなたが情報を私にもたらしてくれたこと、そして私の著書であるTUNE INを読んでくれていることに感謝しています。次の第2巻に是非注目して下さい。

敬具

マーク・ルイソン」 

 

というわけで残念ながら、私が提供した情報が彼の著書の一部に採用されることはなさそうです(^_^;)

 

まあ、仕方ないですね。これが真実であるという根拠はありませんし、仮に真実であったとしても、船村氏がビートルズに対し直接アクションを起こしたわけでもないので、薄い情報であることに違いはありませんから。

 

もし、船村氏が、ビートルズをEMIに紹介し、それをきっかけに契約したような事実があれば、それは歴史に刻まれたでしょう。

 

ただ、唯一の救いは、ルイソンが私の情報をガセネタ扱いせず、頭の片隅に置いてくれたことです。毎日世界中から大量のメールが来ている中で、私の情報に着目してくれただけでも幸運だったというべきでしょう。​いや、それ以前に、彼のような雲の上の人と直接コンタクトできただけでも幸運です。

 

え❓秘書か誰かの代筆だったんじゃないかって❓確かにその可能性も否定はできませんが(苦笑)、メールの文面が非常に具体的であること、そして彼のこれまでの執筆活動からその誠実な人柄が窺えることから、そのようないい加減なことをする人物ではないと思います。

 

それで、私も以下のように返信しました。

「拝啓

マーク・ルイソン様

執筆活動で非常にお忙しいうえ、毎日送られてくる大量のメールに目を通すだけでも大変であるにもかかわらず、返信を頂戴し感謝しております。

私は、あなたが私の情報を注視してくれたことを光栄に思っています。

実際のところ、私の情報にはそれが真実であることを証明する根拠がありません。 さらに、仮にそれが事実であったとしても、あなたがそれに価値がないと思うのは合理的だと思います。

船村氏がビートルズの才能を見つけてEMIに紹介し、それをきっかけにビートルズと契約したという事実があれば、それには重要な価値があるかもしれません。 彼は特別にEMIから招待されていたので、やろうと思えばできただろうと思いますが、残念ながらそこまではしませんでした。

しかし、私は、あなたの記憶の隅にこの情報を書き留めることができただけでうれしいです。

次巻のTUNE INを楽しみにしています。

敬具
和田晋司」

 

ルイソンからのメールは、私個人のお宝として保存しておきます。あんな大物と直接コンタクトできたことは、ファンの皆さんにだけはプチ自慢できますね(#^.^#) 

 

それでは、またポールのヴォーカルのお話に戻ります。しまった、もっと早く書き始めれば良かった。来日までに間に合いそうにない(>_<)

(続く)

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(その116)ポール・マッカートニーのヴォーカルの凄さについて(その2)

前回に続き、ポールのヴォーカルの凄さについてお話します。

「paul mccartney sing non vibrato beatles」の画像検索結果

1 ノン・ヴィブラートの代表格

プロの歌手の多くは、ヴォーカルにヴィブラートを掛けます。ヴィブラートとは、演奏やヴォーカルで音を伸ばして出す時に、音程を素早く上下させたり音量を大きくしたり小さくしたりするテクニックです。図解するとこんな感じです。

「ボーカルビブラート」の画像検索結果

ヴァイオリンなどの弦楽器では、弦を押さえる指の位置を細かく揺らせます。ブルース・ギターの巨人、B・B・キングの解説です。

youtu.be

 「ヴォーカルにヴィブラートをかけないプロ歌手はいない。」と思われている方も多いかもしれませんが、決してそんなことはありません。ノン・ヴィブラートでヴォーカルをやっているプロもいます。ビートルズは、全員がそうですね。

 

なぜヴィブラートをかけるかというと、その方がサウンドに余韻が残り、聴いていて心地よくなるからです。逆にヴィブラートをかけないと、奥行きのないフラットなサウンドになってしまいます。

 

ですから、ヴィブラートをかけずに、しかもリスナーを感動させる方が却って難しいんです。それに音を長く伸ばすロングトーンをヴィブラートなしでやると、声を伸ばすにつれ自然に音程が下がってしまう欠点もあります。

 

ヴィブラートについての動画の解説を観てみましょう。1分辺りからヴィブラートをかけないで歌った場合と、かけて歌った場合とを比較しています。やはり、かけた方が美しく聴こえますね。

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このようにヴィブラートは、ヴォーカルをリスナーに美しく聴かせるためのテクニックですから、あえてヴィブラートをかけないで歌うには相当魅力的な声であるとか、他のテクニックを使うといった要素が必要になります。つまり、ノン・ヴィブラートによるヴォーカルでリスナーを魅了する方が余程難しいんです

 

ヴィブラートをかけるというと難しいように聞こえますが、実は、練習すればできるようになるんです。逆に、プロの歌手が、敢えてヴォーカルにヴィブラートをかけないことは、かなりのハンディキャップを背負うことになります。

 

ところが、こんな不利な条件があるにもかかわらず、ポールは、ヴォーカルにヴィブラートをかけませんでした。アンド・アイ・ラヴ・ハーのようなバラードであっても、ノン・ヴィブラートで歌っていました。何故かは分かりませんが、ポールは、ヴォーカルにヴィブラートをかけるのが嫌いだったのです。

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ヴィブラートをかけるとこうなります。これは、同じ曲をアメリカの歌手、俳優のハリー・コニック・ジュニアがカヴァーしたものです。

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何故、ポールがヴィブラートを嫌ったのか、彼自身そのことについて語っていないので正確なことは分かりませんが、一つは、ハモりの時に邪魔になる可能性があることではないかと思います。

 

ハモる時にヴィブラートをかけてしまうと、音程が揃わずハーモニーが崩れてしまいます。ビートルズの楽曲は、コーラスが入るものが多かったので自然にそうなったのかなとも思います。ただ、これには反論があって「ヴィブラートを入れつつハモることはできる」とする方もいます。確かに、クラシックの合唱などはそうですね。

 

もう一つ考えられるのは、メロディーに対する拘りが強かったのではないか、つまり、ありのままの美しいメロディーを聴かせたかったのではないかということです。オペラは、強くヴィブラートをかけますが、あれだと芝居がかり過ぎてあまりに不自然な印象を与えると考えたのかもしれません。

 

それを示すエピソードとしてこんなのがあります。ポールは、イエスタデイで弦楽四重奏をフィーチャーする時に、プロデューサーのジョージ・マーティンに対し、「ヴィブラートはかけないでくれ」と要求しました。

「string quartet yesterday beatles」の画像検索結果 

そもそも弦楽四重奏をフィーチャーすること自体にも、ポールは反対していました。マーティンの説得により渋々OKしたものの、それでもヴィブラートはかけるなと要求したのです。彼は、純粋なサウンドが欲しいという理由を挙げていました。しかし、ヴァイオリンなどの弦楽器は、ヴィブラートを入れて弾くのが当たり前なので、流石にこの要求も却下されました。

 

このエピソードからすると、ポールは、余程ヴィブラートが嫌いだったみたいですね(^_^;)幼い頃、彼は、近所の教会の聖歌隊に所属していた時がありました。聖歌隊の合唱は、ボーイソプラノでヴィブラートをかけません。こういう体験もひょっとすると関係したのかもしれません。あくまで憶測です。

2 天賦の才と後天的な努力

ポールだけではなく、ビートルズは、全員が正統な音楽教育を受けていません。ポールは、父親が地元のミュージシャンだったため、クラシックピアノやギターのレッスンを受けることはできました。

 

しかし、それ以外の3人は労働者階級出身でしたから、プロのレッスンを受ける経済的余裕はとても無かったのです。すなわち、自分の天賦の才と後天的な努力のみで実力を磨いたのです。ですから、信じられないことですが、彼らは、超一流のプロミュージシャンであるにもかかわらず、譜面の読み書きができなかったのです!

「music score」の画像検索結果 

譜面の読み書きができなかったからといって、Don't let me down(がっかりさせないでくれ)とは言わないでください(笑)プロデューサーのジョージ・マーティンは、ジャーナリストのレイ・コナリーのインタヴューに対しこう応えています。

 

「ポールは、譜面の読み書きはできなかったが、私が知る限り最高のミュージシャンだ。何故そう言えるかというと、それは、彼が音楽というものが何であるか、それをどうすれば作り出せるかを天賦の才により理解していたからだ。私も同じ才能を持っていた。だから、私とポールは親密な関係になれたんだと思う。」

 

譜面の読み書きができなくても、作曲や編曲、演奏には何ら支障はありませんでした。彼らは、歌詞とコードを書いたメモさえあれば、メロディーはジョンやポール、あるいはジョージがガイド演奏したりハミングすれば、それで全員が合わせることができたのです。これはビートルズを結成してから解散するまで一貫していました。マーティンが必要に応じて譜面を書いていたのです。

彼らが天賦の才に恵まれていたことはもちろんですが、それに加え練習や研究も怠りませんでした。「天才が努力するとこうなる」という典型的な例でしょう。 

3 ポールの歌い方の分類

「paul mccartney vocal」の画像検索結果

これは専門家が分類した訳ではなく、私が分かりやすいように適当に分類しただけです。人により分類の仕方は様々ありますから、その点はご承知おきください。また、同じ作品でそれぞれが同居している場合もあります。

(1)ハイ・トーン系

代表曲:ロング・トール・サリー(のっぽのサリー)

ポールは、普通の男性にはとても出せないようなハイ・トーンを発声することができました。しかも、この曲は彼のヴォーカルそのもののパワーも凄いです。

(2)シャウト系

代表曲:ヘルター・スケルター

強烈なシャウトをぶちかまします。現代のヘヴィ・メタルに通ずるものがあります。

(3)明るく元気系

代表曲:シー・ラヴズ・ユー

明るくはつらつとした若さを感じさせるヴォーカルです。

(4)うっとり系

代表曲:ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア

ウットリと聴き惚れてしまう美しいヴォーカルです

(5)お茶目系

代表曲:オブラディ・オブラダ

コミカルでリラックスした感じが出ています。

(6)野太い系

代表曲:レディー・マドンナ

腹に響くような野太い低音を聴かせます。

(7)コーラス系

代表曲:ビコーズ

ジョン、ジョージと共に絶妙なハモりを聴かせます。「ビートルズは、偉大なコーラスグループでもあった」と実感させられます。

 

具体的な作品については、次回でお話します。

(参照文献)True Strange Library, BEATLES MUSIC HISTORY, THE BEATLES BIBLE

(続く) 

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(その115の2)ポール・マッカートニーのヴォーカルの凄さについて(その1の訂正)

前回(その115)の記事で「ポールは絶対音感の持ち主だと思わざるを得ません」と記載しましたが、その後の調査でポールは絶対音感の持ち主ではない可能性が高くなりましたので、お詫びして訂正します。

 

​神経学者であり音楽家でもあるダニエル・J.レヴィティンは、論文「絶対音感の功罪」でポールは絶対音感を持っていなかったと記載しています。また、同様の記事は他の人が書いた資料にもあるので、ポールが絶対音感を持っていなかったことは、どうやら正しいようです。

 

レヴィティンは、音楽と脳との関係について研究している人物です。ポールは、レヴィティンの著書「音楽好きな脳(西田美緒子訳、白揚社)」を読み、第2章まで読んだところで、これ以上読むともう作曲ができなくなってしまうと不安になり、読むのを止めてしまったそうです。

(西田美緒子訳、白揚社・2800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

天賦の才で作曲してきた彼が、学者の音楽理論を読んだら却って混乱してしまうでしょうね。ですから、読むのを止めたのは正解だと思います。また、そう考えると、ビートルズが正統な音楽教育を受けなかったことは、本当に良かったなと思います。天才の彼らにとって既成の音楽理論は邪魔でしかなかったでしょう。

 

もちろん、基本的な理論は別です。ただ、彼らが既成概念にとらわれない斬新な楽曲を制作できたのは、既成の枠にはめられることも大きかったといえるのではないでしょうか。

 

ただ、申し添えると、くれぐれも絶対音感がないと一流のミュージシャンとは言えない」などと誤解しないで頂きたいのです。トッププロでも絶対音感を持っているのは、ごく一部しかいません。逆に絶対音感を持っていても、ミュージシャンでない人の方が多いのです。

 

つまり、絶対音感と音楽的才能とは殆ど一致しないということです絶対音感は音楽の制作や演奏に不可欠のものではなく、あれば役に立つといった程度のものです。

 

というわけで、前回の記事中、ポールの絶対音感に関する部分は撤回させて頂きます。無用の混乱を招いて申し訳ありません。

(参照文献)ABSOLUTE PITCH-BOTH A CURSE AND A BLESSING, StringKick

(続く)

(その115)ポール・マッカートニーのヴォーカルの凄さについて(その1)

「paul mccartney beatles」の画像検索結果

ポール・マッカートニーの2017年4月の日本公演が迫ってきました。ファンの間では、彼に関する話題で盛り上がりを見せているところです。そこで、ビートルズ時代の彼の才能についてお話します。ベーシストとしての才能については、既にその63~68で触れたのでそちらに譲り、今回は彼のヴォーカリストとしての才能についてです。

 

1 七色の声を持つ男

今さら言うまでもありませんが、ポールは、ヴォーカリストとしても抜群の才能を見せています。その大きな特徴の一つが「変幻自在に声を変えることができた」という点です。

「beatles paul sing live」の画像検索結果 

具体的な作品については後で詳しくご紹介しますが、ポール・マッカートニーって何人もいるの?」と思わせるほど曲によって発声をガラリと変えています。こんな様々な発声をする歌手あるいはヴォーカリストは他に例がありません。

 

というか、むしろ普通の歌手は、歌い込んでじっくりと自分の唱法を身体になじませていきます。エルヴィス・プレスリーマイケル・ジャクソンなどみんなそうですね。

 

唱法はそのアーティストの個性ですから、いかにして個性を作り込んでいくかということにどのアーティストも力を入れています。その結果、特徴がはっきりしていきますから、逆にモノマネもしやすいんですよ。

 

確かに、プレスリーも「監獄ロック」などのロックンロールを歌う時と、「好きにならずいられない」などのバラードを歌う時では歌い方は変わりますが、どれを歌ってもプレスリーですよね?

 

ところが、ポールは、「ロング・トール・サリー」では天井をぶち破るかと思えるほどの高音でシャウトしたかと思うと、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア」では天使のような優しく甘い歌声を披露し、「レディー・マドンナ」ではプレスリー張りの低く野太い歌声を聴かせ、「オー!ダーリン」ではゆったりとしたテンポながら、迫力満点の力強くしかも高音のヴォーカルを披露してくれます。この変幻自在ぶりは、どんなアーティストにもマネできません。動画で確認してみましょう

www.youtube.com

彼は、少年のころから色んな歌手のモノマネが得意で、プレスリーなども良くマネしていたとか。こんなところにも秘密があるのかもしれません。

 

桑田佳祐は、ビートルズ・フリークとして有名ですが、彼はポール好きなのにカヴァーしているのはジョンのヴォーカルの曲ばかりなので、あるラジオ番組でファンからなぜポールの曲をカヴァーしないのかと問われました。すると彼は、あの声は日本人では出せない。彼の喉にはEQ(イコライザー)がついてるんだ。」と応えました。なるほど、言いえて妙ですね。

 

2 音域の広さ

ポールのヴォーカルについてもう一つ特徴を挙げるとするなら、その音域の広さです。A1(ピアノの鍵盤で一番低いA、ラ)からA6(ピアノの鍵盤で一番高いA、ラ)まで出せたようです(これも諸説があるので、あくまでその中の一つと考えてください)。下の鍵盤で確認してみましょう。ファルセット(裏声)まで含んでいますが、世界のトップクラスの歌手、ヴォーカリストと並ぶ広さです。文字が小さいので、拡大して下さい。

「vocal range of paul mccartney」の画像検索結果

もちろん、彼が№1というわけではなく、彼よりもっと広い音域を出せたヴォーカリストはいます。では、ポピュラー音楽界で最も広い音域を出せたのは誰でしょうか?

 

別にクイズにしなくても良いんですが、せっかくなので正解を見る前にちょっと考えてみてください。

 

さて、正解は…。

 

 

 

 

ガンズ・アンド・ローゼズアクセル・ローズです。彼の音域は、何とF1(ピアノの鍵盤で一番低いF、ファ)からB♭6(一番高い黒鍵、シ♭)です。いやはや、ここまでくるともはや人間技じゃありませんね(^_^;)

 

ただ、ここで重要なのは、ポールはヴォーカリストであって、歌手ではなかったということです。つまり、あくまでバンドのメンバーとしてヴォーカルを担当したのであって、専業の歌手ではなかったのです。これも動画で確認してみましょう。なお、この動画では彼の音域をA1~C6としています。

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ポールは、ライヴでは、ベースを弾きながらヴォーカルをやっていました。これって簡単そうに聞こえるかもしれませんが、かなり大変です(^_^;)ビートルズを演奏するバンドで、ポールを担当している方ならお分かり頂けると思いますが、ヴォーカルとベースを同時にやり、なおかつクオリティーを保つのは容易ではありません。

 

 

ポールは、ビートルズの初期からメロディアス・ベース、つまり、まるでメロディーを奏でるかのようなベースラインを弾くことが特徴でした。

 

それだけでも難しいのに、それに加えリードヴォーカルを担当し、コーラスでハモるわけですから大変な負担のはずです。ところが、彼は、一切弦を抑える右手の手元を見ることなく、それらの課題を易々とクリアしてしまったのですから、やはり天才というしかありません。

 

3 喉の強さ

ポールは、どんな高音を出しても絶叫しても潰れないという、信じられないくらい強い喉を持っていました。超合金でできているのではないかと呆れるほどの強さです(^_^;)

「beatles paul sing live」の画像検索結果 

確かに、ビートルズは、ライヴは常に30分位しかやりませんでしたし、前期の作品は3分未満の短い曲が多く、ジョンと半々にリードヴォーカルを担当していました。とはいえ、ポールは、コーラスにも加わっていましたし、それにライヴ自体殆ど毎日のようにやっていました。そのうえ、レコーディングもあったのですから、弱い喉ならとっくに潰れているか、ポリープができていたはずです。

 

ジョンは、ツイスト・アンド・シャウトのレコーディングの時には風邪で声が掠れていましたし、ジョージも扁桃炎で入院したことがありましたが、ポールに関しては、殆どそのようなエピソードを耳にしたことがありません。 

 

4 女性並みの高音

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ジョンは、「ポールは、女の子みたいに高い声を出せる。」と語っていますが、それほど彼は、いとも簡単に女性並みの高音を出せました。これも動画で確認してみましょう。とんでもない高音を出せますね(^_^;)ですから、女性の歌手やヴォーカリストが数多く彼がメインヴォーカルの曲をカヴァーしています。

www.youtube.com

さらに凄いのは、ポールは、ヴォーカルの途中でいきなり低音から高音へスライドできるのです。例えば、名曲「イエスタデイ」では、「so far away」という歌詞の「far」の箇所でいきなりE4へジャンプするのです。これは女性の叫び声に近い高さです。このように彼は、低音と高音を自在に行き来できたのです。

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彼の音程を機械で測定すると、インジケータがピタリとE4を指すのです(それも±0を)!もちろん、コンピューターが音楽界で使用されるようになるもっと前の時代にレコーディングされた曲です。

今ならカラオケで素人でも簡単に自分の音程を知ることができますが、当時は耳だけが頼りです。同じ曲の冒頭の「Yesterday」の箇所はG3ですが、これは「ヘイ・ジュード」の「bad」と同じ音程で全くブレていません。おそらくどの曲でも同じ結果になるでしょう。それだけ彼の音程は正確だったのです。

(参照文献) THE WORLD’S GREATEST SINGERS

(続く)

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(その114)ビートルズのDNA、チャック・ベリーについて(その1)

ビートルズに多大な影響を与えたチャック・ベリーが2017年3月18日に亡くなりました。彼は、正にロックンロールの神様であり、ギターの神様でした。今回は、予定を変更してビートルズと彼との関係を中心にお話しします。ホントは、「ビートルズが影響を受けたアーティストたち」というテーマでいずれ取り上げるつもりでしたが、チャックの訃報に接し、急きょ取り上げることにしました。「chuck berry」の画像検索結果

1 チャック・ベリーのDNAは、ビートルズに受け継がれた‼️

チャック・ベリーは、少年時代の4人のビートルたちに多大な影響を与えました。ビートルズは、数多くのアーティストから影響を受け、自分たちのサウンドを作り上げましたが、なかでもチャックは最大級の影響を与えたといえるでしょう。彼らは、レコードから流れてくる彼のロックンロールに熱狂したのです。彼のサウンド、ソウルは、ビートルたちのDNAに確実に刻み込まれました。 

2    ロックンロールの創始者

そもそも、ジョン・レノンが仲間を集めて「クオリーメン」というアマチュア・バンドを結成しようと考えたのは、チャックのロックンロールに完全に魅了されたからです。ジョンは、後に「ロックンロールという言葉を他の言葉に置き換えるとすればチャック・ベリーだ」とまで断言しました。それほど若きジョンがチャックから受けた影響には絶大なものがあったのです。

「quarrymen」の画像検索結果 

チャックは、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノ、アイク・ターナーらと並んで「ロックンロールの創始者」的な存在です。この中でも恐らく筆頭に挙げられる人物でしょう。それまで黒人が演奏していたブルースと白人が演奏していたカントリーとの間には、人種の違いという乗り越えられない大きな壁があったのです。お互いが自分の所属する人種と違う音楽を演奏することはタブーとされていました。今では信じられない話ですが。

 

しかし、ロックンロールの創始者たちは、この壁をあっさりと乗り越えてしまったのです。実は、ロックンロールの起源には諸説があり、明確に断定はできないんですが、ブルースから発展したリズム・アンド・ブルースとカントリーが融合して誕生したとする説が有力に唱えられています。

 

そして、彼らが生み出したサウンドは白人の魂を揺さぶり、もはや白人も聴くだけではなく自分で演奏したいと思うようになったのです。それまでは、人種により演奏する音楽まで区別されていたのですが、そんな区別などできなくなってしまいました。音楽は、人種差別をも乗り越えたのです。 

 

もっとも、彼がはからずも人種差別解消の端緒を開いたのですが、彼自身は、やはり人種差別に苦しめられ続けることになります。「彼が白人だったら、エルヴィス・プレスリーのように大成功を収めただろう。」と後々まで語られることになりました。

3 ミュージシャンとしての成功

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チャックは、音楽の基礎を学び、幅広いジャンルの音楽を習得しました。やがて、ブルース界の巨匠、マディ・ウォーターズにその才能を見出され、チェスレコードを紹介されます。チェスレコードは、チャックが自作した曲を見るなり直ちに彼と契約しました。その曲は、1955年に「メイベリン」としてリリースされ、R&B部門でチャート№1、ポピュラー部門でも№5を獲得し、大成功を収めます。

 

この曲は、それまでのブルースでもカントリーでもない、ロックンロールという新たなジャンルの曲として人々は歓喜して受け入れました。リズム・アンド・ブルースのビート、カントリー・ギターのリック、そしてシカゴ・ブルースを巧みにブレンドし、そこへストーリー性のある歌詞を載せたことにより、音楽史家の中には、このメイベリンこそが最初のロックンロールであると主張する人もいます(ビル・ヘイリー・アンド・ザ・クリケッツのロック・アラウンド・ザ・クロックだと主張する人の方が多数派のようですが)。

 

チャックは、その後も「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「トー・マッチ・モンキー・ビジネス」「スクール・デイズ」「ジョニー・B・グッド」と次々とヒットを飛ばしました。

4    シンガー・ソングライターの地位を確立

当時常識だったコンポーザーとプレイヤーは別という分業制を覆し、プレイヤー自らが楽曲を制作し、楽器を演奏しながら歌うという「シンガー・ソングライター」というプレイスタイルも彼が初めてではありませんが、彼が導入したことによる影響は大きいものがありました。コンポーザー自らが演奏することで、観客にダイレクトに自分の想いを伝えることを可能にしたのです。しかも、彼の歌詞にはストーリー性がありました。これによりポピュラー音楽の芸術性が一気に高まったのです。

 

例えば、名曲「ジョニー・B・グッド」の歌詞を見てください。一人の素晴らしいギターの才能を持った少年が、やがて偉大なギタリストとしてスーパースターになっていく姿が目に浮かぶではありませんか!ただサウンドだけではなく、歌詞を聴いてもその夢のある世界にウキウキしてきます。

 

ビートルズのような少人数で編成されるバンドではなく、ビッグバンド・スタイルとはいえ、彼のスタイルは画期的なことでした。彼がレイ・チャールズ、リトル・リチャードらとともに活躍したことで、彼らに続いてシンガー・ソングライターが次々と登場することになりました。  

5 エレキギターという最強の武器

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チャックがメジャーデビューする前にエレキギターは既に普及していましたが、彼は、それがロックンロールにとって重要な武器になることに気づき、ギター・リフを開発するなどエレキギターがもつ魅力を最大限に引き出し、ロックンロールが大衆に受け入れられることに大きく貢献しました。

 

彼の巧みなヴォーカルとエレガントで華麗なギター・リフは多くの人々を魅了しました。彼がロックンロールを誕生させたことにより、人々が曲を聴きながらダンスできるようになったのです。 

6    観せる(魅せる)ギタリスト

チャックは、コンポーザー、ギタリスト、ヴォーカリストとしてもズバ抜けた存在でしたが、さらに彼の存在を人々に強く印象付けたのは、彼のステージにおけるパフォーマンスでした。

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彼は、単にギターを弾きながら歌うだけではなく、リズムに合わせて腰を振り、軽やかにステップを踏みながら演奏したのです。中でも彼の真骨頂ともいえる「ダック・ウォーク」と呼ばれるアヒルのように膝を曲げて歩きながらギターを弾くスタイルは、観客に鮮烈な印象を与えました。

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極め付けは、左脚をピンと真っ直ぐに跳ね上げ、ホップしながら演奏スタイルです。ギタリストなら一度はやってみたい、カッコ良いプレイですね。でも、これは結構難しいです(^_^;)こんな不安定な状態で微妙なフィンガリングやピッキングはできませんよ、普通は。60歳を超えてからのステージですが、この軽やかなステップを観てください!

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彼以来、それまではバックバンドとしてヴォーカルの後ろに控えていたギタリストたちが、ステージの前面に出てパフォーマンスを観せるようになりました。これが彼の計算によるものか、それとも自然に生まれたものかは分かりません。

 

ただ、テレビの普及により音楽がサウンドだけではなく、映像としても楽しめるようになった時代に、「観せる(魅せる)ギタリスト」としての地位を確立したことは、極めて大きな意義を持ちます。ちょうど、脚でピアノを弾いたジェリー・リー・ルイス、あるいは、背中でピアノを弾いたリトル・リチャードのように。

 

ビートルズもルックスやパフォーマンスが重要であることを認識し、モップトップヘア、スタイリッシュなスーツ、そして、ライヴでは頭を激しく振ってシャウトし、女の子たちを熱狂させました。 

 

次回は、ビートルズがカヴァーしたチャック・ベリーの曲や、彼がその他後輩のアーティストたちに与えた影響についてお話します。

(参照文献)City Portal Liverpool, Rock & Roll of Fame

(続く)

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(その113)ビートルズの才能に世界で初めて気づいたのは日本人だった?(その2)

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前回に続いて、ビートルズ船村徹氏との出会いについてお話します。

 

1 EMIで出会ったのは間違いないのか? 

残念ながら、1962年6月6日にビートルズが初めてEMIのスタジオでセッションした際に、プロデューサーのジョージ・ マーティンがPR写真を撮影するために手配したはずのカメラマンが現れず、その時の写真が残されていないのです。写真が残されていれば、あるいは船村氏も撮影されたかもしれなかったのですが。

 

2 EMIのセッションは、レコーディングだった

「1962 beatles emi studio」の画像検索結果

この日のセッションは記録に乏しいため、オーディションだったのかレコーディングだったのか、スタジオで何が行われたのかなどがはっきりしておらず、長年に亘り論争が繰り広げられてきました。 

 

マーク・ルイソンは、2016年11月出版の日本語版「ザ・ビートルズ史」で、1962年6月6日にEMIで行われたセッションはもはやオーディションではなく、完全にビートルズのファースト・シングルを制作するためのものであったと断言しています。なぜなら、ビートルズとEMIは、既に契約を済ませていたからです。スタジオもそのためのセッティングがなされていました。

 

コントロールルームのエンジニアたちは、ビートルズの演奏を1/4インチのオープンリール・デッキ2台に送ろうとしていたのです。オーディションであるなら、こんなセッティングは不要だったはずです。  

 

セッションは、ジョージ・マーティンではなくロン・リチャーズにより開始され、マーティンは途中からコントロールルームに入りました。もし、これがオーディションであれば、そういったことは部下に任せるというのが当時のEMIの慣習でしたから、彼が同席することはあり得なかったのです。

 

彼があえて同席したのは、これがもはやオーディションではなく、本格的なレコーディングであったことを示しています。彼は、デモ・テープしか聴かずに契約したビートルズの演奏を自分の目と耳で確かめた上で、自らプロデュースしたいと考えたために途中から同席したのです。

1963: George Martin in a sound booth at Abbey Road studios with the Beatles in the background. 

ルイソンが主張するように、これがビートルズの公式のレコーディングであったとするならば、船村氏がオーディションの審査員として参加したという事実とは全く相反することになります。

 

残念なことに、マーティン、ノーマン・スミスなど、当時同席した関係者の多くはもう亡くなっています。ケン・タウンゼントはまだ存命ですかね?

3 EMIより前だったのではないのか?

さらに、もう一つ疑問があります。それは、船村氏がビートルズを含めて3、4組がオーディションを受けていた。ビートルズ以外はソロ歌手だった」と語っていることです。ロン・リチャーズとされる人物から「どのミュージシャンが良かったか?」と尋ねられたとのことですから、明らかにその場には複数のミュージシャンが存在したということになります。

しかし、ビートルズがEMIでレコーディングした当時に、他のミュージシャンも一緒にセッションしていたという事実は確認されていません。それに、オーディションならともかく、レコーディングに複数のミュージシャンが同じスタジオで同時にセッションすることなどあり得ません。

 

EMIには複数のスタジオがありましたから、そこでレコーディングしていたのであれば話は別ですが、それでは船村氏の記憶とは食い違います。

 

以上の事実を総合して考えると、はなはだ失礼ながら、船村氏がビートルズと出会ったというのは、ご本人の記憶違いではないかと思います。おそらくEMIに招待されたのは間違いないでしょうが、それは、彼らのセッションとは違うミュージシャンであり、長い年月を経て記憶が混同したのかもしれません。

 

そこで、私が推理したのが「船村氏は、EMIのレコーディングの前に受けた別のオーディションまたはコンテストに審査員として参加したのではないか?」ということです。その当時、ビートルズは、ジョニー&ザ・ムーンドッグズという名前で様々なオーディションやコンテストに参加していました。

 

リヴァプールに近いマンチェスターで、1959年にキャロル・リーヴァイスが主催した「サーチ・フォー・スター」というタレントの発掘を目的にしたオーディションがありました。これが当時のポスターです。

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ジョン、ポール、ジョージ、ピートは、それに参加するためにバンド名をそれまでの「クオリーメン」から「ジョニー・アンド・ザ・ムーンドッグズ」と改名したんです。誰でもこれに合格すればテレビに出演でき、スターになれる可能性があったのです。

 

また、彼らは、1960年にもラリー・バーンズが主催したオーディションを受けています。ただ、これらは、船村氏が渡欧する前ですから、時期的に早過ぎますね。

「beatles 1961」の画像検索結果

このようにビートルズは、そういった類のオーディションには参加していたので、船村氏が出会ったとすれば、そのいずれかの可能性が高いと思います。

 

船村氏が1961年3月から1962年3月までの間にビートルズと出会ったとすれば、彼らは、ブライアン・エプスタインとはまだ出会っておらず、もちろん、スーツではなく黒の革ジャンを着ていました。これなら確かに「汚い」と言われた可能性はあります。


4 船村氏は、単独でヨーロッパに滞在していた

船村氏の渡欧からビートルズのスーツ着用まで1年間という長い期間があったので、その間に同氏が、オーディションやコンテストでビートルズに出会った可能性は否定できません。

 

ただ、船村氏は、2年間、コペンハーゲンを拠点としてヨーロッパを自由に行き来していたのですが、単独行動で日本人は誰も同行していなかったと考えられますから、同氏の行動は全く把握できていません。そもそも船村氏が渡欧したキッカケも、様々なトラブルがあったため日本を離れたかったことのようですから、なおさら当時の事情を知る人を国内で探すのは困難そうですね。

 

5 他のバンドだった可能性はないのか?

船村氏がロンドンで出会ったのは、他のバンドだった可能性も否定できません。当時、イギリスには似たようなバンドが山程いて、オーディションやコンテストに参加していたからです。船村氏が観たバンドが偶然ビートルズと同じ4人で構成されていて、帰国した同氏が、ブレイクしたビートルズを観て取り違えたとも考えられます。

 

いずれにせよ、船村氏が亡くなられた今となっては、ご本人から直接取材することはできなくなってしまいました。

 

あるいは、ポールかピートが船村氏のことを記憶しているかもしれないとの淡い期待もあります。当時、イギリスでは日本人を見かけることはあまりなかったでしょうから、審査員の中にいればかなり目立ったのではないかと思います。薄い線ですが(^_^;)

 

実は、この件をマーク・ルイソンに2017年2月21日にメールしたところ、早速翌日に大変興味深い貴重な情報だと考える、追加の情報提供を求めるかもしれないとの趣旨の返信がありました。

 

彼の元には、毎日世界中から多数のメールが届いているはずです。にもかかわらず、私のメールにすぐ返信してくれたところを見ると、私の情報が信憑性があり、価値がありそうだと判断したのでしょう。

 

もっとも、船村氏がビートルズの才能に世界で初めて気づいたとしても、ちょっと気になった程度でそれほど重要な意義があったとはいえないでしょう。

 

ただ、大手のデッカ・レコードですら全く歯牙にもかけなかった彼らの才能に、船村氏が例えほんの少しでも気づいたとすれば、ポップス発展途上国だった日本もなかなかのものだったのではないかと思います。

 

6 他のアーティストも育てた

ちなみにビートルズと直接関係はありませんが、船村氏は、ヨーロッパに滞在中パリのパテ・マルコーニから招かれ、ギリシャ出身の新人歌手の教育を依頼されました。

 

船村氏は、その新人歌手を教育しましたが、彼は、同氏を「東洋の師匠」と呼び、敬愛しました。その時以来、彼は、反戦をテーマとした曲を作り始めたのです。やがて、彼は、1969年に「Le Métèque」(邦題:異国の人)を大ヒットさせました。

 

そうです、彼の名は、「ジョルジュ・ムスタキ」です。船村氏は、日本の歌手だけでなく、世界的なアーティストまで育てたのです。

「Georges Moustaki」の画像検索結果

(参照文献)ザ・ビートルズ

(続く)

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(その112)ビートルズの才能に世界で初めて気づいたのは日本人だった?(その1)

日本が誇る偉大な作曲家、船村徹が2017年2月16日に亡くなられました。今回は、同氏がビートルズの才能に世界で初めて気づいたのではないかというお話です。

「船村徹」の画像検索結果

 

1 船村徹氏とは

船村徹氏は、1932年6月12日、栃木県に生まれました。大学在学中に作曲活動を始め、1953年に作曲家としてデビューしました。

 

そして、キングレコード在籍中の1955年には春日八郎の「別れの一本杉」が大ヒットし、コロムビアレコードに移籍した後、村田英雄の「王将」がミリオンセラーとなりました。その後も島倉千代子の「東京だよおっ母さん」、北島三郎の「風雪ながれ旅」、鳥羽一郎の「兄弟船」、細川たかしの「矢切の渡し」など数多くの名曲を生み出しました。生涯で作曲した数は4,500曲に昇ります。正に昭和を代表する大作曲家です。

 

2 国際的に認められた実力 

船村氏は、1959年、東映のアニメ映画「少年猿飛佐助」の音楽を制作しました。この映画は、アメリカのMGMから「Magic Boy」として配布され、1960年、第21回ベニス(ヴェネツィア)国際映画祭児童映画部門でグランプリ(サンマルコ獅子賞)を受賞しました。これはその映画の予告編です。

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そして、これが受賞したことを示すHPです。

ASAC Dati: Ricerca avanzata film

 船村氏がビートルズの実力に初めて気づいた

この受賞をきっかけとして、船村氏は、ヨーロッパを訪問しました。船村氏がビートルズと出会ったのはこの時です。船村氏は、大瀧詠一氏との対談でその時の様子を語っています。その対談は、このHPに掲載されています。

 

「作家で聴く音楽」第十七回 特別企画 大瀧詠一vs船村徹

船村氏は、この対談でグランプリを獲った際に行ったロンドンで、偶然ビートルズのオーディションの審査員となり、3~4組のミュージシャンを審査し、彼らのうちどれが良かったかと聞かれ、あの汚い4人組が一番面白いのでは」と答えたと語っています。大瀧氏もそれ以上突っ込んでインタヴューしていないので、詳細は分かりません。

また、船村氏は、2002年5月22日付けの日本経済新聞の「私の履歴書」という欄で、1961年3月から2年もの長きに亘りヨーロッパへ渡航コペンハーゲンに居住してヨーロッパ各地を訪問したと語っています。船村氏は、このヨーロッパ滞在中にイギリスのEMI、フランスのパテマルコーニから招待を受けました。

 

それが、ちょうどビートルズのデビュー時期と重なるんですね。そして、後に彼らがブレイクした時に船村氏は、あの時観た4人だとすぐに分かったということですから、同氏がビートルズと出会ったことは確実であり、その時の言動から彼らの実力に気づいたのも間違いないでしょう。

 

そこで問題となるのが、船村氏がビートルズと出会ったのは、具体的にいつどこでだったのか?」ということです。

4 いつどこで出会ったのか?

船村氏は、ロンドンのEMI本社に招待され、同社でオーディションの審査をしたと語っています。もし、同氏の記憶が正しいとすれば、1962年6月6日、正にビートルズが初めてEMIでセッションした日ということになります。

 

それまでは、ビートルズと同社との間に何の接点もありませんでしたから。これがEMI本社ビルです。あのプリーズ・プリーズ・ミーのジャケット写真はここで撮影されました。

「emi records building 1962」の画像検索結果「please please me」の画像検索結果

ところが、そういう事実を示したEMI側の資料が今まで発見されていませんし、証言した関係者もいないんです。ビートルズ研究の第一人者であるマーク・ルイソンが2016年11月に出版した「ザ・ビートルズ史」という大著には、この頃の彼らについてこれ以上ないという程詳しく記載されているのですが、船村氏については全く触れられていません。

 

EMIは、国際映画祭でグランプリを受賞したVIPをわざわざ招待した位ですから、かなりの好待遇をしたはずです。とすれば何らかの記録に残っているか、関係者の記憶に残っているのが自然ですよね。記念撮影位は、したのではないかと思われます。

 

それに、日本人がEMIのセッションに同席すること自体も初めてだったでしょうから。むしろ、まったく無名の地方から来た青年たちよりも遥かに関心は高かったはずです。

5 「あの汚い4人組」とは何を意味したのか?

ここで気になるのが、船村氏が「あの汚い4人組」と発言したことです。というのも、ビートルズがEMIでオーディションを受けた時には、既にスタイリッシュなベノドーンスーツを着ていました。したがって、彼らは、少なくとも外見上は、汚くはなかったのではないかと思われます。 

 

しかし、私が所属するFacebookビートルズファンのグループでこの議論をした時に、「『汚い』というのは必ずしも衣装のことではなく、ヘアスタイルのことを指したのではないか」との指摘がありました。確かに、ビートルズは、既にモップトップと呼ばれる当時としては珍しいヘアスタイルをしていましたが、多くの大人は拒絶反応を示しました。船村氏は、それを指して「汚い」と表現したとも考えられます。 

The Beatles at work, EMI studios, Abbey Road, London, England, Tuesday, 4 September 1962. From left: Ringo, George, John and Paul.  Photo: Dezo Hoffmann.

また、ルイソンの著書である「ビートルズ・レコーディング・セッションズ」によれば、警備員のジョン・スキナーは、EMIに現れたビートルズの印象について「痩せっぽちでヒョロヒョロしていて、栄養失調のように見えました」と語っています。

 

伸び放題でちゃんと整髪もしていない頭髪(と大人からは見えた)、そしてヒョロヒョロの外見、これらからすると、いくらスタイリッシュなスーツを着ていても、船村氏の目には「汚い」と映ったのかもしれません。

 

上の画像は、同年9月4日のものですが、確かにジョージは、この時点でも病み上がりかと思わせるような風貌ですね(^_^;)6月6日は、これよりもっと貧相な外見だったのかもしれません。

 

関連画像 

さらに、上記の「ザ・ビートルズ史」下巻のp469には、「レコーディング・エンジニアを担当したノーマン・スミスは、コントロールルームのガラス窓から階下の様子を凝視して、おいおい、何だこいつらは、とつぶやいた。「それは…」と彼は振り返る。「最初は見過ごしていたが、「えっ?」と驚いてもう一度見直す感覚だった」」と記載されています。

 

テクニカル・エンジニアのケン・タウンゼントも彼らの長髪とリヴァプール訛り丸出しの話し方に違和感を覚えたとあります。

 

スミスが思わずビートルズを二度見したという話は、ちょっと笑えますね(^-^)どうやら、「リヴァプールという地方からロンドンという大都会へやってきたみすぼらしい身なりをした青年たち」というのが、EMIのスタッフがビートルズに対して受けた第一印象のようです。とすれば、船村氏が「あの汚い」と表現したのも無理はないかもしれません。

 

当時のスタッフの記憶を辿ると、ビートルズがスーツを着ていてもみすぼらしく見え、船村氏の「あの汚い」発言に繋がったともとれます。

 

疑問はますます深まるばかりです。次回でもう少し追及してみたいと思います。

 

 (参照文献)ASACdati、ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版、ザ・ビートルズ

(続く)

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(号外)ムッシュかまやつさんを偲ぶ

2017年3月2日、ムッシュかまやつことかまやつひろしさんが78歳で亡くなりました。かまやつさんは、ビートルズに影響を受け、堺正章さん、井上順さんらとともにロックバンド「ザ・スパイダース」のメンバーとなり、日本のグループサウンズブームを巻き起こした人物であり、日本のロックバンドの草分け的存在でした。今回は、ビートルズとかまやつさんとの関わりについてお話します。

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1    ビートルズとの出会い

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1964年、かまやつさんは、日比谷にあった輸入雑貨を取り扱っているショップに立ち寄ったのですが、そこに輸入レコードのコーナーがありました。そして、アメリカ版のビートルズのアルバム「ミート・ザ・ビートルズが置かれていたのです。

 

それを見た瞬間、かまやつさんは、「彼らのビジュアル、伝わってくる雰囲気、すべてひっくるめて、あのグリニッジ・ヴィレッジの空気と同じだった。まだ日本では無名だったが、僕はジャケットを見ただけで、彼らを一瞬にして理解した。「これだ!」そう直感した。」と語っています。

 

いや、正にこのエピソードこそ、アルバムのタイトル通り「かまやつひろし・ミート・ザ・ビートルズ」(かまやつひろしビートルズと出会う)じゃないですか!

 

やはり、一流の人の感覚は鋭いですね。ジャケット写真を見ただけでもうビートルズが凄いってことに気付くなんて。このアルバムのジャケット写真は、ビートルズがカメラマンのロバート・フリーマンに対して、ハンブルクに巡業していた頃に知り合ったカメラマンのユルゲン・フォルマーのハーフ・シャドウ(顔の半分を陰にする)という撮影手法を使うよう依頼して作製されました。

 

レコードジャケットの写真はカラーが当たり前であった当時、あえてモノクロで背景を真っ黒に塗りつぶすという斬新なアイデアが高く評価されました。それに気づいたかまやつさんは流石です。

 

かまやつさんは、それを買って家に帰ると何度も聴きました。特に気に入ったのが2曲目の「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」です。かまやつさんは、こう語っています。「カントリーを始めとするアメリカの音楽は乾いた響きがするが、ビートルズは全体に紗がかかったような、ファンタジックな音だった。その時、僕には近未来が見えたと思った。次に来るもののフックを捕まえたという確信があった。震えるくらいの感動だった。」

 

2 ビートルズのサウンドを分析

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そして、かまやつさんは、このアルバムをスパイダースのメンバーに聴かせたところ、感激したメンバーは、ほぼ毎日かまやつさんの自宅を訪れては聴いたそうです。ビートルズのレコーディングでは、録音したテープを後で半拍だけ切り取って編集したりするなど、時にはトリッキーと思われる加工が加えられていました。

 

スパイダースは、メンバー全員がこのアルバムで完全にビートルズの魅力に憑りつかれ、彼らを目標にしました。譜面なんかありませんでしたから、耳で聴いてコピーするだけです。驚くべきなのは、歌詞まで完全にコピーしていたことです。サウンドだけならまだしも、歌詞までとなると相当ハードルが高かったはずです。

 

それもそのはずで、実は、かまやつさんのお父さんは、ティーブ・釜萢(かまやつ)さんで、日本におけるジャズの草分け的な存在でした。日系二世のため英語しか話せなかったとのことですから、息子のかまやつさんもネイティヴの英語を幼い頃から聞いて育ったので、英語はかなり話せたはずです。

メンバーは、何回も聴き込んでビートを身体に覚え込ませたのです。しかし、なかなかビートルズのサウンドを再現することができませんでした。そして、色々と工夫をして演奏しながら気づいたのは、全員がエイトビートで演奏するのではなく、ギターとベースはエイトビートでも、ドラムはシャッフルビートで叩けば、ヴォーカルとバンド全体が前へ前へと突っ込んでいけることを発見したのです。

 

変に理屈から入るよりも、こうやって試行錯誤を重ねたことが却って良かったのかもしれません。しかし、この奏法を開発したビートルズが凄いことはもちろんですが、それを耳で聴いただけで解明したスパイダースもまた凄いですね。

 

3 エド・サリヴァン・ショー放映開始

1965年2月から日本でもエド・サリヴァン・ショーが放映されました。かまやつさんは、こう語っています。「僕の家のテレビで、スパイダースのみんなと一緒に、ビートルズの出演する「エド・サリバン・ショー」を観たときのことも忘れられない。ブラウン管を通してとはいえ、初めて見るビートルズのライブに、感激はひとしおだった。スパイダースのメンバーもに夢中になった。100%彼らを真似しようというわけで、7人で本格的なボーカル・インストルメンタル・グループに編成しなおすことになった。」

それまでは歌手のバックバンドだったスパイダースは、1965年からかまやつさんを正式にメンバーに加え、ロックバンドに衣替えしたのです。そして、グループサウンズブームを巻き起こしました。 

4 日本一早くビートルズをカヴァーしたバンド

スパイダース

日本で一番早くビートルズをカヴァーしたバンド(それも完璧に)というのがスパイダースの誇りでもあったそうです。「ミート・ザ・ビートルズ」も日本版が出る前に入手していましたし、FEN(在日米軍軍人向けのラジオ放送)までチェックしていました。日本のどのバンドよりも早く多くのビートルズのナンバーをカヴァーするとともに、他の洋楽のカヴァーもしていました。

 

「ディジー・ミス・リジー」をカヴァーしているスパイダースです。繰り返しますが、これ耳コピだけですからね。

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そして、その実力を認められ、来日したビーチボーイズなどの殆どの来日アーティストの前座を務めたのです。ビーチボーイズが来日した時は、ブライアン・ウィルソンが不在で手抜きの演奏だったそうですが、前座のスパイダースの方が大受けして完全に本家を食ってしまったようです。

 

アストロノウツの日本公演では、スパイダースが前座でビートルズの「ペイパーバックライター」を演奏すると、アストロノウツは、それがカヴァーだとは知らず彼らのオリジナルだと勘違いし、素晴らしい曲だと絶賛したとか。いや、あれがスパイダースのオリジナルだったら凄すぎますって(^_^;)

 

その頃の想い出を語る井上堯之さんです。「抱きしめたい」をカヴァーする際にイントロのギターの入り方で、大野克夫さんともう一人のギタリストがケンカになって辞めてしまい、それでそれまでギターを弾いたことのない井上さんは、「明日からお前がギターをやれ」と言われたそうです。なかなか面白いエピソードですね。

 

その頃、まだエフェクターが普及していなかったので、ギタリストたちがあの手この手でギターにファズを掛けようとしたそうです。スパイダースがやっとエフェクターを使わずにファズを掛けることに成功し、それをリハーサルでやったらスタッフから「音がひずんでます」と言われ、「いや、わざとひずませてるんだ」と答えたとか(笑)

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こちらはアレンジを加えた「デイ・トリッパー」です。これはこれでクオリティーが高いですね。

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5 東京公演の前座を断った!

「budokan beatles」の画像検索結果「日本一のビートルズのカヴァーバンド」と称されたわけですから、当然のことながらビートルズ日本武道館で来日コンサートを開催する時に、スパイダースにも前座をやってくれとオファーが来たのですが、かまやつさんは断ってしまいました!

 

あんなスーパースターの前座をやれるなんて、この上ない名誉なことなのに何でそんなもったいないことをしたんだろう、と不思議に思いますが「前座をやったらビートルズの演奏を観られなくなってしまう」という理由でした。まあ、確かにね(^^;)そりゃ、観たいですよね。前座で出演したら舞台の袖で観るぐらいしかできませんし、それも警備の警察にストップされたかもしれませんから。で、客席で演奏を観ました。

それほど完成度が高かったのに、本家のビートルズを前にした公演で前座を辞退したのはいかにももったいない気がしますが、あまりに完成度が高過ぎてこれで前座をやったら、却って観客の興を削いでしまうかもしれないという配慮もあったようです。井上さんも同じことをおっしゃってますね。

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実際、ビートルズの東京公演のパフォーマンスの初日はツアーの疲れもあり、リハーサルなしのぶっつけ本番でしたから、特に出来が悪かったのは事実です。何より観客が欧米のファンに比べて静かだったため、自分たちのパフォーマンスが良く聴こえて、ビートルズ自身がその酷さに愕然とした位ですから。これでもし、スパイダースが完璧なコピーで前座をやっていたら、本家の面目は丸つぶれになったかもしれません。そういう意味では、かまやつさんの判断は正しかったということになります。

 

でも、逆に今となっては聴いてみたかったですね。日本のロックバンドの実力は当時でもこんなにすごかったんだ、というところを世界に観てもらいたかった気もします。

(参照文献)「ムッシュ!」、TAPthePOP、「作家で聴く音楽」第十五回 大野克夫、WebBANDA

(続く)

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(その111)ジョン・レノンのギターテクニックについて(その6)

ジョンのギター・テクニックのお話は、いよいよ今回で最後になります。

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1 アイ・ウォント・ユー(シーズ・ソー・ヘヴィー)

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シー(彼女)とはもちろんヨーコのことを指しています。まあ、色んな意味で「重かった」んでしょうね(^_^;)

 

ジョンは、この作品でもリードギターを弾いていますが、メロディーラインをヴォーカルとユニゾンで弾きつつ、チョーキングを入れてヨーコに対する想いの丈を吐露しています。もう、彼女にゾッコンでどうしようもないという心情が伝わってきますね。

 

サビのコーラスの「へヴィ~」の部分では、あえてゆったりとした8分音符をしっかりと置いていく感じで、サウンドに重厚さをもたせています。

 

ソロは、ジョンだとする説もありますが、ジョージ説の方が有力なようです。

 

2 レボリューション

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ジョンの狂おしいまでのイントロが鳴り響き、歪んだギターサウンドが作品全体で咆哮しています。60年代、東西冷戦のさなかで若者たちが未来に絶望している世界を変えたいという、彼のほとばしる情熱がそうさせたのでしょうか?彼のブルージーなギターサウンドの真骨頂ともいえる作品です。彼自身も自分のギタリストとしての腕を見直したようです。

 

この曲でジョンは、ジョージと共にツイン・リードギターを弾いていますが、強烈なディストーションを掛けています。ギターをアンプではなくレコーディング・コンソールに直接接続し、チャンネルに過負荷を掛けてファズサウンドを作り出したのです。

 

エンジニア・スタッフに無断で機材を使用したんですが、下手をすると機材がいかれてしまったかもしれません。いかに大物とはいえやり過ぎですね(^_^;)しかし、そのおかげで他の楽器も含め、コンプレッサーとリミッターを通して強烈なサウンドが爆発しました。

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3 ゲット・バック

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この作品でもジョンは、リード・ギターを弾いています。一つには、レコーディング中にポールとジョージが口論になってしまい、ジョージが一時的にビートルズを脱退したために、リードギターが不在になってしまったことがあります。

 

もう一つは、シングルA面が自分の曲ばかりになってしまったので、ポールがジョンに気を遣ってリードギターを任せたということです。

 

偶然がもたらした産物ですが、おかげでジョンのカッコいいギターソロを聴くことができます。ビートルズ時代に彼が弾いたソロの中でも、3本の指に入る位人気があります。

 

 

ジョンは、エフェクトを掛けないレアのままのサウンドを出しています。まず、イントロで、E弦の5フレットでパワーコードを使用して力強いサウンドを出しています。あの「トットトットット」というところですね。

 

ここでも小指を巧みに使って、チャック・ベリーっぽい古典的なロックンロール・スタイルを取っています。「Get Back」というヴォーカルのところはメロディーラインを弾きながら、アップダウンストロークで「チャカチャカチャ~ン」ってな感じでカッコよく決めてますね。

 

そして、ソロに入るとチョーキングで雰囲気を盛り上げています。「ゲットバック(原点に帰ろう)」というポールの提案を受けてか、オールドロックのスタイルを採り、シンプルながら抜群のセンスを見せています。何度聴いてもカッコいいですね。

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4   アイヴ・ガッタ・フィーリング

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何といってもイントロのアルペジオの荘厳ともいえるソリッドなサウンドがたまらなくカッコいいですね。

 

コード進行は、ADのみの繰り返しと至ってシンプルですが、Aのロー・コードで、人差し指で2フレットを4弦までセーハして小指で1弦5フレットを押さえて弾き、その後2弦3フレットと4弦4フレットをハンマリングして弾いているようです。

 

 

ポールが「イェー」とシャウトするとこは、強烈なストロークでヴォーカルをサポートして一気に盛り上げています。全体的にソリッドなサウンドで、ポールのテンションを上手く引き出しています。サビでポールが早口でまくしたてて最高に盛り上がるところは、E-G-D-Aのローコードを激しくストロークしています。

 

そして、エンディングでは、4音からなるコードを2フレットから1フレットずつスライドさせてはまた戻るという弾き方で、リスナーをワクワクさせつつ終わっています。 

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5   フォー・ユー・ブルー

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ジョンは、ヘフナー5140ハワイアン・ラップ・スティール・ギターを膝の上に置いてスライドバーでギターを演奏しています。このような奏法を採用したのは、おそらくこの作品だけでしょうが、これがまた絶妙な味わいを醸し出しています。

ジョージが間奏で「エルモア・ジェイムズ(50年代に活躍したスティール・ギターの名手)じゃないんだぜ(笑)」とジョンに語り掛けていますが、ジョージもこのアレンジを気に入ってたんでしょうね。

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6 ジ・エンド

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この作品では、誰がギター・ソロを演奏するか決めていませんでした。「じゃあ、3人でやろう。」とポールがジョンとジョージに提案し、2人も同意してギターを携えてスタンバイしました。ですから、このソロは完全なアドリブで3人が思い思いに演奏したのです。

誰がどのパートを演奏したかについては諸説ありますが、演奏のスタイルから最初はポール、続いてジョージ、最後がジョンだとするのが通説だと思います。

ジョンは、ジャンキーなファズ・サウンドを出して存在感をアピールしました。このソロの競演は見事という他ありません。長年一緒にプレイしてきた3人だからこそできた、ピタリと息の合った神業です。もはや解散寸前の彼らでしたが、この時だけはツアーに明け暮れていた頃のように一つになれたのです。

 

そして、リンゴもビートルズ時代としては、最初で最後となったドラムソロを演奏しました。こんな素晴らしい演奏が即興でできる程息がピッタリ合っていたのに、なぜ解散してしまったのでしょうか?

 

それぞれのパートをアマチュアギタリストに再現してもらいましょう。

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7 アクロス・ザ・ユニヴァース

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この作品は、何といってもイントロの美しいアコースティックギターの調べが決め手ですね。歌詞とともに広大な宇宙を感じさせる美しい曲です。中指と薬指を1弦2フレットから一気に10~11フレットにスライドさせることで、全体的にアンニュイな曲調にちょっとしたアクセントを入れています。

 

8 最後に

書き忘れていましたが、そもそも2本のギターにそれぞれ違う役割を持たせたのは、ビートルズ自身の発想ではなくプロデューサーのジョージ・マーティンの発想でした。それまでは、ソロを除いて同じコードを同じポジションで弾くことが多かったようです。

 

しかし、マーティンは、せっかくギターが2本あるのだから、それぞれ違う役割を持たせた方がアレンジに幅が出ると考えたのです。結果は皆さんがご承知のとおりであり、バンドの持つ魅力が一気に増大しました。

 

ジョンはホンネではリードギターをやりたかったようです。何しろリーダーですし、人一倍目立ちたがり屋でしたから(^_^;)ポールがベースを担当した時と同じように、必ずしも自ら望んでいたわけではなさそうです。ただ、自分のテクニックがそれ程優れてはいないこともちゃんと分かっていましたし、メインヴォーカルもやらないといけないのでそこはジョージに譲り、自分はリズムギターに回りました。

 

どうやら「リズムギター」という呼び方もジョンが名付けたようです。「バックギター」あるいは「サイドギター」というのが本来の呼び方だったようですが、それだといかにも裏方っぽい感じがしたからかもしれません。

 

しかし、リズムギターを担当すると決まった以上は、最高のパフォーマンスを聴かせてやるという意気込みでいつも臨んでいたのです。ですから、彼は、リズムギタリストとして誇りを持っていました。

 

さて、ジョンのギター・テクニックについてのお話しは以上です。書き始めた時は、オール・マイ・ラヴィングの三連符で終わってしまうのではないかと不安でしたが、掘り出してみるとあるわあるわ、こんなに長くなるとは思いませんでした(^_^;)

(参照文献)All You Need Is The Beatles, the Complete BEATLES Recording Sessions

(続く)

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(号外)ビートルズ研究の第一人者、マーク・ルイソン氏と直接コンタクトが取れました!

ビートルズ研究の第一人者として、世界中にその名を知られているマーク・ルイソン氏と直接コンタクトが取れました!今回はこのことについてお話しします。

 

私が同氏にコンタクトを取ったきっかけは、2017年2月16日に日本の偉大な作曲家の船村徹氏が亡くなったことです。彼がビートルズが1962年10月5日にプロデビューするより前にその実力に気づいたという記事を見かけたことがきっかけでした。

 

同氏がビートルズと初めて出会った時のことについては、私の別稿で紹介しておりますので、詳しくはそちらをご覧ください。 

 

www.studiorag.com

 

1 マーク・ルイソン氏とは?

マーク・ルイソン氏は、ビートルズ研究の第一人者であり、彼らのことについて世界中の誰よりも良く知っている人物です。2016年12月に「ザ・ビートルズ史 上下巻」というビートルズの歴史について研究した大作の日本語版を刊行しています。

「mark lewisohn beatles」の画像検索結果

 

「マークルイソンビートルズ」の画像検索結果

 

 

2 ルイソン氏へのメール

ルイソン氏は、自己のHPでビートルズに関する資料や証人を広く世界中の人々に対して求めています。そこで、私は、彼らがまだプロとしてレコード・デビューする前に、日本の作曲家の船村徹氏が、世界で初めて彼らの才能に気づいたのではないかというお話を日本時間の2017年2月21日にメールで送信しました。次のような内容です。

 

「拝啓 マーク・ルイソン様

私は和田晋司と申します。日本に住んでいます。私は、長い間ビートルズのファンであり、あなたの本を読んでいます。私は、あなたをビートルズ研究の第一人者として大いに尊敬しています。

ところで、あなたに伝えたい情報があります。それは、世界で初めてビートルズの才能に気づいたのは、日本人だったかもしれないという事実です。

その人は、日本の偉大な作曲家であり、数多くの名曲を作曲した船村徹氏です。 彼は、1959年に日本のアニメ映画「少年猿飛佐助」の音楽を制作しましたが、これはアメリカのMGMから「Magic Boy」として配布され、ベニス国際映画祭でグランプリを受賞しました。

彼は、音楽制作の実績を評価されてヨーロッパに招待され、イギリスを訪問しました。そして、彼はそこでビートルズに出会ったのです。時期ははっきりしていませんが、1960年か1961年のようです。

彼は、ビートルズをEMIで見たと語っていましたが、彼らがEMIでオーディションを受けたのは1962年であり、おそらく彼の記憶違いであると思います。当時、ビートルズは、ジョニー&ザ・ムーンドッグズという名前で様々なオーディションに参加していました。彼が出会ったのはその時ではないかと思います。

彼は、他のミュージシャンも一緒にゲスト審査員として観ました。彼が観たミュージシャンではバンドはビートルズだけであり、他はソロ歌手だったとのことです。

そして、主催者からどのミュージシャンが一番良かったかと尋ねられると、彼は「あの汚いバンドが最高だった」と答えました。もちろん彼は、ビートルズのことを指したのです。彼らは、まだブライアンエプスタインと会っていなかったし、黒の革ジャンを着ていました。

この事実は、船村氏がビートルズの才能を世界で初めて発見したことを意味しています。しかも、彼らがプロのミュージシャンとしてメジャーデビューする前ですから、とても意義深いことです。

残念ながら、同氏はもう亡くなっているので、彼から直接話を聞くことはできません。私は、あなたにこの点を調査し、ビートルズの歴史に新しい1ページに追加していただきたいと思います。

敬具 和田 晋司」

 

3 ルイソン氏からの返信

何と、早速、翌日にルイソン氏から次のような返信がありました! 

 

「拝啓 和田晋司様

ビートルズの歴史に関する私の情報提供および証人の紹介依頼に応えていただき、誠にありがとうございます。私は、あなたのメールを確かに拝見し、あなたにさらなる情報の提供をお願いするかもしれません。私は、あなたに提供していただいた情報を高く評価します。そして、これによりビートルズをより良く理解する方向に向かうでしょうし、悪くないことだと考えます。

敬具    マーク・ルイソン」

 

 

 

4 ルイソン氏へさらに送信

私もまたすぐに次のような返信を送りました。

「マーク・ルイソン様

ご返信ありがとうございます。あなたの研究に貢献できることは大変光栄です。しかし、私は、日本の芸能界とはまったく関係がありませんので、私が調査するのは難しいです。

もちろん、日本の芸能関係者の中にはあなたを知っている人が数多くいますから、あなたは彼らに直接連絡することができると思います。例えば、JASRACまたは日本コロンビア株式会社です。

イギリスには、ビートルズが1960年から61年に登場したオーディションやコンテストを主催した関係者がまだ生存している可能性があります。あなたが彼らにインタビューすれば、船村氏に関する情報を得るかもしれません。彼らは同氏を喜んで招待したので、誰かがその事実を記憶しているでしょう。

また、あなたは、ポール・マッカートニー卿と連絡を取ることができるでしょうし、彼が事実を覚えている可能性もあります。

あなたが調査した結果裏付けが取れた場合は、その事実を全世界に知らせてくだい。

和田晋司」

 

5 今後の調査に期待

人一倍探求心に溢れた方ですから期待はしていましたが、まさかこんなに早く食いついてくれるとは思いませんでした(^_^;)残念ながら、私は芸能界とは何の関係も無いので、私が調査するのは困難です。しかし、彼ほどの大物なら日本の芸能関係者に直接コンタクトすることができるでしょう。今後の調査に期待したいと思います。

 

それにしても、惜しいことをしました。私が船村氏とビートルズとの出会いを知ったのは、同氏が亡くなったつい最近のことでしたから。もっと早く知っていたら、この事実を彼に知らせ、同氏に直接インタヴューしてもらえれば、「ザ・ビートルズ史 上下巻」に同氏のことを記載してもらえたかもしれません。

(続く)

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(その110)ジョン・レノンのギター・テクニックについて(その5)

ジョン・レノンのギター・テクニックについてのお話を続けます。ビートルズも後期になると色々な楽器を使用するようになり、それにつれてジョンのギターが登場する場面は減りました。しかし、それでも彼のテクニックが生きている作品がいくつもあります。

The Beatles - John Lennon:

1 ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン

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ギター・テクニックのお話とは離れますが、このタイトルを見ただけでは意味が分からないと感じるのが普通ですよね。「幸福は暖かい銃である。」って普通に翻訳してもどどういう意味なのかさっぱり分かりません。でも、歌詞を読めばこの作品に対する理解が深まると思います。

 

中間部分を除けば、マイナーで始まる全体的にアコースティックなサウンドなので、抒情的な作品と勘違いしている人も多いかもしれませんが、歌詞の内容はかなりぶっ飛んだ激しいものになっています。そのためドラッグとの関連が連想されがちですが、ジョンははっきりとそれを否定しています。

 

ただ、これを制作した頃は、彼が薬物中毒で苦しんだ時期であったこともまた事実であり、彼の言葉を額面通りに受け取って良いか疑問も残ります。ポールもその事実を認めており、悩み苦しんだからこそこの作品が生まれたとも考えられます。彼は、この時期に、他の作品においても、雄叫びを上げるような捻じ曲がったサウンドを奏で、狂気に満ちたような歌詞を書きました。

 

この作品のタイトルは、偶々彼が目にしたアメリカの銃専門誌の広告で使われていた言葉を引用したものです。暖かい銃というのは「弾丸を発射した直後の銃」のことを指しています。弾丸を発射した直後の銃は暖かくなっている、つまり、銃を使用することが幸福を招くのだという意味です。

 

もちろん、銃こそが自分の身を守る手段であるというアメリカならではの広告です。ジョンは銃で身を守るなんて馬鹿げた考えだと感じたことが、この曲を作るきっかけになりました。

「john lennon guitar in studio」の画像検索結果

この作品でジョンは、フィンガーピッキング奏法を採用ていますが、これは、ドノバンとその友人のジプシー・デイヴが、インド滞在中にジョンに教えた「トラヴィスピッキング」と呼ばれるフォークソングではよく使われるテクニックです。ドノヴァンによれば、ジョンは、たった2日でこの奏法を会得したそうです。彼は、おそらくこの作品で初めてこれを採用したと思われます。 

 

テープには録音したものの、なかなか作品に仕上げるのが難しかったので、それからしばらく間を置いてレコーディングしました。しかし、この作品は途中で複雑にリズムが変わるため、他のメンバーとどうやったら上手く演奏できるか何度も議論しました。

 

説明すると長くなるので別稿に譲りますが、2分47秒という短い曲なのに、5つの異なるセクションで構成されているうえ、曲の途中でリズムが複雑に変わります。元々3つの曲を繋ぎ合わせた結果そうなったのですが、それを一種の組曲のように一つの完成品として仕上げるところにジョンの天才ぶりを見ることができます。彼が音楽理論に精通していたら、却ってこんな発想はできなかったでしょう。

彼はリード・ヴォーカルなので、リズム・ギターのコードはシンプルにしています。イントロは美しいアルペジオですが、途中からブルージーなサウンドに変えることで苦しみ悶える自分自身の姿を描いています。他の3人は、複雑に変わるリズムに合わせる困難な作業をしていますが、そのかいがあり傑作が完成しました。

  

ところが、これほどの傑作であるにもかかわらず、ファンでも知っている人が少ないのが残念です。ローリングストーン誌が2011年に挙げたビートルズの作品ベスト100においても24位にランクインしていますし、ジョン自身も1970年の同誌のインタヴューで、大変この作品を気に入っていると応えています。

 

また、ポールは、ジョン・ケリーというビートルズポートレートを撮影した写真家にこの作品のデモ・テープを聴かせ、「これを聴いてごらん。私が今まで聴いた中で最高の作品だよ。」と語ったのです。特に歌詞が素晴らしいと称賛しています。また、多くの音楽評論家も絶賛しました。

 

マチュアバンドによるカヴァーです。

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2 ジュリア

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この作品においても、ジョンのアコースティックギターの才能を見ることができます。やはり、スリー・フィンガーピッキングで弾いています。ポールもこのジョンのギターを称賛しています。彼のアコースティックギターの作品の中でも最も優れたものかもしれません。

 

彼は、この作品を制作する際にドノヴァンに「君は、子どもの気持ちで曲を作れる天才だ。手伝ってくれるかい?」と依頼しました。「私は、母親を想う子どもの気持ちを曲にしたいんだが、子どもの頃に母親とあまり接したことがないんだ。」ドノヴァンは、ジョンの気持ちをすぐに理解し、ヒントを与えてくれたのです。このお話も長くなるので別稿に譲ります。

 

ジョンは、愛用のギブソンJー160Eの2フレットにカポを装着し、レコーディングに臨みました。テイク2でギターを弾いたのですが、途中で失敗して弾くのを止めました。どうやらまだ克服しなければならない課題があったようです。

「john lennon guitar in studio」の画像検索結果 

スタジオで聴いていたポールは、「もう一度やってみたらいい。1カ所か2カ所、僅かだけど違うところがある。」と励ましました。ジョン「1カ所だけじゃないのかい?どこが違うのか分からない。完璧だと思ったんだけどな。」ポール「素晴らしかったよ。きっと上手くいくさ。」この頃もう2人の間には溝ができていたのですが、こういったやり取りをしているところは、やはり長年連れ添った戦友ならではですね。

 

ジョンは、不思議なコードを使っていますが、その創造的で美しいハーモニーには思わず引き込まれてしまいます。前期では、ジョンのエレキギターの激しいストロークを多く紹介してきましたが、彼は、ドノヴァンとの出会いにより、このようなアコースティックギターにおける繊細なピッキングの才能をも開花させたのです。

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3 ヤー・ブルース

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ジョンは、上記でご紹介したアコースティックなサウンドから一転して、重厚なサウンドを響かせています。これは、ビートルズでの演奏ではありませんが、「ロックンロール・サーカス」というローリングストーンズが1968年に制作した映像にジョンが参加した時のものです。

 

ジョンは、エリック・クラプトンミッチ・ミッチェル、そしてキース・リチャーズと、一日限りのバンド「ザ・ダーティー・マック」を結成しました。ん?「ダーティー・マック(汚いマック)」って、ひょっとしてポールをディスってるの?

 

ジョンの悲痛な魂の叫びがそのまま作品になっています。「マッド・ジョン」ともいうべき彼の激しいギター・サウンドが、絶望に打ちひしがれた彼の心境を的確に表現しています。リードギターリズムギターとが相互に特色を出しています。彼の作品の中でも最も重厚なサウンドを出しているといえます。相変わらずジョン独特のタイミングの取り方が、この作品のグルーヴ感を存分に引き出しています。

 

各ラインの終わりにアクセントを入れ、スウィングのリズムを刻んでいますが、それがまた一種独特の味わいを醸し出しています。マディー・ウォーターズ風の歪んだリックを入れ、力強いコードをストロークし、ソロではまるで別世界にいるかのような重厚な歪んだサウンドを奏でています。その結果、彼がそれまでに見せたことのないブルージーな力強い作品に仕上がっています。

(続く)

(参照文献)The Beatles Rarity, Jas Obrecht Music Archive, The beatles Music History

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